Yellow Magic Carnival

Yellow Magic Carnival

don't shoot it at people, unless you get to be a better shot. Remember?

Raymond Thornton Chandler「The Big Sleep」(1939)

ご存知


三船敏郎主演


黒澤明監督作品


『椿三十郎』の


(1962/東宝・黒澤プロ)


原作となった時代小説。


当初黒澤明監督は


原作通りに映画を拵える


腹積りで居たらしく


本小説作品の主人公には


森繁久彌主演の


『社長』シリーズ


或いは山口瞳原作


岡本喜八監督作品


『江分利満氏の優雅な生活』


はたまた東宝の


8.15シリーズなんかで


御馴染みの俳優


小林桂樹さんを起用する


予定だったらしいのだが


其れを前提に


作品を読み進めていくと


なる程、確かに


菅田平野は


如何にも小林桂樹さんが


演じそうな人物像である。


理想に燃え


若さと体力を


持て余しに持て余した


終始血気盛んな雰囲気の


若侍達に対して


城代家老奪還の為の


条件と称し


誰一人として


傷付けはしない、と言う事を


良い意味でくどい位に


厳命してみせる所なぞは


如何にも暴力行為とは


無縁な雰囲気をお持ちの


小林桂樹さんっぽいよな、と。


でもって、其れなりの矜持を


常に持った上で


日々生きている為


いざ、自身がぞんざいな扱いを


受けたりするとなると


怒らずにはそして腹を立てずには


ついつい居られない所なんかは


『社長』シリーズなんかで


何度となく垣間見させていただいた


展開と言うか人物描写だ。


あゝ、後食事に対して


矢鱈ガツガツしている所なんかも。


物語はてんやわんやを経て


読者に非常に爽やか


且つ晴れ晴れとした


気持ちを抱かせた状態で幕を閉じる。


何より主人公の


笑顔で終わると言うのが迚も良い。


山本周五郎、


其の御名前だけは


と言う様な方に


是非是非本作品をお薦めしたい。

此の物語は


誤字脱字が多く


其処に綴られている字にしても


決して綺麗な字とは


言い難いのだけれど


此の物語の主人公である


一郎少年に対する敬意


且つ「めんどなさいばん」を


如何にかしたいと言う


熱意はしっかりと伝わって来る


「山ねこ」からの葉書が


一郎少年の所へと


舞い込む所から幕を開ける。


翌日、あっちフラフラ


こっちフラフラと言う具合に


山の中を歩き回って


漸く「山ねこ」と


遭遇する事に成功をするのだが


法廷では沢山のどんぐり達が


「だれが一番偉いか」で


侃侃諤諤意見を交わしていた。


俗に「どんぐりの背比べ」と言う


昔からの諺があるけれども


あーでもない、こーでもないと


どんぐり達が


延々意見を戦わしている様子は


まさに「どんぐりの背比べ」であり


側から見ていると


誠に滑稽で哀れで


そしてこれっぱかりも


意味が感じられない。


雲の上に居る


神さまから見た


我々人間の姿も


丁度そんな風に映っているに違いない。


何をそんなにあくせくする必要が


彼等彼女にはあるのだろう、と。


そう考えると一郎少年は


所謂「岡目八目」な立場にあり


そして他所の世界からやって来た


「まれびと」的な立場にある。


故に誰も傷付ける事無く


そして誰も否定する事無く


此の場合の「最適解」を


見出す事が出来たのではなかろうか。


個人的には競い合う事


そして議論を戦わせる事は


大いに結構だと思う。


勝ったり負けたりを


繰り返した結果


人間が磨かれた、なんて


事例は腐る程ある訳だし。


併し、出来る事なら


後腐れ無く


笑顔で其の場を


離れられる様に


フェアに振る舞いたいものである。

来た道を戻る。


其れもたった独りで。


一寸した距離なら


いざ知らず


其れなりの距離を


独りで戻らねばならぬとなると


そこそこに年齢を重ねた人間でも


誠にドキドキするモノだ。


此の『トロツコ』には


そこら辺のドキドキ感が


非常に上手く描写されており


読み返す其の度に


すっかり感心させられてしまう。


物語の終盤


果てしないトロツコのレールは


トロツコのレール同様


途轍も無く且つ果てしない


人生と言う名の旅路と


ダブる様な描写が為されているが


文字通りそこそこの


年齢を重ねたお陰もあってか


ただただ仰る通りで御座います、と


静かにこうべを垂れるばかりである。