シンギュラリティが2028年にやってくると言われて以来、人間は人工知能を夢見ながらも恐れているように見えます。
とても役に立ちそうだけども、どうやら想像を超える出来になりすぎて、人間はあべこべに支配されてしまうのではないか、そんな恐れをあちらこちらの会話に感じるようになりました。
人間の創造的な分野には決して入ってこられないから大丈夫、という人はいますが、振り返ると我々現代の日本人は、あまり深く考えず創作活動もしないままに日々目の前の仕事をこなしている生活をしているような気がします。それを感じるととたんに、やはり自分は人工知能に淘汰されてしまう人なのではないか、将来はご飯を食べられなくなるのではないか、といった心配がムラムラと湧き上がってきます。

そこで宮澤賢治。井上ひさしさんをして、最も会いたかった人物と言わしめていますが、もちろんこの世にいない賢治さんに、井上さんは文学の中で見事に対面しています。
そして井上さんは世の中を「科学と宗教とは、大雑把に言ってしまえば、それぞれ反対の方角を目指しています。どちらへ行き過ぎても良くない結果が生まれます。ところが賢治の中では、このふたつのものがたがいのお目付役をつとめていたように思われます。そしてこのふたつのものの中間に、文学がありました。」
と掴み、あらためて賢治の伝えているものを評して
「賢治は、人間は多面体として生きる方がよろしいと説いているように見えます。」とまとめています。

科学と宗教(僕はいわゆる宗教というよりアニミズム的な自然への思いと受けとめています)。どちらもかなりのスピードで発展して現代社会に溶け込んでいますが、うまく両者をバランスした感覚で生活している人はまだまだ少ない気がします。

ここに加えて資本主義とボランタリー精神のバランスもきっと必須の人間要素になるかと。

とにかく、一人の人の中にいろんな感覚、いろんな価値観を持つこと、世の中の多様性ばかりでなく、一人の人の中の多様性が必要な世の中になっていると感じるのです。