おはようございます。
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(抜粋します)
和菓子は今日も新しい 意外性あふれる「五感の芸術」
アンデルセンの小説から名を取った和菓子「アントニオとララ」はハーブや洋酒を効果的に使う。販売時に添える紙には菓子の背景を記す
ハーブに洋酒、新鮮なフルーツ――。様々な食材を自在に使って作る和菓子が近年、注目を集めている。和菓子らしくない、と見る向きもあるかもしれない。しかし意外性あふれる歴史をひもとき改めて眺めると、そこには確かに受け継がれる伝統や、深い楽しみが浮かび上がってくる。
外側はさっくり、内側はかんきつの香るゼリー状の「鉱物の実」は、果実が化石になった姿を想像して作った
真新しい感性をまとわせて
「菓子屋のな」は京都の路地裏にある小さな店だ。2020年の開業以来、年代を問わず客足が絶えない。年間を通じ販売する看板商品の名は「アントニオとララ」(一番上の写真)という。
皿に盛られたミントやセルフィーユなど鮮やかなハーブの中に、黒と黄色のつややかな餡(あん)子玉が1つずつ。黒い方はほろ苦い焦がしキャラメルと合わせた餡で、ラムレーズンを包んである。「アンデルセン作『即興詩人』の主人公、アントニオが人生に翻弄される様をほろ苦いあんに託しました」と、店を営む名主川千恵さんは話す。
店に立つ菓子屋のなの名主川千恵さん。「季節の素材と好きな言葉を見合わせながら菓子を考える」と言う
一方の黄色は、甘酸っぱいマンゴーとパッションフルーツを合わせた餡の中に、ゼリー状のキウイ羹(かん)が隠れている。作中の盲目の少女、ララの内にある情熱へのオマージュだ。2つの個性はハーブの爽やかさに彩られ、作品世界と重ね合わせると味わいは一層深い。
和菓子は「五感の芸術」といわれる。特徴的なのは味覚や触覚などに加え、聴覚でも味わうことだ。和菓子には「アントニオとララ」のように「菓銘」と呼ばれる名をつけることが多い。例えば秋のモミジをかたどった菓子にはしばしば「竜田」と銘がつき、紅葉の名所の竜田川や、かの地を詠んだ和歌の数々を思い起こさせる。菓銘を聞くことで「菓子の向こうにイメージがふくらむ。菓子は食べればなくなるけれど、言葉の余韻は残ります」。こう話す名主川さんを和菓子にひき付けたのも、菓銘の伝統だった。
収穫の秋の風景がテーマの「黄金の秋」。ほっこり甘いかぼちゃ餡の中で、イチジクが存在感を放つ
京都の老舗で修業を重ねるうち、名主川さんには疑問も募った。「多くの菓銘は和歌など古典によりすぎていて、限られた人の楽しみになっている」と思えた。餡子など限られた素材を着色して様々なモチーフを作る、伝統的な製法もだ。イタリアンシェフをしていた夫から「季節ごとに多様な素材の色や味わいがあるのに、なぜ使わない」と言われてはっとした。
晩秋の店に並んだ「夜明けのうた」は、滋味深い黒糖餡のきんとんに潜んだリンゴ餡の甘酸っぱさが、表面に散らした菊の花弁とともに夜明けの光を感じさせる。菓銘は好きな同名の歌謡曲から取ったのだと、「のな」のインスタグラムには菓子の背景も日々つづる。これを見た人たちも「私にとっても思い出の曲」「風景が目に浮かぶ」と投稿を重ねる様子は、これまで和菓子の菓銘が茶席での会話を生んできた伝統とも重なって見える。
黒糖きんとんでリンゴ餡を包んだ「夜明けのうた」。好きな曲から菓銘を取ることは多い
「従来は『のれん』の中に隠れていた和菓子職人が独立し、個性的な和菓子を作る例が増えている」と食文化が専門の森崎美穂子・帝京大学准教授は話す。動きの中心にあるのは和菓子の中でも特に洗練を極めてきた、練り切りなど「上菓子」だ。京都の老舗で修業し、京都で独立する人が目立つ。
