22年間、3割を一度も打たずに達成

 北海道日本ハムの田中幸雄が17日、東京ドームの東北楽天戦で史上37人目(米大リーグに在籍している松井秀喜、イチローを含む)の2000本安打を達成した。これまで22年間のシーズン自己最高打率は、1995年の2割9分1厘。3割を一度も打たずに2000本安打に到達したのは、巨人のV9戦士で、「赤手袋」の元祖・柴田勲氏に次ぐ史上2人目である。また、39歳での2000本安打達成は、高卒では大島康徳氏に次いで2人目と最高齢の部類となる。

 昨年までの年平均安打は100を切る94.4安打で、37人中の36位。2000本の打席までの通算打率2割6分2厘は、これまで一番低かった山崎裕之氏(元西武ライオンズ)を抜いて、最下位の数字だ。また、出塁率も36位だが、長打率なら28位に上昇し、本塁打率26.69は谷沢健一氏(元中日ドラゴンズ)に次ぐ21位の成績だ。通算286本塁打は20位だが、90年代にチームの4番として長打力を発揮した代償に三振率が高くなり、三振率1割8分4厘は高い方から数えて4番目の数字。一足先に2000本安打の仲間入りをした412本塁打のヤンキース松井秀喜とほぼ同じ数字となる。

「打って仕留める」パ・リーグの打撃を貫く

 通算300本塁打に迫る長距離砲なら、四球が増えそうなものだが、田中幸雄の場合は意外と少ない。全打席から犠打、犠飛を除いた数値における四球の割合7.6パーセントは37人中30位。松井秀喜がほぼ2倍の14.1パーセントの4位であるが、イチローが7.9パーセントで田中に近いことから、田中の打撃の特徴が浮かび上がるだろう。待たずに「打って仕留める」というパ・リーグ向きの打撃を貫いた、というのが田中幸雄のスタイルなのである。

 田中は95年に、イチロー(当時オリックス)、初芝清(元ロッテ)と並んで打点王を獲得。2000年にはシドニー五輪の日本代表として活躍した。しかし、打者としての顔だけでなく、ショートという内野の要で7度の全試合出場は球界でも評価が高い。90年代の攻守に渡るパ・リーグの顔として、動きの激しいポジションをこなし、かつ試合を休まない強じんさが、田中幸雄の真骨頂である。打点王を獲得した95年に、ショートを守り、339守備機会連続無失策を樹立したが、いまだにパ・リーグ1位の輝かしい記録である。
田中幸雄
都城高では2年春夏に2季連続甲子園出場。1985年ドラフト3位で日本ハムに入団。2年目にプロ初本塁打を含む9本塁打を放ち、大型遊撃手としてレギュラーに定着した。88年には打率2割7分7厘、16本塁打で初のベストナインとゴールデン・グラブ賞を獲得。91年にはケガで1年間シーズンを棒に振るも、翌年に復活。95年には80打点を挙げて、遊撃手としては日本球界初の打点王に輝いた。また、95年6月7日から9月21日まで339守備機会連続無失策のパ・リーグ遊撃手の最高記録を樹立した。2000年にはシドニー五輪・野球日本代表に選出されている。22年間日本ハム一筋でプレーし、ファンからは“ミスターファイターズ”の愛称で親しまれている。過去に打点王1回(95)、ベストナイン4回(88、90、95、96)、ゴールデングラブ賞5回(88、90、91、95、96)
苦しんで、苦しんで、手にした勲章
史上37人目の2000本安打
去年はチームが優勝争いをし、チームも好調だったので出番は少なかったのですが
今年はチーム事情が一変して出番が増えました
通算打率が低くても、年齢が高くても、年数がかかっても
それでも価値のある2000本安打です
田中幸雄選手、おめでとうございます!!