2位奪取に後が無いホークス
今日の先発は救世主スタンドリッジで、対するは前回好投した加藤康

初回のホークスの攻撃
1アウトから川﨑が四球を選び、多村がヒットでつなぎ
4番ブキャナンの先制タイムリー!!
さらに田上が四球を選らび満塁とします
続く正太郎の内野ゴロの間に1点
これで攻撃が終わるホークス・・・
だから勝てないんですよね

終わってみれば散発5安打で2得点・・・
相変わらずの攻撃陣です

先発のスタンドリッジは毎回のようにランナーを出しながらも
要所を締めて、7回を7安打2四球、無失点の好投でマウンドを降ります

後を受けた水田はヒットを許すも併殺打で打ち取り、結果的には3人で抑えました
9回は守護神馬原登場!!
先頭バッター北川を三振、続く後藤をピッチャーゴロに打ち取りました
ここまでは良かったのですが、またも馬原劇場でした
迎にど真ん中のストレートをバックスクリーンに運ばれ、1点差となります
さらに木元・大引に連続ヒットを打たれて、一転サヨナラのピンチを迎えます
ですが、最後は平下を三振に打ち取りゲームセット!!

最後に・・・
水口栄二選手、17年間お疲れ様でした
相手に回せば嫌な選手でしたが、引退となると寂しいものです
まだまだやれると自負しながらも、若手の伸びに引退を決意・・・
そんな水口に敬意を表して
松山商業から早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に進学。松山商で主将として1986年の夏の甲子園で準優勝に導く。またこの大会で、大会安打最多記録を更新(19本)。未だこの記録は破られていない。また同時に、清原和博が前年に記録した大会最多塁打の27塁打にも並んでいる。早大では1年のときからショートのレギュラーを獲得、4年時には第80代主将としてチームを15シーズンぶりのリーグ優勝に導いた。東京六大学ベストナインを4回獲得。 

1990年ドラフト2位で近鉄バファローズ入団。 
1994年頃から遊撃手のレギュラーに定着。 
1996年から大石大二郎の衰えにより二塁手へコンバートされ、同年オールスターゲーム初出場。以後、近鉄バファローズが消滅するまで正二塁手であり続けた。 
2001年、大阪近鉄バファローズの12年ぶりの優勝に、不動の2番・セカンドとして貢献した。ファールで粘るいやらしいバッティングが持ち味だが、僅差の二位で迎えた9月17日の西武戦、松坂大輔からの決勝打や、日本シリーズ第2戦でのヤクルトの島田直也から同点3ランなど時に目を見張るような活躍を見せた。 
2004年、分配ドラフトにてオリックスに移籍。近鉄出身者としては数少ない仰木時代を知る選手でチームの融和に努めた。 
2005年、平野恵一、塩崎真らとの併用で主に二塁、時々三塁・一塁を守った。 
2006年8月30日の西武戦で1500試合出場を達成した。 
2007年9月29日、現役引退を表明。 そして、打撃コーチ就任も。

エピソード
第68回全国高等学校野球選手権大会(1986年)において水口が記録した大会19安打は、春夏を通じた甲子園大会の1大会最多安打記録として、2006年現在も破られていない。この19本という数字は、チームが1回戦から登場して決勝進出を果たし(従って6試合)、かつ毎試合3本ずつ安打を放ってもまだ届かない、甲子園大会の歴史の中でも屈指の大記録である。更に、水口が同じ大会で記録した2試合にまたがる8打席連続安打も、夏の甲子園大会の連続安打タイ記録として残っている。 
1996年夏の高校野球の決勝に母校松山商業が出場の際、NHKラジオ中継で試合前に電話口ゲストで応援のインタビューをされる企画があった。 
近鉄時代の元同僚である佐野重樹(現在文化放送{主にオリックス対西武戦}他CS解説者)とは松山商業時代の同級生である。 
近鉄に入団し迎えた初めてのキャンプで、当時チームの主砲であったラルフ・ブライアント、鈴木貴久らが打撃練習で外野スタンドに次々と打球を放り込んでいく姿を見てショックを受け、「場違いな世界に来てしまった。自分のような非力なバッターがプロでやっていけるんだろうか」と近鉄に入団したことを後悔したという。 
選手としてはどちらかというと地味な印象を受けるが、打席に立った時のファンの盛り上がりはチーム1である。大阪近鉄時代から変わらぬ応援歌の中では、水口ジャンプがあり、応援歌の中でも最も盛り上がる。 
2003年のキャンプでは「今年は外野守備もこなす」と外野守備練習を積極的にこなしていたが、結局シーズン中に外野で起用されることはなかった。 
2005年9月7日、日本タイ記録の開幕15連勝を記録していた斉藤和巳が新記録の16連勝を賭けて迎えた試合で、代打で登場してとどめの3ランを放ち、斉藤にシーズン初黒星をつけることに貢献した。 
2006年、7月2日三輪隆バッテリーコーチ(ちなみに彼とは同じ1969年生だが、水口の方が早生まれのため学年が一つ上。)に怒声を上げた。この日の西武戦における2度のバッテリーミスに関してと思われる。(と言ってもその時の捕手である的山哲也にも原因はあるのだが。)チーム内においてチームリーダー的の存在である水口が、三輪コーチに対して投手陣だけでは無く、捕手にもミスを指摘すべきであると不満を爆発させたものと思われる。 
現役でパ・リーグ随一の犠打の名手であり、2006年シーズン終了現在、通算歴代7位の278個を記録している。1997年、2001年、2004年と3度もリーグ最多犠打を記録している。近鉄バファローズに在籍した14年間で球団史上最多の通算犠打261、シーズン最高犠打数42(97年)を樹立 
名選手ではあるが、大島公一、金子誠、井口資仁らに阻まれベストナインやゴールデングラブ賞などタイトルを一度も獲得していない。 
特に、大島は近鉄からオリックスにトレードで放出されており(つまり近鉄フロントは水口の方を評価した)、上記のイチローの発言からイチローは打撃においてオリックス時代に自分の後ろを打っていた大島よりも水口を高く評価していることがわかる。 チームの注目度の影響もあるのか、知名度が低いために新聞記者をはじめとした世間的評価は高くないが、野球界ではそうではないことがわかる。
水口応援歌