上菓子は茶席で使われることが多い。主役の抹茶を引き立てるよう「香りや味で主張しないなど、伝統の枠の中での菓子作りが一般的だった」と森崎さん。フルーツやクリームと様々な素材を組み合わせる洋菓子と異なり、餡など限られた材料を使う。味わいよりは造形と着色の見事さで、優雅な菓銘の世界を表現してきた。雅(みやび)やかな見た目の一方で手を入れる余地も大きいと「インスタグラム普及で個人の表現意欲が高まる中、格好の素材だったのです」。茶道人口の減少もあいまって、「老舗でも触発されるように新たな素材や製法の菓子が増えてきた」と森崎さんは言う。
「御菓子丸」の屋号で杉山早陽子さんがインターネットで販売するのは、そんな新しい和菓子の代表格だ。
自身の工房で和菓子を作る御菓子丸の杉山早陽子さん。大企業と組んで期間限定店を開くなど、和菓子界以外からの注目も高い
冬の菓子「なみのこり」は京都の寺の庭に、枯れ山水の面影を残しながら積もる雪を表現した。りんと冷たい空気を思わせる柚子(ゆず)の水ようかんの上に、雪のように白くふわふわの泡雪羹をのせた。「雪」は口に含むと、庭の木々のような香りも広がる。ヒノキと黒文字の枝葉を蒸留器にかけ、抽出した香りを加えてある。
蒸留器は、野草を蒸留して香り付けしたカクテルをバーで知って導入した。泡雪は洋菓子のムースの製法を取り入れることで、よりふんわりと仕上げた。知り合いに頼んで洋菓子店で働かせてもらい、編み出した製法だ。多様な食のあふれる時代に「和菓子のやり方だけでは限界がある」と考える。
「なみのこり」のテーマは枯れ山水庭園。波を表現した石の起伏そのままに積もる雪は「おいしそうにも見えた」と杉山さん
原点にあるのは、台湾のギャラリーに招かれ、当地の茶と合わせて和菓子を出した経験だ。現地ではドライフルーツを茶に合わせると聞き、「日本の菓子の始まりはタチバナの実」という神話にちなんだ菓子を作った。かんきつを使い、形も果実にならった「鉱物の実」(上から2番目の写真)だ。「見た目だけでなく味や香りも一体でデザインすることで表現に幅や必然性が生まれる。食としてももっと楽しめる」(杉山さん)
自分の作る物は和菓子と言えるのかと、悩んだこともあった。だが洋菓子店で働いてみたことで「やはりこれは和菓子だ」と思えるようになった。洋菓子は乳製品をベースに作るという点に加え「『いちごのタルト』などと素材名に帰着することが多い洋菓子に対し、和菓子は菓子を通して風景や物語を表現するからです」。
「柴」はシナモン入り餡の周りに枝を模した焼き菓子を合わせた。現代の風景を切り取った和菓子が共感を呼ぶ
現代の感性と技術が、和菓子の存在感を一層クリアに描き出す。
変化し続ける、それが伝統
「タチバナの実が菓子の始まり」という神話通り、古代日本の菓子は果実や木の実だった。今「和菓子」と聞いて思い浮かべる菓子の多くは、江戸時代に生まれたといわれる。その下地には遣唐使や禅僧らが中国から伝えた饅頭(まんじゅう)や羊羹(ようかん)、欧州の金平糖やボーロといった海外の食がある。長い時間をかけて取り入れ、江戸時代の平和が洗練させた。
「海外から最先端の菓子を取り入れ続けたのが和菓子の歴史です」。京都で200年以上続く和菓子店、亀屋良長8代目の吉村良和さんは言う。吉村さんの部屋に積み上がる史料は、和菓子のイメージを覆す。
亀屋良長の8代目、吉村良和さん。棚の中には菓子を作るための木型も、古い物が多数残っている
明治時代のレシピには、レモンビスケット、バターケーキなど洋菓子の名前がずらりと並ぶ。菓子の図案を描いた「見本帖(ちょう)」には、クリームで幾重にも飾られたケーキが堂々たるたたずまいで載る。「当時の職人が本などを見て、想像して作ったのではないでしょうか。他の和菓子屋さんもケーキを出していたようですよ」と吉村さん。「『菓子は菓子屋に』と、頼まれてしまえば、挑戦心も湧いたのではないでしょうか」。明治期に入ってきた洋菓子に対して和菓子という言葉が定着し、辞書に載るようになったのも戦後のことのようだ。
明治期のレシピにはビスケットなどが並ぶ。クリームたっぷりのケーキは大正期の見本帖から
