CreatorShinchan ブログ

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不惑にして作曲はじめました。
技術も何もありませんが、自分にとって大事なことだと思うので、恥を覚悟で作ります。

Amebaでブログを始めよう!
最近ずっと曲作りがお休みになってるのと、以前書いた「かわる」の記事を今読みなおしてみたら、何か全然書くべきことが書かれてない気がしたので、今回初めて、作曲のタイミングと関係なく記事を書いてみることにした。


まず、最近曲作りをしてない件だが、これは本当に単純に「何となく」休んでるというだけの話なのだけれど、仕事でもなく誰かに頼まれてるわけでもない趣味って、ちょっと気分が乗らないとついつい休んでしまうものだったりする。
「曲を作れるかどうか」で言えばまだ作れる状態なのでネタ切れではないのだが、それでも気分が乗らないのは実は、「特に歌にしたい言葉がない」ことが原因かもしれない。

以前からたまに書いてる気もするが、実は歌詞というのはすごく重要だったりする。最近の日本の音楽ってあまり歌詞を重視しないというか、消耗品として次々に売りださないといけないので、歌詞で訴えかけるものがあまり見当たらないが、人々の頭に長く残るのは実は楽曲ではなく歌詞だったりするので、歌詞を軽視するのはすごくもったいないと私は思う。

私は作詞がどうも苦手で、何か毎回違和感を感じつつ作っているのだが、それでも無意味で適当な歌詞をつけてしまうのは、折角作った曲を無駄にする気がするので、「これを歌にしようかな」というネタがあるときに限って曲作りする傾向がある。
今は何と言うか、感情に迷いがあって思いが言葉になりにくい状態、という感じだ。


ちょっと自分語りが長くなったので、前回の曲「かわる」を作ってる時の話に切り替えるが、「かわる」を作っていて気がついたのは、「デタラメな曲は作れない」ということ。
「かわる」の最初のほうに、デタラメな感じで音が並んでる部分があるが、あれはデタラメに音符を並べたものではない。これは作曲をしてる人には当たり前のことかもしれないが、音符をデタラメに並べたら、単に不快な雑音にしかならない。人が音を曲だと認識するには、実はルールがあるのだ。
それがスケールだったりコードだったりするのだが、私は作曲の勉強をしていないので、未だにこういう話はよく理解してない。でも、自分で曲を作ってみたらどうしても、先人が見つけたそのルールに自動的に従うことになるのだ。

こういう話をすると、やっぱりまずは理論が大事だ、みたいな誤解をする人がいるかもしれないので、そこは正しておきたいのだが、作曲を始めるのに理論は必要ない。むしろ、全くの素人のほうが、理論を超越した作曲をする可能性があるかもしれない。

ただ、色々試してみたら単に理論通りだった、という感覚は、個人的にはなかなかビックリしたことで、もうちょっと理論を知っておいた方がトクだろうなという気持ちは正直ある。未だに勉強はできてないのだけれども。


この曲のYouTube上の保管場所 → http://youtu.be/rwCVoya2LSs

この曲は、自分の心の中で起きた変化について、ちょっと日記的に曲にしておこうと思って作ったもの。実験的な曲になってるので、わざわざ人に聞いてもらうようなものではないのだが、こういうものも作っておかないと自分の中だけで溜まって廃れてしまうのでカタチにした。

具体的に何の変化かというと、身の回りの出来事と、曲作りとに関して、どちらも似たような意味での変化があったのだ。簡単に言えば、「今まで繰り返しやってきたことを変えたくなった」みたいなことだ。


まずは曲作りでの変化について話すと、基本的に私は(ここでも過去に書いたことがあるけれど)フォークソングとか80年代歌謡曲とかの、シンプルで歌いやすい、気持ちのいい曲が好きなので、自分の曲作りも自然とそれに近くなる。
なのでもし、その曲が、「どこかで聞いたことがあるような?」という曲になったとしても構わない、というのが基本的なスタンスで、多くの人にとって気持ちの良いメロディラインが作れればそれでよいと考えている。

でもこれまで、小作品なども含めてもう30曲ほどオリジナル曲を作ってきたためか、ここにきて急に心の変化が起きた。メロディラインで何か「変化」したいのだ。今までメロディライン中心の曲作りしかやってないのに、他のところの変化ではなく、やはりメロディラインというのが我ながら少し面白い。ちなみにメロディラインの何を変えたいかはまだハッキリしない。

余談になるが、ある知人に「何か変化したい」気持ちがあるのだと話したら、アレンジ面など別の話をされて困ってしまった。その人は「俺が聞いてそう感じたのだからそれが正しい」みたいな主張を続けたのだけれど、私が感じてるのは曲作りの中での心の変化の話なので、曲を聞いた人がどう思うかではない。

実際のところ、「変化したい気持ち」というのは、物作りをしている人には結構よくあることなのかもしれないと思う。それまでにある程度満足して作っていたのに、ある日急に飽きてしまうというか、「自分を表現できていない」という気持ちになるのだ。でもこれは、今まで作った物が自分を表現できてないという意味ではなく、今の自分とは何かズレてる気がする、ということだ。

ただし、これって必ずしも良いことではない。よくベテランの歌手が、自分の持ち歌を正確に歌わないシーンを見かけることがあるが、あれはまさに悪い例だ。もう何百回と歌ってきたせいで、歌に飽きてしまったり、今の自分とのギャップが不快だったりして、歌を勝手に変えてしまうのだろうが、そのせいで歌をダメにしたりする例が沢山あるはずだ。

