「回り道」がこの男を支えている-。大学・社会人ドラフトで3巡目指名を受け、すでに正捕手候補として大きな期待を寄せられる25歳ルーキー高谷裕亮は、挫折を乗り越えてプロ入りを手にした。

 野球を始めたのは小2のとき。1歳上の兄智英さんとともに野球道具を購入し、のめり込んでいった。小、中学校とともに三塁を守ったが、小山北桜高に進学すると地肩の強さを買われて捕手に転向した。「捕手というポジションは脚光を浴びることはないが、試合を支配できる。すごくやりがいがあるし、転向を言われてもすぐに受け入れられた」。当時、チームのエースとして活躍していた智英さんと兄弟バッテリーを結成。甲子園出場経験はないが、2年春には同校最高成績となる県大会ベスト4に進出するなど、チームをけん引した。

 卒業後は、プロ野球選手になることを目標に、社会人野球チーム・富士重工でプレー。「大学はプロ入りまでに4年かかるけど、社会人野球だと3年でプロに行けるから」。だが、思い通りにいかなかった。自身の思い描いた道から“脱線”してしまう。

 1年目は原因不明の左ひざ痛に悩まされ、その後は腰痛も併発。公式戦に1試合も出場できないまま、2年目の12月に退社した。目標を失った高谷は、造園業を営む実家に引きこもり。一時は実家を受け継ぐ覚悟も決め込んだが、野球への情熱を捨て去ることができなかった。1年間の浪人を経て、22歳のときに一般試験で白鴎大に合格。再びレールの上に戻った。

 規定により、社会人野球を経由している選手は1年間の公式戦出場が認められていない。そのため公式戦に出場し始めたのは2年からだが、大好きな野球ができず、路頭に迷っていた時期に比べれば、大した問題ではなかった。実働3年間で、リーグ新記録となる16本塁打を記録。ベストナインも4度受賞するなど、リーグ屈指の選手にまで成長した。「あの社会人時代の2年間があったから、自分は頑張れた。周囲は苦労したなと言うけど、自分は遠回りしたとは思っていない。あの2年があったから人間的にも大きくなれた」。確かに“寄り道”ではあったが、高谷にとって決して無駄なものではなかった。【石田泰隆】

 ◆高谷裕亮(たかや・ひろあき)1981年(昭56)11月13日生まれ、栃木県小山市出身。大谷東小2年で軟式野球部「雨ケ谷学童」に入部し、おもに内野手。大谷中でも軟式野球部に所属し、栃木・小山北桜に進学。1年秋に三塁手から捕手に転向する。2年春の県大会ベスト4が最高成績。社会人野球・富士重工では故障に苦しみ、2年で退社。1浪して一般試験で白鴎大に入学。2年春から主将を務め、3年時には全日本大学野球選手権大会に出場。関甲新リーグではベストナイン4度受賞、リーグ新記録16本塁打を記録。50メートル走6秒5、遠投110メートル。178センチ、82キロ。右投げ左打ち。
高谷にはかなりの期待をしています!!苦労してきた事と、精神力です。
高谷の発言には重みと責任感が表れています。
きっと、捕手や打者としてだけでなく、チームの柱としてやってくれそうな気がします。