山本 浩二氏(やまもと・こうじ)
広島・廿日市高から法大を経てドラフト1位で69年に広島入り。75年に首位打者となってチーム初優勝に貢献し、最優秀選手(MVP)に。強打強肩の外野手として「ミスター赤ヘル」の愛称で衣笠祥雄氏とともに広島黄金時代を築いた。80、81年に2年連続打点王と本塁打王の2冠。通算では歴代4位の536本塁打のほか、打率2割9分、2339安打、1475打点。本塁打王4回、打点王3回、首位打者1回。91年に監督として広島をリーグ優勝に導いた。北京五輪日本代表守備走塁コーチ。広島県出身。61歳。
堀内 恒夫氏(ほりうち・つねお)
山梨・甲府商高からドラフト1位で巨人入り。1年目の66年に16勝2敗、最優秀防御率(1.39)の好成績で沢村賞と新人王を獲得。巨人V9時代のエースとして活躍した。72年には26勝(9敗)で最多勝と最優秀選手(MVP)、2度目の沢村賞。78年まで13年連続2ケタ勝利を挙げ、83年で引退。通算203勝139敗、防御率3.27。1865奪三振。日本シリーズ通算11勝は稲尾和久と並ぶ歴代最多。04、05年に巨人の監督を務めた。山梨県出身。59歳。
嶋 清一氏(しま・せいいち)
1920年12月15日、和歌山市生まれ。旧制の和歌山・海草中で剛速球の左腕投手として活躍。39年の全国中等学校優勝大会(現全国高校選手権)は全5試合を完封して初優勝に貢献。準決勝(島田商)と決勝(下関商)は連続ノーヒットノーランの快挙だった。明大在学中に戦争に召集される。45年3月、シンガポールから門司に向かう途中、ベトナムの海岸線付近で魚雷攻撃に遭って24歳で戦死した。