しかし、それでもやはり変化は成長だと思う。過去の偉大な芸術家の作品はどれも、「どうしてここまで作り上げられたのだろう」というものが多いが、これもきっと、繰り返し繰り返し作ってるうちに、「何かを変えたい。自分が納得できない」という気持ちが起きたのだと思う。
それがどこまで伸びてどういう結果になるかは、その人の才能次第なので、やってみない限りどういうことになるかは分からないけれども、過去の偉人はその才能の限りまでそのプロセスを積み重ねたんだろうな、ということを強く感じる。


一方、私の身の回りでの変化、というのは、東京から福岡に引っ越してもう3年目になるので、もうさすがに、東京に戻るのか戻らないのかハッキリ決めるべき時期が来た、ということ。
これは色々な要素が絡む問題なので、今まで先送りにしてきたが、自分の中では何となく、それって今年なんだろうなあ、という気持ちが以前から強かった。
それと、これはちょっと毛色が違う話だが、先ほどちょっと出た知人とは、実は交流を断つこととなった。人づきあいが下手なくせに寂しがりやで心配性の自分が、人との交流を断つことになるのは珍しいのだが、これも何かが変わる時期がちょうど来ていたのかもと考えている。


ところで話を曲作りのほうに移すと、今回の曲は簡単に言うと「変な曲」だ。
メロディラインを昔ながらの聞きやすいものじゃなく、何か変えていきたい、という気持ちを先鋭化させたような、メチャクチャな感じにしている。
でもそのメチャクチャな音の並びが、途中から普通の曲に変わっていく、というのは、本当は私の今感じている方向とは逆なのだが、まあ「かわる」というテーマなのでよかろう、という感じで仕上げてみた。

曲が短く、終わり方も尻切れトンボみたいに、「あれ?これで終わるんだ」みたいな感じになっているが、本当はもっと長く続かせる構想があった。もうちょっとメロディを加えて、ある程度しっかりした長さにしようと思っていたのだが、ちょっと早く切り上げたい感があったので、ここまでとしてしまった。
作曲は意外と気力や体力が必要だったりするので、こういう「もう仕上げちゃいたいなー」みたいな欲求が高まることがよくある。本当はここを乗り越えて繰り返し作り込んでいかないといけないのだが…。

この曲の保管場所 → http://youtu.be/2EHReYDi8H0


このブログは今までずっと、曲を作るたびに1つ書く、みたいな感じだったんで、「曲を作ってなくてもブログを更新しようかな」と常々思っていたのだけれど、結局今回もまた、曲を作ってからの更新となった。


さて、今回の曲なのだが、テーマは髪が減ってきたという個人的な寂しさを歌にしたもの。
誰かに何かを訴えるようなものでもないし、「髪が減った、髪が減った」という歌詞を何度も聞くのもつらいので(私は自分の作った曲を何度も何度も聞いたりする)、今回の曲はちょっと短くてあっさりしている。
2分ちょっとしかなく、何か試作曲みたいな感じだけれど、作っててちょっと袋小路に入り込んだりしたので、まあ今回はこれでいいや、とアップすることにした。


で、今回は珍しく、作曲について先に説明しようと思うけれども、曲を作るのには大体いくつかのパターンがある。このブログを見て作曲について学ぼうって人はほぼいないだろうけども、まあ自分のやりかたを振り返る意味で書くと、大体は以下のようなパターンに分けられる。
 A) 作詞から始めて、詩に合うように曲を作る
 B) 最初っから何となく自分の中にある曲を作っていく
 C) 真似したい曲をイメージして、それに似た曲を作ってみる
 D) サビの部分だけ作って、そこから曲を作る

で、今回の曲はBのパターンで、何となく作っていった曲、ということになるのだが、この曲作りはあまりお薦めできない。私が今まで作ってきた曲の中でもこのパターンというのは意外と多いのだけれど、これは実は行き詰りやすい。

自分の中にあるメロディを出していくのは、最初はスラスラと出てくるし、オリジナル感がすごくよく出るので、自分の能力って結構スゴイくない!?と思ったりするのだが、何曲か作ると結構早い段階で「行き詰まり感」を感じるようになる。

これは、自分の中にこびりついてるメロディというのは、ある程度同じパターンになっていることが多く、何度か曲作りをしていると、予想外に「また同じ感じになってしまった」ということになりやすいからだ。

例えばで言うと、GReeeeNの曲とかは、最初に聞いた時って「うわー。すごい! こんなにインパクトあって聞きやすくて心にしみる歌が作れるなんて!」って思うけど、何曲か聞いてると、「何か毎回同じ感じがするなあ」っていうことになる。
彼らの曲は良くできているのだけれど、オリジナリティが高くてクセがあるから、違う曲なのに同じような曲になってしまうのだ。

私の場合も、「こういうふうにメロディが来たら、次はこうだよな」っていうクセがいくつかあるため、何となく作ると同じような曲を作ってしまう。
これは、「曲が作れない」のではない。曲は作れるのだけれど、同じようなものができてしまう、ということだ。

だからおそらく、スランプ真っ最中の作曲家だって、作れと言われれば何曲だって実際には作れるはずだ。問題は、作曲者自身が納得いくだけの違いが出せない、ということだ。

このことは、サビのメロディを作る時にもあてはまる。
実はサビの部分も、その人その人のクセがあるので、何となく作っていくと、そのうちサビのパターンを出しつくして、ネタ切れになる。

