瀛中を進んでいくと豪華なものが目の前に現れます
それがこれです!

これは御差床(うすさか)といって、国王が座る玉座のことです

これは御差床(うすさか)といって、国王が座る玉座のことです
この奥にふすまがあって開いていますが、そこから2階に通じる階段があります
もちろん、これは復元されたものです
さらに豪華なものが出てきました
それがこれです!!

これも国王が座っていたものですが、こちらは行催事の時に使われたようです

これも国王が座っていたものですが、こちらは行催事の時に使われたようです
椅子のアップ!!

写真では伝わりませんが、かなりキラキラしています

写真では伝わりませんが、かなりキラキラしています
この丁度向かいにはこんなものがあります

ここから外でも見ていたのでしょうか!?

ここから外でも見ていたのでしょうか!?
そして、玉座の上にある4文字の言葉ですが・・・
こんなものや


こんなものもあります

首里城正殿の2階には皇帝から送られた書を扁額し仕立てて九枚掛けていました

首里城正殿の2階には皇帝から送られた書を扁額し仕立てて九枚掛けていました
皇帝が即位したお祝いや、古希のお祝いの時などに自ら認めた書を琉球に贈っていたそうです
これを大事に扁額に書き写して漆を塗り、金箔を貼って掛けていたみたいです
その九枚のうちの三枚が復元されたということです
ちなみに最初のものは
「中山世土」(ちゅうざんせいど)…中山は代々、琉球国王の国であるという意味で
「中山世土」(ちゅうざんせいど)…中山は代々、琉球国王の国であるという意味で
「輯瑞球陽」(しゅうずいきゅうよう)…琉球が幸せであることを祈っているという意味で
「永祚瀛壖」(えいそえいぜん)…海の向こうにある琉球を永く幸いに治めよという意味です
この他の六つは「海邦濟美」(かいほうさいび)・「海表恭藩」(かいひょうきょうはん)
「屏翰東南」(へいかんとうなん)・「弼服海隅」(ひっぷくかいぐう)
「同文式化」(どうぶんしきか)・「瀛嶠屏藩」(えいきょうへいはん)です
「同文式化」(どうぶんしきか)・「瀛嶠屏藩」(えいきょうへいはん)です
これらの扁額は琉球王国が解体した後、別の場所で保管されていたのですが
沖縄戦で焼失してしまったようです
明治時代に赴任した役人が扁額を目撃していましたが写真などの史料や全く残っていなかった為
皇帝の筆跡と落款に関しては、中国の場内で調査をして得られた直筆の字を分析して推定し
落款は他の扁額にある印影を参考に復元されました
また扁額の形も国内にある琉球関係の扁額を調査し、この形になったそうです
そして、この玉座の横には

こんなものがあります

こんなものがあります
アップにすると・・・
リスのような動物がいます

リスのような動物がいます
しかし、これが何で、どういう意味があるのかはわかりませんでした(汗)