『求め続けて』・第4章林竹二・第2節掲載の御案内。

■4章第2節本文は以下に収録
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 今日の社会は、林竹二の言う亡国の教育の結果である。本来、学問を積めば、人間的に秀でて、社会の礎(いしずえ)とならなければならない。だが、今日の教育は毒饅頭(まんじゅう)を美味(おい)しいと言って食えというが如(ごと)く、意味のない内容に特化されている。しかも、まさにクイズでしかない難問に正解すれば偏差値は幾らという、おかしな指標にマインドコントロールされている。その結果が……の現象を生み出したのである。□ 

今回は下記を特集している。
①林竹二氏の紹介と彼の授業風景の一部動画。
②林氏が「人間」という授業を行うときに題材とした「狼に育てられた子」の資料と動画。
③問題提起として、四千年前の授業風景(メソポタミアの学校)と二千年前の中国の科挙を紹介している。これを読めば、人類は進化していないことが分かるであろう


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内容の一部紹介・メソポタミアの学校と教育の歴史を振り返って。
③部分でメソポタミアの学校(四千年前)のみ一部以下抜粋を行う。主として、『世界と日本の歴史2・王たちの夢』(大月書店)を参照としている。

……
「先生は言った。『なぜ、許可(きょか)なしに話をしたか』。私は杖(つえ)でうたれた。別の先生は言った。『なぜ、許可なしによそを見たか』。私は杖でうたれた。補導(ほどう)の先生は言った。『なぜ、許可なしに立ったか』。私は杖で打たれた。守衛(しゅえい)さんはいった。『なぜ、許可なしに外出したか』。私は杖でうたれた。シュメール語の先生はいった。『なぜ、シュメール語でしゃべらなかったのか』。私は杖でうたれた。校長先生はいった。『お前の字はへただ。なっとらん』。私は杖でうたれた。……」
……

【以下は、主として私・浜田が記した】
 自然科学、医学は昔に比べ発達している、と人は信じている。しかし、進化のスピードが昔と今とではどちらが上かは不明である。何故ならば、奈良時代の人間は小さい馬を現代の馬ほどに大きくした。聖徳太子の乗っている馬を見るがよい。ロバくらいの大きさである。それが鎌倉時代の頃は今の馬ほどの大きさである。縄文時代の終わり頃に稲作農業も発明した。

 「米は……一粒一粒は、どれもみな小さい。あんなものを食べようとした人は天才だ。人々は穀物の一粒をモロコシのように、大きくもしたが、同時に粒をたくさんつける穂(ほ)をつくろうと努力した。そして、穀物は、バナナや芋類よりも、貯蔵(ちょぞう)や輸送に便利だった」(鈴木亮『世界と日本の歴史1・文明の誕生』大月書店、一九八七年、一三八頁)。

 そして、この発明により、定住を可能とした。他方、今日ですら、漁業は未だに捕る漁業であり育てる漁業とはなっていない。古代人は火も発明した。火と原爆の発明では、どちらが人類に貢献したかと言えば、前者であろう。古代人は数を発明した。何よりもゼロという概念を発明した。

 建築物でも法隆寺五重塔と現代の木造家屋ではどちらが上かと言えば回答はでている。芸術でも、彫刻などは、広隆寺弥勒菩薩(みろくぼさつ)をみればよい。岡本太郎云々(うんぬん)の比ではない。医学の面でも、〝病気〟という漢字の如く、病は気からという本質を発見した。現代人はパソコンを発明したが、古代人は言葉と文字を発明した。それでも、自然科学・医学などは現代の方が発達の速度が速いと誰もが思ってしまう。その判定は千年後には分かるであろう。
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