選挙の時期になると、日本中が不穏なエネルギーに包まれているように感じて

気分がすぐれない。

憲法改正がどうのこうのではなく、善悪を唱える二元論の空気に完全に包まれているように感じるからだ。

非二元、ノンデュアリティこそ、すべての人類が抱えている問題をクリアにすることのできる立場だと分かっているのに、

子どもの頃から親に立会演説会やら政治経済の話を聞かされていた私は

自分自身が善悪の立場にたってしまい、感情を揺り動かされてしまうのだ。

特にスピリチュアル系の人々が、三宅洋平やら山本太郎やら、

一見純粋そうな内容にいとも簡単に流されて、

連綿と続く日本の素晴らしさを(普段はそういったスピ系の人も日本の素晴らしさをとうとうと語るくせに・・)

すべて失わそうとする勢力がバックについていることも知らずに

彼らに熱くなっている様子を見ていると、

どうも見かねて批判している声が自分の内部で燃え上がってきてしまうのだ。

どちらの考えが正しくて、戦争を引き起こさない考えなのか、そんなことが決まっているわけではなく、

ただただこの、「戦争と平和」という二元性の世界を超えない限り、

それぞれがみる現実の中にはいつまでも争いが消えることはない。

それが、頭では理解できているのに、わたし自身が「自分の考え」というものにしがみついている。


けれども、そんな情けない自分を見つめることで、

「平和、平和と歌っているあんたたちが戦争を引き起こしてるんじゃないか!」という思いにかられて

穏やかになれない理由に今回は気づくことができた。


そう、私の中に

戦争を怖がっている自分」をはっきりと見つけた。

人が人を殺すこと、血だらけになって・・獣のように

その様子はこの肉体に深く焼きついた人類のトラウマとして私の中にもしっかりと横たわっていて・・

「戦争が怖い」という当たり前のように聞こえるこの声は完全に二元の意識からみた声。



その悲惨な中においてさえ、「ほんとうの今ここの意識」からみれば、

全てが完璧で、全てが許されていて、

ただただ人類のストーリーの世界、幻想の世界を生きているだけなのだということを

忘れてしまっていた。

完全に個の「自分」というものが削ぎ落とされて、非二元を生きていたなら

戦争にさえ、愛を 美しさを見ることができるのだろうに・・。



どんなに、三宅洋平を政治の世界に送り出したとしても、

あるいは逆に、憲法を改正したとしても、

一人ひとりが、「不二自他」「非二元」「空即是色色即是空」・・・これらの境地を味わわない限り

新しい地球をみることはできないのだった。








半年ほど前、友人にマネーゲームのような

かなり率のいいお話が舞い込んで来て誘ってもらいました。

リスクも少ないし、ネットワークビジネスでもなさそうだし・・。

友人は、さも嬉しそうに

「自分自身が億万長者、世界の一パーセントになって

困っている人を助けるんだ」と。


実際、そのほかにもその友人は、次から次へと

美味しい話を聞きつけては飛び込んでいったのです。


私も冒頭に書いた、ゴールドに関するとある美味しいお話だけは

やり始めたのですが、(結局はやめることにしましたが)

どうも、なんか自分のポリシーと外れているのではないか?という

危惧はありました。やり始めながらも、何かが違う気がして

お金というものがこの世を支配している現実に対して

少し学び始めました。


スピリチュアル系の人がいう、「お金はエネルギーだから・・」

「どんどん、自由に豊かさを追求して手にしていいんですのよ

そんな欧米のスピリチュアル系から派生したような甘い言葉にも

何年もずっと疑問があったのです。


もちろん、この世を創造しているのは自分自身の意識なのだから

お金に対してももっと自由な気持ちを味わっていいんだということは正しいと思います。


でも、日本人が本来知っていた

「足るを知る」という言葉は本当に深いですね。


欧米人は、貪欲にどこまでも貪り、植民地支配を繰り返し

今のテロにも繋がる、アフリカや東南アジアの国々の貧困を引き起こしてきたのです。

そういった一つ一つのことが見えてくると、

果たして、一パーセントの富裕層を目指すことが、

貧困を無くすことに繋がるのでしょうか?