だからこそと言うのも何だが、先ほどの作曲パターンの「D」はアリだ。良いサビが思いついたら、それは大事にした方がいい。サビ以外の部分が平坦になる恐れはあるけれど、サビがいいだけの曲なんて沢山ある。

逆の観点で言うと「A」パターンはなかなか厳しい。歌詞に合ういいサビが出るかどうか分からないからだ。ただ、制約があるほうが新しいアイデアにつながることもあるので、たまに作詞を先にして曲作りというのも悪くはない。

個人的に一番いいと思うのは「C」のパターン。他人のパクリみたいになる危険性は当然あるのだけれど、曲としてまとまっていて出来がいい場合が多い。
音楽に対しての思い入れとか、「自分の曲はこうでないといけない」みたいなポリシーのある人は、こういう物真似っぽい作り方が嫌いな人もいると思うのだが、長く楽しく多様な曲を作っていきたいと思ったらコレがベストだろう。

勝手に推測するけれども、福山雅治はこのパターンの人だという気がする。福山雅治っていい曲を沢山出してる割に、(おそらく)ミュージシャンの中での評価は低いと思う。なぜなら、「この曲ってどこかで聞いた何かに似てる気がする」っていうのが多いから。

私自身がそういう曲作りをするから、福山雅治のスタンスはそれでいいと思うのだが、人によっては「音楽に対するポリシーがない」とかそういうことを言うこともあるかもしれない。
でも、曲を楽しく作りたい、という気持ちを持ち続けたいなら、あまり自分らしさとか、オリジナリティ追求にこだわるべきではない、と思う。
オリジナリティなんて、本当にすぐ出しつくしてしまうものなのだ。


さて、話を髪が減ることに戻すけれども、男性の場合、大体40歳ぐらいから体が急に衰え始める。体自体は27~8歳ぐらいがまあピークなんだろうけど、筋肉とかは鍛えてればある程度の維持はできるし、見た目ではあまり分からない。そういう意味で、他人から見て、「何か老けてきたね」ってのが40歳ぐらいから始まる。

女性は肌が柔らかくシワが出やすいので、35歳ぐらいから怪しくなるが、男性はシワが出にくい分、白髪とかそういう分かりやすい変化が40歳ごろに始まる。若白髪じゃない白髪だ。
そして、40代半ばだと、老眼とかそういう言葉が近づいてくる。もうこうなると老化をごまかすことはできない。

自分の場合、家系的に髪が多くないので、年齢を重ねるごとに髪が薄くなるのはある意味当然なのだが、40代の前半だと正直なところ、「まだ自分は若い」という気持ちがあるので、もう若くないんだよーという現実をつきつけられても直視できない。

よく、バーコード頭とかそういう表現があるけれども、なぜああいうことになるのかイマイチ今まで分からなかったのだが、髪が減り始めて、将来どうなるのかなとか想像した時、「ああなるほど」と思う部分があった。

これって、「自分を変えたくない」のだ。
老化で自分自身が変わってしまうことによって、若い頃にしか手に入らない何か(恋愛とか、何か楽しい出来事とか)が手に入らなくなってしまうと思うと、どうして自分の老化していく姿を容認できるだろうか。

逆に言えば、若い頃に十分に青春を楽しんで、そして今の自分に自信がある人は、髪の毛が減ろうがあまり動じないだろうな、ということが推測できる。
そして、髪が減った、髪が減った、と動揺してしまう自分って結局、「若さに対しての未練がたくさんある」ということなんだなあ、と振り返ったりしている。

YouTube上の保管場所 → http://www.youtube.com/watch?v=GlexSdEb0Xg

この曲は、株式投資に失敗して結構莫大な金を損してしまった自分の心情を歌ったもの。
私の友人など親しい人は、私がここ数年ほどずっと、株取引で生活できるかどうかチャレンジ中であることを知っているが、実はちょっと前に、自分で決めた限度額を越えて損したので、悲しくも撤退することになった。

もともと株(デイトレ)がうまく行った時期はほとんどないのだが、株主優待などを目的にずっとホールドしてた銘柄が、アベノミクスで一時期大きくプラスになった。そのため、デイトレで失敗を繰り返しても、表面上はお金が減らなかったのだ。しかし少し前の株価の下落でそのプラスが全部剥がれおちて、デイトレの損失分が全て出てきてしまったというわけ。
 ※ ここで言う損失は最近の分だけ。昔の大損分は全然取り戻せていない。

ちなみに株の取引歴自体は結構長くて、もう15年ぐらいやってるんじゃないかと思うのだが、コツコツコツコツと実はすごい額の損失を積み重ねてしまっている。FXもやっているが、そちらでも結構な損失を出しているので、全部を足したらホントに何やってんだという気持ちになる。

どうしてそんなに金が使えたんだと聞く人もあるが、私は酒もタバコもやらないので、それらをやる人と比べれば1ヶ月に1万円程度は浮く。これを10年ほど積み重ねると、それだけで120万円になるわけで、車も買わないし子供も養ってないしとなると、結構な貯金ができるわけだ。

で、その金の多くを自分は株に使ってしまったわけなんだが、人や物に使ったのと比べると、株取引ではまったく何も残らないので、負けが確定すると、自分の人生をも見失うぐらい呆然とする。(どんなに損をしていても、いつか勝つと思っている間は負けじゃないのだ。だからこそタチが悪い。)

そもそも自分はゲームでも何でもコツを見抜くのが下手なのだから、もっと早くあきらめればいいものを、「これだけ続けてるんだから、そろそろ何かヒントぐらい見つかるだろう」的にダラダラ続けたのが悪かった。パチンコなら250回とか300回とか確率が決まっているわけだが、株はそうじゃない。見つけられない人にはずっと見つけられないのだ。

