わたしの想い | 地球のお母さんになりたい

地球のお母さんになりたい

地球に生まれ、地球に育まれ、地球に与えられ、いまここにいる私。いっぱい包んでもらったから、私は地球のおかあさんになりたい。
みんなのお母さんになりたい。




2011年3月11日、

東日本大震災が起きた日。


私は、国立にいた。
そこで、瞑想の個人レッスンを受けていた。

二人で向き合う中で、地震が二度やってきて、

地面が揺れるには揺れたけれど、

結構大きいなとは思ったけど、

すぐさま静けさに戻って、

ただ、静謐さだけが広がっていた。

帰り道、周りの風景も普通だった。


駅について設置された大きなテレビを見てびっくり。

仙台空港が水に飲まれている。

目の前の光景が、現実のものとは思えなかった。


そこから、家に着いたのは12時間後。

長い長い一日だったけれど、その後届けられた多大な被害、

そして、地震で命を落とされた大勢の方々、様々なニュースは、

予想を超えて、私たちの生き方にも大きな影響を与えることとなった。


東日本大震災前から、

決めていたセドナへの旅。

こんなとき、どんな気持ちで旅行にいけばいいんだろう。


旅行を決めたときは、セドナの大地で、

クリスタルボウルと共に歌が歌えたらいいな、

そんな気持ちでクリスタルボウル奏者として
第一人者の
牧野持侑さんのレッスンを申し込んでいた。


計画停電の中、レッスンは行われ、

私は牧野さんのアトリエで、

一度割れたというセドナというモルフボウルを手に入れた。



この一番左橋のボウルがそれ。

色も響きも、マザーアースそのもの。

その響きをきいたとき、セドナの大地で、

マザーアースに歌を捧げようと決めたのだ。


ツアーを率いてくださったのは、

日本人の写真家の女性で、

彼女はインドの聖母アンマの信者であった。

その彼女の先導で、日本への祈りを捧げた。

カチーナウーマンの岩での朝日に、

そして、夜のレッドロッククロッシングで。

いずれも美しい、美しい祈りであった。

そして、明日は日本に帰るという日。

この旅は、私をどんどん黙らせてしまい、

グループの人たちとの、普通の会話もつらいくらいの変化があった。

そのことすらも、シェアできないまま。

それでも、無理に会話ができない不器用さ。


そんな自分を抱えて、最後にエアポートメサに登るつもりが、

道を間違えて、小さなトレイルに足を踏み入れた。

サンライズトレイル。私の名前と同じトレイルに、何となく心惹かれて、

小さな丘をたった一人で登った。


立ったひとり。セドナに何をしにきたのか。

仲間で来たはずが、孤独が際立った旅で…。

心の中に、声が響いた。

「これからあなたが行く道は、

誰も一緒に歩いてくれないかもしれない。

ひとりで進む道かも知れない。

それでも、あなたはあなたの道を行きなさい」

そのとき、私の心に迫るものがあって、

たった一人で行く道というのが、

リアルに感じられて、私は泣きだしてしまった。


そのときだった。

たった一人でなく私を、

温かくて大きなものが包み込んだ。

まるで、大丈夫、私がついているからというように。


セドナに来てから何度よびかけたろう、

それはマザーアースのエネルギーだった。


私のちっぽけな感謝の想いの、

もう何千倍、何万倍という大きさで、

私の存在そのものを抱きとめてくれたのだ。


人間のちっぽけさ。

マザーアースの大きさ。

一人じゃないとからだでわかった瞬間。


そのときのことは今も忘れられないのだけれど、

その体験を、今回、ブログのタイトルにしようと思った…。


これは、わたしの想いそのもの。


“地球のお母さんになりたい”


地球を抱きしめられるような人に、
わたしはなりたい。