まったく逆ですよね。

本当に人を助けたい人は自分自身が貧しくてもすでに人の為に動いているだろうし

自分が飽くなき欲望でマネーを求めるその意識が

貧困を生み出す側の仲間になっていることに気づかないといけないですね。


私も最近まで歴史を学びなおさずにきたので、

欧米から輸入されてくる成功哲学やスピ系でいうところの

「豊かさ」の定義に対して違和感だけを持っていました。


スピリチュアルなことを仕事にしていても

「豊かさ」という言葉を履き違えて

「稼げない」という思いに囚われている人は結構いますね。

『豊かさ』ってモノやお金じゃないですよね。

どこまでいっても

「だって自分が豊かじゃないと人を幸せにできませんから・・」と

いつまでも”自分はまだ豊かじゃない”という現実を作り出しているのですね。



興味のある人は求めてください。学んでください。


『エンデの遺言』という本が出ています。

NHKでかつて放映されたそうで

本の内容は少し難しめなので他で解説されているものの方がとっつきやすいかもしれません。


物質界で、貨幣というものだけが

唯一減っていかない化け物と化している
ことに気づかされるでしょう。


銀行に預ければ、利息というしくみもすでに受け入れてしまっているし、

完全に今の経済の仕組みを変えることはとても難しいことですが

そこに気づいていかない限り、地球は滅びてしまうのかもしれません。


他に、高木悠鼓さんの「楽しいお金」「楽しいお金3」もネットで探してみてください。

スピリチュアルな面から見た、お金に対する基本が学べるでしょう。


後は、まだ私も途中ですが、

田中優さんの「戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方」など、

この世の仕組みを学んだ上で、自分が何を選択していくのか

大切なことだと思います。

いつも自分の意識を見つめることが大切だと書いていますが

この世の住人である限り、何を排除して何を選んでいくのかということは

自分が美しく生きていくためにも大切なことじゃないかなと思っています。


戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方―エコとピースのオルタナティブ/合同出版
¥1,512
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エンデの遺言 ―根源からお金を問うこと (講談社+α文庫)/講談社
¥918
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実は、私もよくやってしまう失敗だったのですが、

それを今日はシェアしてみようかと思います。


子どもの頃から家庭ではニュースをよく見ていて、

実際、父親も政治経済に関心があり、親しくしていた政治家さんもおられたので

私自身もずっと関心を持っていました。

「この問題についてはどういう意見をもっていますか?」と聞かれたら

自分なりの意見も持っているし、投票行動もして主張もできます。


が、ワンネスといわれる世界、ほんとうの平安を願うなら

こういった意見、思想はいったん捨て去らなければならないのだということも

最近ははっきりしてきて、かなり政治的な動きや

人々の熱い論戦にも冷静でいられるようになりました。


最近では、安保問題や反原発なんかがそうですね。

一時、自分の意見と異なる人たちへと沸々としたおもいが湧いてきて

「どうしてあの人たちは頭が悪いんだろう。浅はかなんだろう。」

と、苛立ちを覚えたりしたものです。

そんな自分の『憤怒』という感情は成長するときのチャンスです

自分のその感情をきちんと見つめる目が大事ですね


スピ系の人でも、安倍総理に対しての意見は結構分かれている気がします。

日本人であること、そこに執着しすぎると、

地球規模でのものの見方という点では、偏ってしまうときもあるだろうし、

でも、日本人の本来持っていた素晴らしい才能は

きっと地球を再生し、人々が許し合っていくために

リーダーとしての役割を発揮できるのではないかとも思います。



右だとか左だとか、戦争反対だとか、反原発だとかを声高に叫ぶことによって

私たちが創り上げている世界はどんなものなのか、

もう一度私たちは冷静に見てみなければならないと思うのです。

結局は意見の異なるものの対立、分断が生じるだけなのです。

それに気づいた人は、

自分自身の意識状態を更に冷静に鋭く見つめることができるのだと思います。


アジャシャンティも「大いなる恩寵に包まれて」で、

私の意見、考え、信念・・・そういったものを全て捨て去るようにと言っています。

対立を超えることによって、静寂が訪れ、苦悩が終わり、

その先には、

無関心ではなく

実際に起こっていることにもっと深く、親密に関わっていく世界が待っているというのです。



国会議事堂の前でデモ行動を起こしたり、

シュプレヒコールをあげることは、その人たちのいう世界平和を生むことには

つながっていないということに気づくか気づかないかは

とても大きい

人類の意識の変容に大きく関わっているように思います。


こんなことを題材にした歌を

いま高校生たちに人気のセカオワが歌ってくれていたりしますよね

天使も悪魔も同じ。正解も不正解もない。



もっともっと多くの人が来年は気づけるといいな。

マスコミに躍らせれず、本質を見極めて。


見つめるべきは自らの意識のみ

意識を見つめることに対しては、どこまでも厳しく


せめて日本においてだけでも、分断が深まらないように

願うばかりです。