そして重要なのは、株式市場というのは金を奪い合う戦場なのだということ。チャートの波に乗れば勝てるんじゃないの?みたいな易しい場所ではないのだ。
金の無い個人投資家なんて、はえなわ漁法の網の前の魚のようなもので、ほぼ100%狩られる存在にすぎない。


私が株の成功にこだわっていたのは、私が健康上の不安を抱える身であることも関係する。もし働けなくなったらどうすればいいんだ、と考えた時、家でも外出先でもお金を稼げる(かもしれない)株取引がすごく魅力的だったのだ。あっという間に1万円損できるんだから1万円儲けることだってできるはずだ、という思いもあった。

だが、いざ金を失っていくと色々なことがわかる。歌詞に登場する「金が無いのは首が無いのと同じ」という言葉は、漫画家の西原理恵子さんの作品の中によく出てくる言葉だ。
これってどういうことだろう、と、今まではそれほどピンとこなかったのだが、使える金を強く制限されると、人は当たり前のこともできなくなってしまう。

日本の政治家や官僚は本人たちが馬鹿なのか人を馬鹿にしてるのかわからないが、最近の若者が結婚しなかったり車を買わなかったりするのは単純に、将来の金に不安があるからだ。金があれば色々なことができる、金が無ければできない、というのは厳然とした事実だ。

私は、過去に失ってきた金額を振り返るたび、あの金があればあれもできた、これもできたと悔しい気持ちになる。280円の牛丼に60円の卵を付けるかどうかで迷うような生き方をしつつ貯めた金なのにと、自分の愚かさに腹が立つこともある。
歌詞の中でマンションを買うというのがあるが、さすがに東京だとワンルームでも600万円ぐらいするけれども、地方都市なら200万円300万円で買える物件がある。株で損をしている人たちにとって、マンションというのはそれほど言いすぎではないのだ。


ちょっと株の話が長くなったので、メロディのほうに話を移すが、今回の曲は、特に何かのイメージを持って作った曲ではなく、先に「カネカネカネ」というフレーズを付けることを決めて、そこから曲作りを行った。そのため、メロディラインに、やや自分のクセが出やすくなっている。

人は誰でも、ついつい選んでしまう音とかリズムがあって、それに単に従って曲作りをすると、同じような曲を何度でも作ってしまうことになりかねない。
この曲も、作成している途中に、「これって過去に作ってないか?」みたいな部分が出てきたので、その都度微調整したりしている。

ちなみに薄々気付くとは思うが、ラストのサビのメロディは、株価のチャートの上下動をイメージしている。株価の上げ下げに振り回される自分を表現してみた。

Youtube上の保管場所 → http://www.youtube.com/watch?v=EKExX7iEYag


この曲は、その名前の通りで、たこ焼きのテーマソング的なもの。
タイトルは、最初は、「たこ焼きの歌」でいいんじゃないのと思っていたのだけれど、他にもたこ焼きの歌があるだろうから、まあ3回繰り返して「たこ焼き たこ焼き たこ焼きの歌」でいいかなというそういう安直な決め方をしている。

何で突然たこ焼きの歌を作ったんだ?、という疑問もあるかと思うが、これは誰かにたこ焼きの歌を頼まれたとかではなく、たまたま近所のたこ焼き屋の前を通った時に、「たこ焼きをテーマに曲を作ってみよう」と思っただけのこと。

で、たこ焼きをテーマにした曲と言うと、やっぱり、たこ焼き屋のBGMになりそうなものかな?、と思ったので、それならきっと、「さかなさかなさかな」みたいな感じで「たこ焼き」を連呼するんだろうな、とか、何度も繰り返しでエンドレスに続くような曲がいいんだろう、といったことを前提としてみた。

まあ実際のところ、この曲を本当に使う人が現れたら私の方がビックリするが、もしかしたら初音ミクをテーマにしたたこ焼き屋とかが出ないとも限らないので、一応そういう使われ方をすることをちょっとだけ意識してたりする。

例えば、この曲の初音ミクの声は、少し高めに設定してある。
私のこれまでの曲作りでも分かるかもしれないけれども、私自身はあまりボカロボカロしたものが好きではなく、どちらかと言えば昔ながらの普通の歌謡曲のような音域を好むのだけれど、「この曲はボーカロイドっぽい音のほうがいいのかもしれない」と、ちょっと高いほうを選んでみた。

あと、曲をエンドレスに繰り返せるように、曲の終りと始まりが同じになっている。
私のたこ焼きに関する語彙が少ないせいで、曲は1番だけの繰り返しなので、もし本当にこの曲をBGMに使う人がいたら、短い曲の繰り返しのせいで精神的にストレスを与えてしまうんじゃなかろうかと要らぬ心配をしたりしている。

要らぬ心配をもう少しすると、もし万が一この曲を本当に使いたいという方は、事前連絡とか使用料とかそういうのは全く不要なので、どうぞ自由に使って頂ければと思います。
著作権フリーではないですが、演奏して録り直したいとか、アレンジしたいとか、歌詞を変えたいとか自由にやってもらって構わないです。


YouTube上の保管場所 → http://www.youtube.com/watch?v=dbQJF5M96nM


この曲は、「ルールって生活の基盤なのに、どうして日本では法律にあまり触れさせないのか」ってのを疑問に思って作った曲。
歌詞の中ではNHKを疑問視する言葉が入っているけれども、特にNHKだけをターゲットに考えているわけではなくて、日本では官僚とか政治家とか色んなところで、法律を利用して自分たちの都合のいい世界にしようという動きがあるように感じる。

