私はこれから旅行記を記そうと思う。なぜ、突然、そのように思ったか。それは、なぜだか最近、訳もなく、突然死んでしまうような気がしてならなくなったからだ。私はここに旅の記録を記し、自分の生きた証として遺しておこうと思った。生きた証を遺しておく方法には様々な方法がある。友人がいれば、死後に私のことを懐かしみ、「ああ、そういえばあんなやつもおったなあ」などと思い出してもくれよう。恋人がいれば、私の死が、恋人の胸に深く刻まれ、わざわざ思い出すまでもなく、痛みとして遺ることだろう。子供がいれば、私の生きた証は、子々孫々に脈々と遺伝子の中に受け継がれていくだろう。しかし、今の私にはそのいずれも期待できそうにない。とりあえず、私がアパートで孤独死したら、その腐敗臭漂う部屋の中から、腐りかけた死体の脇にあるこの旅行記を見つけてもらい、こんな人間がいたのかと、まあ、ほんの少しでも感じてもらえれば幸いだ。
なぜ、訳もなく突然死んでしまうような恐怖に駆られているのだろう。現代社会は人間の長きにわたる自由と権利の獲得を巡る闘争の末、贅沢なことに弱者救済の制度が整えられた。医療のめざましい発展により、平均寿命は大幅に引き上げられた。何千年にも渡る、人類の殺し合いの歴史を経て、人間は殺し合いをすることの過ちに気づき、殺し合いを違法とするに至った。化学肥料の発達、交通網の整備による輸送の大規模化により、少なくとも日本では飢饉の心配をする必要がなくなった。人間は滅多なことでは死ななくなったのだ。それでも私は突然の死に怯えている。それは一体、なぜなのか。なぜなのだろう。きっと、それは私が幸福というものを希求しているからなのだろう。そのくせ、自分が幸福になっている姿を想像できないのだ。だから、幸福になる前に自分は死んでいるに違いない、すなわち、今日にも明日にも死ぬに違いないと思うのだ。
なぜ、このような非常にネガティブなことを書いて序文としたのかというと、大半の随筆文学というのはネガティブなものだからだ。「方丈記」にしたって「徒然草」にしたってその根底にあるのは無常観であるし、無常観を根底に据える以上、ネガティブなものにならざるを得ない。私は日本の随筆文学の伝統に則り、無常観をテーマに旅行記をしたためることとする。
さて、旅とは何であるか。紀行文学というものがある。「海道記」にしたって「東関紀行」にしたって「十六夜日記」にしたって「とはずがたり」にしたって、誰だって好き好んで旅をしているわけではない。大概が、世捨てだったり、何かのやっかいな仕事で仕方なく旅をしなければならなくなったということが多い。昔の旅とは命がけであった。道を通るとなるとあちこちに関所があって、たんまりと金をせしめられる。山賊も跋扈しており、命を狙われる。道は整備されておらず、険しい峠を越えねばならない。道に迷うことも多々あっただろう。誰も旅をしたくてするわけではないのだ。ただ、時代が下ると事情が変わってくる。江戸時代になると関所はみかじめ料ではなく、治安維持のための施設となる。街道沿いには宿場町が整備され、治安もよくなり、街道沿いであれば、山賊に襲われるということも少なくなった。犬がおかげ参りをして帰ってくるほどである。江戸時代には旅が義務から趣味へ変わったのだろう、松尾芭蕉に見られるように好きで旅をするものも出てくるようになる。
では、私はなぜ旅をするのか。私が旅をする理由……。それは私という存在を消してしまうためであろう。人間の人格というものは他者によって決定されるものであると私は考えている。他者が私をこれこれこういう人間なのだと評価したら、私はその評価に基づき、自分という人間を理解する。私は常に自分という人間を客観視していたのだ。いや、本当は自分ですらも自分の正体を理解していないだけかもしれない。自分ではわからない自分という存在を他者の尺度を用いて理解しようとしているのだろう。そこで、私はむき出しの自分とは一体、何であるのか知りたくなるときがある。そのようなときに旅をするのだった。見知らぬ土地、誰も私を知らぬ土地。私を私と規定する存在がいないその土地では私はむき出しの私となる。誰も知らない、私ですら知らない私が存在する。お前は誰だ!? 旅をしたときに、誰もいない、動物の声しか聞こえぬテントの中、妙な孤独感に襲われるのは、ここに誰も存在しないからなのだ。私ですら存在しない。存在するのはただ、肉体という器だけなのだ。
旅行記ということもあり、一番初めは順番を前後させて、豊田市博物館の伊能忠敬展に行ったことを書こうと思う。