まだまだ続きます。

幼少期1ヶ月~2歳




緊急治療室に運ばれたその後

待っていったのは一本の電話だった。




「もう育てられません。勘弁してください。」




母からのか細い電話だった。


病院で細かい検査を受けると、直ぐに母は精神病であり、障害者1級クラスである事が分かった。



つまり僕が産まれてから1ヶ月



母も僕も同時に入院した】



それから母の記憶は暫く無い。

会っていないのだから当たり前かもしれない



しかしこう見ると一見悲劇的に見えるかもしれないが、


勿論、僕にも父は居る
人類はいつでもそうして産まれて来た。


僕と母の状態を直ぐに聞きつけ病院に駆けて来た。









…………と、言いたい所ではあるが








父は一度も病院に顔を出す事は無かった











何故ならその間に父は家出をしたからだ。






産む予定の無い僕が産まれて、怖気づいてしまったようで出産の立ち会いもいなかった。





そんな父の特徴は



・ニート
・マザコン
・風俗好き
・ギャンブル好き





の、4点盛セットである。
お腹いっぱいである。






そんな父は33歳だった。




仕事もしないで、青森の家でママにお金を与えられてぬくぬくと甘えて育った父には






【子供】という責任は負えなかったようだ。








父も来る事なく、母も来ない。





そんなが続いた。





病院に預かられた状態が1年ほど続いた。









すると、母の気持ちは落ち着いたようで




「この燃えるゴミを捨てますこの燃えるゴミを捨てますこの燃えるゴミを捨てます…





と、死んだような目で呪文のように唱え、僕を預から家に戻った。




お金が底を尽きたのでいつまでも、入院する訳にはいかないのだ。






そして、見事に捕獲された僕は
の実家に戻ることになる

















父の実家に住み込んでいた、母は父の実家へと帰った。

家に帰ると父はいた。





あっという間に家出から戻り、ぬくぬくとコタツに入っていた。







痩せ細った母と、謎の燃えるゴミを見て父は怯えた表情でこう言った。
















「あの…どなたですか…?」
















やられた。
完膚なきまでに。



母には怒鳴る力もなかったのだろう。











23歳の母は、自分の実家に戻った。

父とは暫く距離を取るつもりだったのだろう。




それから僕は2歳になる。