例えば、2ちゃんねるとかで見かける話題で、日本にいる朝鮮系の人たちが勉強してどんどん弁護士になっていって、日本の法律を書き換えようとしてる、とかいうのも、自分たちのためだけに法律を利用しようとする例の一つだろう。
真偽はともかくとして、日本をのっとろうとするのだって、法律を書き換えちゃえば合法になっちゃうわけで、日本人が法律に無関心でいればいるほど、こういうことをたくらんでる人にとっては都合がいい。

自分としては、高校ぐらいになったら、宅建とかで勉強するレベルの民法ぐらいは教えていいんじゃないかと思うし、時間的にそこまで詰め込めないとしても、日常生活で法律に絡むトラブルが起きた場合に、誰に何を相談すれば解決するのかとか、法律というものをもっと身近に感じさせる教育を、小中学校など義務教育の時点でやっておくべきだと思っている。法治国家なんだし。

で、こういう「当たり前のこと」がなぜ行われないのかを考えた時、やっぱそれが誰かにとってすごく「不都合」なんだろうなと思う。それが中央官庁なのか政治家なのか誰なのか、自分には分からないけれども、法律で公平にやられると迷惑する人たちが沢山いるのは間違いなさそうだ。


ところで話は変わって、この曲の歌詞の中で、サッカーに関して話してる部分があるけれども、これは自分の小学~中学生のころに実際あった話。自分はスポーツだけでなく、トランプのゲームとかでも、なぜかルールをあまり覚える気がなかった。「ポーカーってどうやるんだっけ」みたいな感じで、毎回人に聞いたりしてた。

サッカーは中学の体育とかでやるわけだけど、細かいルールとか知らないから、敵ゴールの真横あたりにずっと立ってて、相手のキーパーが「お前もっと前行けよ。オフサイドだろ。」みたいなことを言ってるんだけど、何のことやら?、みたいな感じでずっと立ってた。授業でやってるから教師もそんな端っこのことに気がつかなくて、自分もそのままルールを知らずじまいだった。


で、考えてみると、一般の日本人は子供のころからホントによく「ルール」の存在を理解してるし勉強してる。なのに、国のルールである「法律」には対してほとんど無知、ってことになると、これはやっぱり、作為的に行われてると考えた方が自然だろう。

NHKに関しては、つい最近、自民党の鬼木誠議員が、その課金のあり方について批判する発言をしたばかりだけれども、こういうのでさえ、ネット上では喝采されていても、マスコミでは取り上げない。
理屈で考えると、おそらく国民1人1人に、「NHKの受信料徴収は適切な方法・金額であるか」という質問をしたら、半分以上がノーという答えを出すだろうから、民意をきちんと反映させて、法律を改正するのが正しい姿だと思う。

他にも、例えばフジテレビとかの民放も、外国人の事実上の持ち分比率が法定の限度を超えちゃってる、という話があるわけで、これはきちんと法律を適用すれば処分の対象になるはず。片方では法律を変えずに国民を虐げて、片方では法律の適用を曖昧にして、って感じで、法律が悪用され放題だ。

まあ、弁護士など法律で飯を食ってる人たちにとっても、国民が法律に詳しくなると仕事が減っちゃうわけで、結局のところ法律で利益を得てる人たちにとっては、「国民がずっと、法律を知らないバカのままでいますように」って願ってるようなものだから、これを是正するのは難しいかもしれない。

でも歌詞にも入れたように、法律は私たちにとっての武器であり楯なんだ、ってことをまず知ることから始めないといけないと思う。
外国人参政権とか、アパートの住人に居住ルールを変える権利を与えるようなもんで、いくら大半の住人が賛成したからと言って、ペット不可をペット可に変えちゃだめだろう。それは大家が決めることだ。

ついでに言えば、京都府知事が、京都の大学を卒業した留学生には永住権を与えよう、とかワケわからないことを言ってるけど、まさにこれは勝手にルールを変える例だ。
そういうことをやりたいならまず、「京都の大学を卒業した外国人は、京都府知事の家に自由に寝泊まりして良い」から始めればいい。自分の家でやられたら嫌なことを、日本人に平気で強いることができる人の正体って何だろうか?


ところで今回の曲についてだが、もともとはエアロスミスみたいな、洋楽ロックっぽいものを作ろうと思っていた。で、実際に作っていたら、いつの間にか違う方向に進んでしまって、結局エアロスミスでも何でもないやんけ、みたいな曲になった。

まあ当たり前と言えば当たり前だけれども、世の中に出てる曲ってのは大抵高度な技術が隠されているんで、似たものを作りたいと思っても作れはしない。
さらに自分の場合、昭和の歌謡曲のように、一般の人でも口ずさみやすいシンプルなメロディが好きだったりするので、それが合わさった結果として、「アレンジの音は激しいけど、歌は平坦」みたいな曲になってしまったかな、という気がする。自分としては嫌いではないのだけれど。

なお、人に指摘される前に先に言っておくと、この曲のラストは、私の大好きなイエローモンキー(The Yellow Monkey)の「JAM」のラストと似た感じに作ってある。メインのメロディとかが似ちゃうとさすがにマズいだろうけども、終わりのところが似てるってのは、この曲が大好きなんですよーっていうのがこっそり且つ大胆に出ててちょっとお気に入り。



