憤ったこと | 12枚の羽根の歌

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生きることは踊ること!

昨日は、夫の会社の人たちと、家族参加のバーベキューに行ってみました。

過去に2回あったんだけど、私はどちらも用事で行けず、今日が初めての参加。
暑いし、バーベキューがそんなに好きってわけではないから、大喜びだったわけではないけれど、まあ夫の付き合いもあるし、参加してみるか、って思った。


まじで暑かった~~~~~メラメラ晴れ
下の子は保育園ありの日だったので預けてきたけど(「できるだけ休まないでください」っていう保育園なので)、
上の子は一緒に行って、バーベキュー場の隣の小さな人工の川で水遊びとかしてた。


私も、それなりに、夫の会社の人たちや家族の人たちと、喋ったりして交流してたんだ。



ところがさ。
明らかに、食べ物が余ってるんだよね。それも、ものすごい量。

大きなおにぎり、
焼き鮎、
焼きそば、
焼きトウモロコシ。

それぞれ6~8個ずつくらいはあったと思う。


そろそろみんな満腹になった頃、トウモロコシを全部捨てようとしてる人がいるのを見て、目を疑った。
「だって、焼いてあるから、時間が経ったら硬くなっちゃいそうだし……」
って言うんだよ。


もったいないから、うちで持って帰ります、って全部引き取ることにした。


余った他の食べ物も、「鮎は、身をほぐしてご飯と混ぜたらおいしいよね」って言いながら、持って帰れるようにビニール袋に分けたけど、
いざ「持って帰りませんか」って声かけても、みんな「ウチはいいです」って言うばかり。



なに言ってるの? って悲しくなった。
そりゃさ。暑い中で、腐るのが心配とか、食べきれない、食べたくない、って気持ちもわかるよ。
でも、6、7家族いて、全員が全員そうって、どういうこと?

お金さえ払えば、
施設のルールさえ守れば、
それでいいの?

食べ物がここに来るまでにたどってきた道への、尊敬の気持ちはないの?
命をくれた鮎たちや、
一生懸命育って収穫されて来てくれたお米やとうもろこしや、
それを育ててくれた農家の人たちや、ご飯を炊いてくれた人たち。


そういうもののことを思ったら、そんなに簡単に「可燃ゴミ」になんてできないよ。



だーれも持って帰ろうとしないので、すごくすごく悲しくて、憤りの気持ちでいっぱいになった。
「こんな人たちと付き合いたくない」って、否定的な気持ちになった。
そんなに強く「憤る」のは、久しぶりだった。


あ、私、ものすごく感情的に反応してる、って思って、とりあえず落ち着いてみようと思った。
それはそれ、これはこれ、で、できるだけネガティブな気持ちに捉われないように接しよう思った。

でも、「じゃあうちが持って帰ります」「次は、もうちょっと頼む量を減らした方がいいと思うな」ってことは、その辺の人に聞こえるように言った。



私の常識、他人の非常識。
他人の常識、私の非常識。


できることは、自分にできることをすることと、自分の感じたことを伝えることだけ。



うちに持って帰ってもし食べ切れなかったとしても、
燃やすゴミではなくて、土に帰そう。
それができることを喜ぼう。
人のことを憤って責める気持ちを持つのではなくて、自分にできることを楽しもう。
おいしくいただこう。


って方に、気持ちを切り替えてみたよ。

はぁぁ。
憤りを手放すのは、けっこう大変だったあせる
「自分が正しい」って思っちゃってるだけにね。



なんだか、とにかく、
毎日大地や命を尊敬しながら、つながって生きていくことの大切さを、改めて感じました。
自分はそうしていこうって、より強く感じました。