様々な史料に向き合い、店の昔の様子も聞いてきた吉村さんは「戦前の方が自由な発想で菓子を作っていた」とみる。「伝統伝統と言い始めたのは戦後になってからでしょう」。経済成長に合わせ、和菓子は飛ぶように売れた。「面白い物を作るより目先の売り上げ、になってしまった」。洋菓子は本格的な専門店も増えた。そうした中で「昨日までと同じことをやって次代にバトンを渡すことが『伝統を守る』こととして目的になってきたと思います」
吉村さんは10年ほど前に大病を乗り越えたことを契機に、伝統への固執を振り切った。店の売り上げ首位は今や、パンにのせてトーストするためシート状にした「スライスようかん」(2018年発売)だ。前例のない商品作りにためらいもあったが、史料越しに見える先人の柔軟さも背中を押した。
リンゴを入れた生菓子(右)など伝統にとらわれない物作り。メレンゲ状の菓子(左)は優しい甘さを特徴とする新ブランドのもの
和菓子の客層の高齢化が一層顕著になるなかで「この5年ほど、老舗が新しい商品を出すことも増えてきた」と吉村さん。戦後から続く空気はいよいよ変わり始めたようだ。
和菓子が取り入れてきたのは海外文化に限らない。季節感は和菓子に欠かせないが「江戸中期、俳諧の影響を受けるまでの和菓子にさほど季節感はなかったでしょう」と歴史学者の熊倉功夫さん。琳派の絵画は多くの和菓子のデザインに応用された。菓銘をつけるようになったのは元禄期に「茶道を筆頭に『物に銘をつける』ことが盛んになったのを取り入れた」と言う。
中でも茶道は「和菓子が洗練されていく上で一番の情報源でした」と熊倉さん。大正期の政財界有力者が茶席向けに、故事来歴などにちなんで趣向を凝らした菓子を作らせたことはよく知られる。戦後も京都の老舗が東京に出店した時には、在京の有力茶人のもとに「毎日菓子を届け、見てもらっていたようですよ」。
和菓子の最大の特性は「菓子の背後に物語があること」(熊倉さん)。季節の情景や歴史など様々な物語を描いてこれたのは、同時代の文化を貪欲に取り込み、変化を続けてきたからこそだ。
京都の老舗、鍵善良房が21年に開業した美術館「ZENBI」はそうした和菓子のあり方を新たな形で表現する。
所蔵品の展示と企画展の同居するZENBI。今は京都滞在時のアンディ・ウォーホルを撮った写真展を開催中だ
戦前の同店は民芸の作家を中心に文化人がサロンのように集った歴史を持つ。特に親しかった木漆工芸の黒田辰秋を中心に、店は多くの作品も所有する。ZENBIではそれらを展示するとともに、祇園の街や店と関わるテーマで企画展も数カ月ごとに開く。企画展に合わせて和菓子も作る。例えば鍵善の紙袋の絵も描く人気画家の山口晃さんの展覧会では山口さんが意匠を考え、「生命の始原」をテーマにするなどユニークな菓子が人気を呼んだ。それらが定番として残ることもある。
同店名物の葛切りも、こうした交流の中で育った。昭和の初め、葛切りは「昔の文献で見るような古くて素朴な菓子だったようです」と15代目の現社長、今西善也さん。それを黒田作の贅沢(ぜいたく)な螺鈿(らでん)容器で常連らに出したのが評判を呼び、今に至るという。「斬新なことを面白がってくれる人の期待に応えようと、菓子を作ってきたのです」(今西さん)
ポップなデザインのらくがん「飴雲」は陶芸作家と鍵善良房社長の今西善也さんとで展覧会向けに考案し、今は定番商品に
今、店には国内外から客が集まる。常連から不特定多数へと客層が移る中でも「物を売っておしまいの商売はしたくない」と今西さん。展覧会や、それと合わせた菓子作りを一つのハブに「僕も同時代のいろんな分野の人たちと面白いものをつくり続ける」。そしてそれは美術館という開かれた場で、広く共有されていく。
伝統を守るとは先人をまねることではなく、先人と同じ精神で創造し続けることだろう。和菓子は現代の空気を存分に吸い、新たな物語を紡ぐ。

和菓子の伝統と言われていたものが
そうであるように、
知らず知らずのうちに
自由な発想に制約をかけて
しまっていることがあります。
頭をやわらかくして
さまざまなアイデアを
生み出していきたいですね。
(2022.9.23)
最後までお読みいただき
ありがとうございます。