YouTube上の保管場所 → http://www.youtube.com/watch?v=0XCTW2J-TqI


毎年、桜が満開になると、近所の公園に出かけてブラブラと花見をする。私はあまり酒を飲まないので、花見の酒宴は遠慮することが多いのだが、花見客の楽しそうな様子は嫌いではない。
満開の桜の美しさと花見客の満面の笑み、それらを見てると、「人間ってのは結局、これが目的で生きてるんじゃないのかな」と思ったりもする。

でもその一方、桜の季節はいつも、悲しくなるというか心苦しさを感じる。これは、大みそかの時も同じなのだが、「あっという間に1年が過ぎてしまった」というのを強く実感するからで、年齢を重ねていくにつれ、1年が過ぎる速度がどんどん速くなっていることを感じる。

年をとると1年が過ぎ去るのが早い、とよく言われるが、これは裏付けのあることで、記憶力の低下と関係が深いそうだ。考えてみると、この1年に何をやったか沢山覚えている人と、あまり覚えていない人を比べたら、あまり覚えてない人のほうが1年を短く感じるだろう。


で、今年非常にビックリさせられたのは、去年の桜を見たのが本当に「つい最近じゃね?」ぐらいの気持ちがしたから。言うまでもなく去年の桜は丸々1年前なのだから、それが最近のはずがない。でも実際に、1年という月日が本気で信じられない、という感覚があった。

今回作った曲のタイトルは「百年一日」だが、これはもちろん、「十年一日」をさらに大きくしたものだ。自分は何も変わってないのに、気がつけば10年経ってた、というのは、もしそれが100年だったとしても同じかもしれない、と思って付けた。

若い頃であれば、人は変われるし、変われるだけの時間もある、と思うけれども、年を取ってくると、「変わりたくても変われない」自分を知ることになる。先ほどの記憶力の話もそうだが、年をとると、できないことが増えてくる。身体的な理由や、家庭のこと、金銭的な話など、若い頃には思いもしなかった理由で、人はどんどん「変われなく」なってしまう。


変われない自分にとって、多くの人の助けとなるのは「子供」だ。自分が日々の生活で手いっぱいでも、子供が育ってくれると、それは自分の成果として誇らしく思える。でも、子供のいない、特に独身者の生活においては、自分の成果と思えるものが手元に無かったりする。

それでも、健康で仕事を頑張って喜びを感じてる人はいい。私の場合は、内部障害があるため、絶対に人並みに頑張れない、という悪条件がある。頑張れない、というのは、競争社会で圧倒的に不利で、そもそも人並みに生活するという時点で難しい。

私がこの年になっても結婚せず、浮いた話の1つもないので、周囲の人は私が結婚に関心が無いと思ってるのだろうが、実はそうではなく、私という人間を相手に普通の生活を成立させるのは難しいだろうな、と(むしろ相手の立場で)見てるからだ。

そして、結婚もせず子供もいない環境だと、「自分は一体何をしてるんだろう」といった人生の疑問に陥りやすい。なかなかに性質の悪いスパイラルだ。


話が横道に逸れたけれども、ともかく、日々の生活を頑張れない状況を持っている人にとって、肉体も年齢とともに段々と傷んでくるとなると、「人生が前に進めない」感覚が強くなってくる。

実際にはそんな切羽詰まってないにしても、私の中では以前から、「何だかずっと足踏みしてる」という気持ちは強い。何をどうしたいのかはいまだに迷走中だが、「こんなことでは100年経とうが今のままだ」という危機感を感じているのは事実だったりする。


で、ぐるっと回って桜の話に戻ると、桜を見るたびに自分の中では、「自分は何をやってるんだろう」「これでいいんだろうか」みたいな気持が湧いてしまう、ということを今回は歌にした、という次第。
歌詞の内容は自分独特のものだし、メロディも地味で暗いので、人に聞かせるようなものではないなーという気持ちもあるのだが、同じような思いを抱えてる人もいるだろうからと思ってアップした。

なお、アレンジ作成はいつもと同様に、「SingerSongWriter」というDTMソフトを使っているのだが、時折、どうも伴奏の音が合わないぞ?と思うことがある。ソフトの使い方を間違っているのかもしれないが、今回もちょっと「?」と思っていたりする。
仕方ないのでその部分はそのままだけれども。


 
YouTube上の保管場所 → http://www.youtube.com/watch?v=USGTafASr7U


この曲は、「嘘ってのは真実より強いんだなあ」と思って作った曲。

具体的には、とにかく日本の悪口を言い続けている中国や韓国・北朝鮮のことをイメージしているのだけれども、彼らは本気で「嘘も百回言えば真実になる」を実践する国なので、こういうのって怖いなあと思って歌詞にしてみた。

日本だって、第二次大戦の時とか福島原発とか色んな嘘をつくから他人のことは言えないのだろうけど、まあとにかく執念深く繰り返される嘘っていうのは色んなところにあるものだなと。

で、何で嘘の方が真実より強いかというと、真実を主張してもお金にならないけど、嘘を主張するとお金が生まれるという側面があるから。

例えば、どこかのラーメン屋さんが繁盛してる時、「ここは真面目でいい店です」って人に言っても、自分は基本的には儲からない。でも、「この店、ゴキブリが入ってたよ」とか嘘を言うと、もし自分がライバル店だったら、客を奪うことができたりする。

少し前に、アメリカでトヨタが随分と攻撃されたことがあったけど、世界一の企業とかになっちゃうと、少しでもトヨタが没落してくれれば嬉しい、っていう人が凄い数存在するわけだから、そういう人たちが手を組めば、巨大なネガティブキャンペーンもできてしまう。

