今日、1月17日は阪神・淡路大震災が起きた年です

ブログを始めた年から毎年、この時期にその事について書かせてもらっています

一昨々年の記事一昨年の記事去年の記事、他にも震災に関わる記事を書かせてもらいました


15年という節目という事もあり、昨日は神戸新聞社のドラマも放送されました

その15年で、状況が変わってきています

1つに、これからの小・中学生は震災を知らない子供たちとなります

学校で心のケアをしてきた方達も、役目を終え学校からいなくなります

そして、今回発表された数字では、震災を知らない子供と

震災後に引っ越してきた人たちはの割合は36%となりました

これからさらに知らない人たちの割合が増え、どう伝えていくのかが課題となります

さらに15年という年月で、被災され復興住宅に住んでいる人たちの高齢化が進み

去年も61人の方が孤独死となり、中には長期にわたって発見されなかった方もいます

去年は震災前の人口を初めて越えました

復興の証しとも言えますが、神戸西部では7~9割り止まりですし

活気の戻らない商店街もあり、まだまだ道半ばです

人々の記憶の中から消えないように、各自治体でも色々な取り組みをしています

西宮市デジタルライブラリーでは震災の資料を掲示し、神戸市のHPでも公開されています





特に年末からこの時期にかけて、テレビや新聞などで震災の事が多く扱われます

そういう記事などに目を通し、今年は何を書こうか・・・と思っています

上でも書いたように、これからどう伝えていくのかという事が課題になっていますが

その中で、同じような事を何人かの人が言っていました・・・





震災で市外・県外へ引っ越した方も多数います

体験していない人へ話をしても、特に子供も場合は自分の恐怖や苦しさが分かってもらえない

また家族で亡くなられた人がいないと、「良かったですね」と言われる事もあるそうです

友達や家族などを亡くした人に比べれば・・・そう思うと震災を事を話せなくなったようです

同じ被災者でありながら、疎外感を感じ苦しさを吐き出す事が出来なかったようです

最近ではコミュニティーサイトで、自分と同じ思いをしている人がいる事を知り

気持ちを共有する事で落ち着かれている方もいるようです

そんな記事を目にした時、家族も友達も失わず、家も歪み程度で済んだ自分が

こうやって震災の事を語る資格があるのかなと考えました

その気持ちは3年前ブログを初めて、最初の1月17日を迎えた時もありました

忘れられない為に・・・と思い書いてきましたが、また考えさせられています





あの時は人を助ける事しか考えていなかった・・・

そう語る多くの人は、近年の人とのつながりの希薄さ、簡単に奪われる人の命に憤りを感じています

この震災で日本の危機管理の無さが露呈し、これ以降大きく変わった事もあります

日本や海外での災害時の人道支援・復興対策などのノウハウも出来ました

6434人という将来を失われた人たちの分も、と苦しく辛くても

一生懸命前を見て生きてきた人が居る一方、あまりにも粗末にされる人の命・・・

震災からの教訓を生かせているとは思えません

先日起きたハイチでの大地震でも多くの方が瓦礫の下敷きとなりました

神戸の復興対策・各地の不十分な災害対策、もう1度考え直す良い機会かもしれませんね

最後になりましたが、改めて亡くなられた方々へご冥福をお祈り致します