帰国も1か月を切った現在、少しでも多くの街を訪れてからこの国を去りたい。
そう思っております。
台湾は9月入学なので学生にとっては先月から、新年度が始まったばかり。
(ちなみに、台湾は男性に徴兵制がある関係で、日本の様に一斉入社では無く、兵役を終えた人から順次就職をします。入社式を行う会社も一部だそうです。)
さて、いよいよあと数日で私の『価値観』に最も影響を与えたホテルであり、特別な時間を過ごせる空間だった
『ホテルオークラ東京本館(以下:本館)』は既に、The Okura Tokyoとして新たなオークラに生まれ変わりました。





オークラ本館には大変お世話になりました。
家族や友人との食事、音楽鑑賞、芸術鑑賞をさせて頂き、時には著名な方をお見かけしたりと、全てにおいて特別な空間でした。




実に惜しいことです。
まさか全面的な立替とは、、、、
2019年完成予定の「新本館」は現在の本館とは全く違う外観の様です。
東京中央郵便局や、神戸地方裁判所のように「ファサード保存」でもなく、
目黒雅叙園や梅田阪急百貨店本店のような立替前の外観を踏襲するわけでもない。
ただただ寂しいと思うばかりです。

正に日本の伝統美を凝縮したような「本館」

あの海鼠(なまこ)壁と三ツ矢式の素晴らしい外観、
オークラランタンと呼ばれる切子風照明、金箔工芸を施したエレベータ、
今はなき「レニングラード(現サンクトペテルブルク)」の地名が今でも入ったSEIKOの電子世界時計。
その他、数多くの日本の伝統工芸が散りばめられた内装は、
今では再現不可能な装飾も数多くあるそうです。
(平安の間の壁面と5.6階の二層構造のロビーは圧巻です。)
台湾の圓山大飯店と共に「時が止まった」ような空間でした。



何故なら、館内は隅々まで完成当時の装飾を留めており、椅子や机はこまめに修繕し、空調も実に快適さを保っております。
館内レストランには、完成当時からの旧社章が描かれた食器が大切に使い続けられております。
今では、台北を含め世界各国で展開する「ホテルオークラ」
この象徴である『本館』は1962年に開業
まだ戦後17年でした。
この1962年は、
東京都が世界で始めて人口1,000万超の都市となり、
東海道新幹線の時速250km試験走行が始まり、
日本のGDP成長率が前年比11.7%の成長を遂げている(その更に前年は12%成長)
等『技術、設備、社会福祉、娯楽、カネ』全てにおいて正に「日本の黄金期」でありました。
現在の「本館」は、
地下2階地上11階建(正面玄関は5階)
客室408室
レストラン7店
バー1店
宴会場15室



完成当時「1万8,000坪の芸術」というキャッチフレーズで開業当初から、
各国の王族、貴族、国家元首、国際機関関係者、芸術家の宿泊先、会議場、晩餐会場として
名を馳せてきました。
特に、開業した1962年は『皇居宮殿(1968年完成)』も無く『赤坂の迎賓館(1974年改装完成)』も未だ迎賓館としては機能しておらず、内外のVIPの集いの場として大きな役目を果たしていたそうです。
そして、この本館の最も素晴らしいところは「建築当初の面影を限りなく保全している」ということです。
正に
「和のタイムカプセル、和の宝石箱」と言えます。

取り壊し前に訪れることが出来ないことは
私の後悔の1つですした。
もし、大阪のリーガロイヤルホテルの様に「BELCA賞」などの保全を讃える賞を受賞しておれば、
状況は変わっていたのでしょうか。
新しくなったThe Okura Tokyoも素晴らしいホテルかと思います。
東京へ訪れた際は、是非虎ノ門へ。