一方、嘘を言われたトヨタ側は、所以なき汚名を晴らすために、本来必要なかったお金とか時間とか人手をかけて、自分を守らないといけない。

つまり、嘘ってのは基本的に、言った方がトクをして、言われた方が損をするものだ。
だからこそ、嘘を言う人をキチンと罰しないと、世の中は嘘を言った者勝ちになってしまう。

そう考えた時、中国や朝鮮の国々に対して、日本は相手を罰する力があるのか、そして、その力を行使できるのかどうかってのが非常に大事だと思う。
もし、相手を罰することができないのであれば、そういう国々との友好関係って、本当は無理だよねー、と私は思う。

そして、嘘を言い続けた次の段階は、「止めてほしければ、こちらの要求に従え」っていう脅しをかけることだろう。人が嫌がることを勝手に始めておいて、それを止めてほしければこちらの要求をのめ、ってそんなヒドい話がと思うけれど、世の中って結局そういうので動かされてるんじゃないだろうか。


とまあそういう話を歌詞に盛り込んでみようと思ったわけだけれども、今回はいつもと違ってストレートな表現をやめて、天使とか悪魔とかのワードを使ってみた。今まで作った曲は、歌詞があまりにストレートすぎるのが多いので、聞いてる側は、音楽として素直に楽しめないんじゃなかろうかと思ったからだ。

で、私は結構、L'Arc-en-Cielが好きだったりするので、ラルクっぽい雰囲気の歌詞を書けないかなと思っていたのだが、やはり私にとって作詞というのは難しいもので、力量不足を痛感した次第だったりする。

メロディについては、以前から鼻歌でつい出てしまうフレーズが元になっている。特にひねったメロディでもないので、本当はアレンジで特徴を出すべきなのかもしれないが、使用している作曲ソフト「SingerSongWriter」のアレンジのパターンが少ないので、さすがにちょっと「前に聞いたのと似てるなあ」という感じが出てきてしまう。

実際のところ、今回使ったアレンジパターンは、以前作った「さばいばる」と同じなので、何だか同じように聞こえても当然なのだが、少しでも変化を出そうとして、楽器の音をチャーチオルガンの音色に変えたりしている。
しかし逆に、「ちょっとチャーチオルガンの音色がウルサイかな? 変えなきゃ良かったかな?」という感じで、アレンジ面に課題を残した結果となった。
YouTube上の保管場所 → http://www.youtube.com/watch?v=-sasAcQGKHQ


この曲は、福島原発の爆発により、東北、特に福島産の食べ物を安心して食べられなくなったことに対する怒りを歌にしたもの。

なぜこういう曲を作ったかと言うと、先日、博多駅ビルの阪急デパートに行った時、「みちのくうまいもの市」を丁度やっていて、そこでつい、喜多方ラーメンを買ったのがきっかけ。
正直なところ私は、原発の事故以来、福島の農産物や食品はなるべく避けているのだけれども、試食で食べた喜多方ラーメンが美味しかったので、「まあちょっとぐらいなら大丈夫だろう」みたいな感じで買ったわけだ。

私は今は福岡に戻ってきているけれども、大学からはずっと東京にいたので、喜多方ラーメンというのは時々食べていた味だ。福岡に来てからはとんこつラーメンしか食べてないので、ちょうどいい感じの、鶏と醤油のスープにつられたのだが、後になって、「鶏のスープって、煮詰めて作るから、薄い放射能でも凝縮しちゃうんじゃないか??」とか妙に気になってきた。

うまいもの市の会場には、他にも、宮城の牡蠣とか山形のこんにゃくとかあったんだが、こういった、東京ではよく食べていたものを、何でこんなに心配しないといけなくなったんだろうか、ということを改めて実感して、東電や役人に対する怒りがぶり返した次第だ。


でもおそらく、もう大半の人は、福島の原発問題は、一応の収束を迎えて、食べ物や飲み物はそんなに心配しなくていいんじゃないか、と考えているのではないだろうか。

私自身も、基本的には、今流通している食べ物は危険性の低いものであると考えているし、また、食べ物以外でも、家具を福島から通販で買ったりしているので、何でもかんでもNGといった、過度な態度をとることはない。

ただ、重要な問題点として、メディアは福島原発の現状について語らないし、隠されている事柄の中に、極めて深刻なことがあるという事実を意識しておかないといけないと思う。

特に最近、東電が福島原発の汚染水を海に放出したい、と言っていることは、(http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130124/dst13012421470015-n1.htm)
やはり福島の原発問題は何一つ解決していないんだ、と実感させられる。

そもそも、福島原発から放出されているのはセシウムだけでなくストロンチウムもそうなのだが、これらを現在以上にまき散らそうとしているのを、どうして私たちが認めないといけないのかと思う。

まあ実際のところ、もう福島の原発をどうすることもできないし、融けて地下に潜ってしまった燃料を取り出すことも封印することもできないし、かといってそれを認めることもできないという状況にあるだろうことが容易に推測できるのだが、何もできないから東電や役人をそのまま許すなんて、それは絶対にありえない。


で、この東電とか役人とかの問題を考えた時、何が一番イケナイのかというと、私は、「消費者が電力会社を選べない」ことにあると思っている。独占の問題だ。

もし本当に、東京電力を始めとした日本の電力会社が、誠実で真面目な経営をしているとしたならば、新規に他の電力会社が参入してきたとしても、今までと態度は変わらないはずだ。「原子力はコストが安いから不可欠」で、「これ以上の経営努力は無理」というのが本当なら、他の企業が新規に参入しようとしたって、東電にはなかなか勝てないはず。

