パワーをもらったところで次に向かったのは





















こちら!!
イメージ 1
ここはニライカナイ橋です

ちなみに手前がニライ橋で、向こう側がカナイ橋です
日中の晴れた日が良いです。ニライカナイとは、海の彼方あるいは海の底、地の底にあり、年ごとに神が訪れ、豊穣を約束してくれるとされる楽土と信じられている。
言い忘れましたが、車を止めるポイントが分からず、写真を撮れなかったので頂いてきました(汗)

そして、次に向かったのは




















こちら!!
イメージ 2
朱礼門・・・

ということで、首里城です




















中に入る前にこちら~
イメージ 3










イメージ 4










園比屋武御嶽石門です
イメージ 5
守礼門後方にある御嶽(うたき)で、前に石門が築かれています。
ここは、琉球王府の行事や祭祀と密着した重要な御嶽だったといわれ、国王が城外に出かける時、旅の安全を祈願したと考えられています。
 創建は1519年頃といわれますが、現在のものは沖縄戦で一部破壊され、1957年(昭和32)に復元されたものです。




















全体の説明です
イメージ 6





















では、行きましょう




















まずはこちら
イメージ 7









歓会門
イメージ 8
首里城の城郭内に入る第一の正門です。中国の使者「冊封使」などを歓迎するという意味で
この名がつけられました。「あまへ御門」ともいいます。「あまへ」は沖縄の古い言葉で
「歓んで迎える」を意味しており「歓会」はその漢訳です。
門の両側の一対の獅子像「シーサー」は魔よけの意味をもっています。
1500年前後創建。沖縄戦(1945年)で焼失し、1974年(昭和49)に復元されました。



















続いてはこちら
イメージ 9









瑞泉門
イメージ 10
石垣途中の右手に泉があります。龍の口から水が湧きでていることから龍樋という名があります。
龍の石彫刻は、今から約500年前の1523年に中国からもたらされた当時のままのものです。
龍樋の水は、王宮の水として使われました。また、中国の使者「冊封使」が琉球を訪れたとき、
那覇港近くにあった宿舎「天使館」まで毎日この水が運ばれたといいます。
この周辺の石碑は龍樋の水の清らかさを賞賛した冊封使たちの書を刻んだもので
冊封七碑といわれています。
沖縄戦でほとんどが破壊されましたが、拓本を元に1996(平成8)年に復元されました。
石段上の門は瑞泉門で、その名は龍樋の水が瑞泉(りっぱな、めでたい泉の意味)と
讃えられたことに由来します。別名「ひかわ御門」ともいいます。「ひ」は樋のことで、
「かわ(川)」は沖縄では井戸や泉のことをさします。さきほどの「歓会門」とちがい、
双璧の石門の上に櫓がのっています。この形式は日本本土の主な城の門と共通しています。
創建は1470年頃。沖縄戦で焼失し、1992(平成4)年に復元されました。



















漆塗りの説明もあります
イメージ 11
復元されたものの風雨にさらされ痛んだみたいです




















そして次はこれ
イメージ 12
漏刻門ですが、なんと説明だけ撮って門を撮っていませんでした(汗)
漏刻とは、中国語で水時計という意味です。この門の上の櫓の中に水で時間をはかる
水槽が設置されていました。門を過ぎた広場には日時計があり、その二つで時刻をはかり
太鼓を叩いて時刻をしらせました。
別名「かご居せ御門」ともいいます。駕籠で登城することを許されていた身分の高い役人も
国王に敬意を表し、この門で駕籠から降りたということからそのように呼ばれました。
創建は15世紀頃。老朽化のため昭和初期には撤去されていたものを1992(平成4)年に復元しました。