年の瀬にUPする記事ではないと思いますが、あと2人残ってるのでドラフト指名選手の紹介を
したいと思ってます。
2年連続県予選準優勝ですが、学校自体は盛り上がらなかったみたいです。
森福のおかげで決勝まで来ただけで、力は無いとみんな冷静に見てたのでしょうか!?
ドラフト指名会議の時も話題に上がった、野村監督との師弟関係
シダックスの廃部特例で1年早くドラフトで指名される事になりましたが、
それも野村監督のお陰・・・自分が育てた投手を他球団に獲られるのは辛いでしょうが、
森福の「プロで活躍することが、野村監督への恩返しでもある」という言葉通り
野村監督のボヤキを一杯引き出すぐらいの活躍を期待しましょう!!
したいと思ってます。
「野村の教え」を忠実にこなしたソフトバンク大学・社会人ドラフト4巡目、森福允彦投手(20)が、満を持してプロの世界に飛び込む。社会人野球チーム・シダックスで当時、監督を務めていた野村監督(現楽天監督)との出会いが、175センチとプロ野球選手としては小柄な森福をプロの世界へと導いた。 愛知・豊川高では甲子園出場こそないものの、切れ味鋭いスライダーを武器に強豪校がひしめく戦国・愛知で名をはせた。2年夏には56回連続自責点0を記録。工藤(巨人)が名古屋電気高(現愛工大名電)時代に樹立した県大会記録を更新するなど、同校を初の決勝戦にまで導いた。3年夏も決勝戦までコマを進めたが、あと1歩のところで「夢舞台」を逃した。「もう少しというところで夢をつかみ損ねたのが、逆に自分の中で支えになっていた。もっとレベルが高いところで自分を試したいと思い始めた」。森福の思いは甲子園出場から、プロ野球選手へと変わった。 豊川高を卒業すると、野村監督が指揮を執っていたシダックスへ入社。同時に野村監督に対し「プロへ行きたいんです。こんな小さな自分がプロへ行くには、どうしたらいいですか?」と素直な気持ちをぶつけた。すると、かつて3冠王も獲得したことのある野村監督から返って来た答えはシンプルなものだった。「投手はコントロールがすべてや。本気でプロに行きたいんやったら、外角直球のコントロールを磨け」。 ここから森福のプロ入りへ向けた挑戦が本格的にスタートした。ブルペン投球では、捕手に外角へ構えてもらい、100球連続で投げ込んだ日もあった。捕手の後ろでは、常に野村監督が“監視”。一切手を抜かず、反復練習したことで、誰にも負けない制球力を身に付けた。「野村監督にはコントロールの大切さを厳しく言われ続けた。野村監督に教わったことを、これからの野球人生で生かしたい。プロで活躍することが、野村監督への恩返しでもある」。名将から授かった言葉を胸に、森福がプロのマウンドに立つ。【石田泰隆】 ◆森福允彦(もりふく・まさひこ)1986年(昭61)7月29日生まれ、愛知県豊橋市出身。栄小1年時に「花田フレンズ」で軟式野球を始める。6年時には豊橋選抜の投手として、チームを全国制覇に導く。中学では「豊橋スカイラークス」で硬式野球を始め、豊川高に進学。2、3年夏の県大会では2年連続決勝戦で涙をのんだが、2年時には名古屋電気(現愛工大名電)工藤(巨人)の愛知県記録を更新する56回連続自責点ゼロを樹立した。社会人野球シダックスではJR東日本の補強選手として、今夏の都市対抗に出場経験を持つ。最速143キロ。遠投100メートル。175センチ、65キロ。左投げ左打ち。強豪校がひしめく愛知の県予選で56回連続自責点ゼロというのは素晴らしい記録だと思います。
2年連続県予選準優勝ですが、学校自体は盛り上がらなかったみたいです。
森福のおかげで決勝まで来ただけで、力は無いとみんな冷静に見てたのでしょうか!?
ドラフト指名会議の時も話題に上がった、野村監督との師弟関係
シダックスの廃部特例で1年早くドラフトで指名される事になりましたが、
それも野村監督のお陰・・・自分が育てた投手を他球団に獲られるのは辛いでしょうが、
森福の「プロで活躍することが、野村監督への恩返しでもある」という言葉通り
野村監督のボヤキを一杯引き出すぐらいの活躍を期待しましょう!!