でも、それならどうして東電等の電力会社は、発送電分離をせず、新規参入をひたすら止めようと必死なのか。それはやはり、彼らの主張が丸々大嘘だからだろう。

彼らは優秀な頭脳をフル回転して、嘘を嘘で塗り固めるから、それを暴くのは容易ではない。でも、競合する他社が現れれば、彼らの嘘は隠せなくなる。だからこそ、私たちが一番やるべきことは、発送電を分離させ、独占状態を崩すことだと思う。

実際には、腐りきった役人との強力タッグで、おそらく電力会社の独占状態はいつまでも続くのだろうけれども、まずは私たち国民が、電力会社の独占というのがいかに巨大な悪なのか、それを理解することから始めないといけないと思う。


随分長くなったが、曲の話に戻ると、今回のメロディは元々、違うタイプの曲を作ろうとしていたところたまたま出来たものだが、なんとなく、私の好きな「知床旅情」に近い気がしたので、知床旅情に少し寄せる形で、テンポやメロディを整えて作成した。

曲のアレンジについては、一部、ちょっと音に違和感があるような気がしていて、おそらく、コードの選び方を調整すべき部分があるのだと思うが、この点はあまりよく分からなかったのでそのままにした。
YouTube上の保管場所 → http://www.youtube.com/watch?v=2V_QKKve6JI

この曲は、「男女がお互いに求めてるものって間違ってるよなー」という思いを歌にしたもの。
最近だと、女性向けのスマートフォン用恋愛ゲームで、タイトルは忘れたけれども、「お前を絶対に守ってやるぜ」「お前は俺のものだ」みたいなことをCMで言ってるのがあって、前々からそれはちょっとおかしいんじゃないか、と思っていたのでこれを歌詞のテーマにしようと考えた。

実は私は小~中学生ぐらいの時から、母親が少女漫画をちょこちょこ買っていたので、自分も少女漫画をずっと読んでいた。その頃は週刊マーガレットとかを読んでいたと思う。途中から花とゆめに替わって、大学に入るぐらいまで読んでたので、男としてはかなり長期間読んでた部類に入るんじゃなかろうかと思う。

なので、少女漫画でよく見かけるパターンというのは知っているつもりだが、男の立場で考えるとそれはちょっと違うなーと感じるのは、まさに「お前は俺が守ってやる」のセリフ。
これって、女性側の立場だと、胸がキュンとなったりするのだけれども、男目線で見ると、「こんなセリフ言うはずがねー」って思ってしまう。そもそも彼女を守る、なんてどういう状況なのかと。ケンカから守るのはちょっと自信無いし、生活の安定を提供するなら、お前を守る、なんて言葉は使わないしで、これってどうよという気持ちになる。

ただホントに、女性目線だとこれは言われたいセリフなわけで、頭をクシャっとなでられながら、「一生オレのそばにいろよ」とか、「お前は俺の全てだ」みたいな感じで、男が女性に何もかもを捧げるよ的なことを言ってくれるのをすごく期待しているのはよく分かる。
でも、それは男側からすると本心ではない。本心ではそういうことを考えてないからだ。

むしろ、サポートしてほしいと思っているのは男性の方で、男の理想としては、男が何かに燃えている時に、陰ながらずっと見守ってほしい、という思いを持っている。実際のところ、大体どんな少年漫画でも、ヒロインは才能豊かで美人だけれど、ここぞという時にサポートに回ってくれる。男は女を守ってあげたい、というよりむしろ、困った時は手助けしてほしいな、と思っているわけだ。

もちろん、女性がピンチの時は主人公は全力で守るけれども、「守ってやりたいからその人と一緒になる」わけじゃないということに注意してほしい。
少女漫画だと、彼女が好きで好きで大事にしてあげたい、守ってあげたいから一緒になる、みたいな描かれ方をしているけれども、それはちょっと現実と違いすぎるわけだ。

しかし、女性が読む物はホントにどれもこれも、強くてカッコよくて優しい男性が現れて、平凡に暮らしてる女性をなぜか純粋に好きになって、人生を捧げて告白してくれるというパターンになっているので、これを読み続けてるとそれを信じてしまっても不思議ではないと思う。
女性が求めているものがそこにあるのは分かるのだけれど、そんな男は滅多にいないし、むしろ生活力があるのは女性なのだから、そういう幻想を持って男とつきあうから、大抵の女性は男の無能さにガッカリしてしまう。
最近の若い男性は料理をしたり育児を分担したりする傾向が強いらしいから、まだ可能性はあるけれども、基本的には「漫画に出てくるような男はいません」っていう事実をきちんと理解してもらわないと、男女両方にとって良いことはないぞという気がしてならない。


話は変わって、曲作りについてだが、この曲のメロディは、本当はEvery Little Thing(最近はLTEでよくCMに出てるけれども)っぽいテイストのものを作ろうとしたのだけれども、何か思ったような伸びが得られなくて、正直なところ自分としてはイマイチ不満を持っていたりする。
鼻歌を音符に落とし込んでいく時点で、何かちょっとピッタリ来なかったというのもあるし、アレンジを入れたら違和感があって更に変更したりもしたので、イマイチ感がどこに由来してるのか分からなくなってしまったのだが、ここまで作ると、また戻って作り直すのも大変だし、有名なシンガーソングライターも全てが名曲ってわけじゃないしと自分に言い訳して、これはこれでそのままアップしてしまおう、ということにした。