「情けは人のためならず」という言葉がある。勘違いしやすいのが、人に親切にするとその人の為にならない、と解釈されがちだが、本来の意味は
人に親切にするとその人のためになるだけではなく、巡り巡って良い報いとして自分に戻ってくる、ということらしい。

タイトルは、その言葉に似ているので、本来の意味で捉えると私が言いたいこととは異なるので、あえて本来の意味じゃない方(勘違いバージョン)の意味で書いていきたい。

広い意味で終末期を迎えた、もしくはそのステージに突入している人への支援について。

これまでにも何度も言っていることなので繰り返しになる部分も多いのだが、今回は食事の場面に絞ってみる。

私は「食べる」ことが大好きで、四六時中食い物のことばかり考えている。
世の中には、食べることに関心がない…なんて人もいるが、私からすれば全く理解できない感覚だ。

食べることが制限されたり、自らそこに対して意思がなくなったら、9割人生が終わったと思ってしまう。

食欲と○欲の為に生きているようなものだ!←最低

話しを戻すと、終末期に入る90代半ばの利用者への食事介助の場面。

しばしば私との考えに相違がある職員もいる。

明らかに「食べる」意思がない。
本人に聞いても「いらない」とハッキリと答える。

本人が好きな物や口当たりの良い物を提供してみる。

固形物だと食べにくい時もあるので、いわゆる栄養補助のドリンクなども勧めてみる。
薬局で買える物から病院でしか処方されないような物もあり、状態、状況に応じて使いわけたりもする。

しかし、それ自体も拒否されるとなれば基本的にはそれ以上無理には勧めず、時間を置いたり、本人が飲めそうな時に提供する。

が、私のような考えじゃない職員もおり、「いらない」と言っているにもかかわらず、無理やりではないが、かなりの時間をかけ、あの手のこの手の角度から声をかけては、なんとか食事を摂ってもらうように勧めている。

なんでそんなに食べてほしいの?
と聞くと、少しでも食べてもらい元気でいてほしいから、だそう。

じゃあこの考え方が間違っているのか?と問われれば、そうとは言い切れない。

なぜなら、そこには「善意」が存在し、それが前提となった上でのアプローチだからだ。

じゃあ、適切か?と問われれば、私は「適切ではない」と答えるだろう。

もちろんこれだって私の主観だし、「適切だ!」
なんて答える人だっているだろう。

あくまで私の判断基準としては、
本人の「いらない」という意思が明確なこと。
実際にその言葉通り、口に入れようとすると拒否すること。
申し訳ないが、元気になる展望がないこと。
仮に一時的に体力が回復したとて、あくまで一時的であり、予後不良の可能性が高いこと。
誤嚥のリスクがあり、苦痛を伴う可能性があること。
最後に、意に反して口に入れることは逆に虐待と定義づけされてしまうこと。

以上が概ね私の考える判断基準。

しかし、先の考えのような職員からすれば、とにかく「食べる」ことが、「正義」なのだ。

粘って粘って、なんとか放り込んだその一口にいったいどのような意味があるのだろう?

「善意」は職員の意思であって、本人からすれば「悪意」と捉えるかもしれない。

だって、食べたくないのだし、「食べたくない」と言っているのに食べたくもない物を、やれ元気が出るぞ!ほれ、元気になれ!

めっちゃ苦痛ちゃうか…?と思う。

別にその人がかわいそうとか感情論で言ってるんじゃなく、誰の為の食事なん?と思ってしまうし、正直な本音で言えば、成果のないところに無駄に時間をかけることに疑問。

本人が求めている時間であれば、時間の許す限りこちらが時間をかけるのは良いが、ワンマンショーに付き合わされている本人や周りの職員からすれば迷惑でしかない。

それなら苦痛な時間を減らし、別の有意義な時間に活用した方が良いと思っている。

何度も何度も話し合ったし、ここで言っている意味も何度も説明したが、理屈でわかっていても気持ちがついていかないのだろう…

本人がそれを望んでいるのであれば、どうぞ時間や状況が許すならそうして下さいと言うが、誰の意にも沿っていないことを延々と繰り返す気持ちがいくら善意であっても私には理解できない。

よって、「善意」は人のためならず、という場面が存在するし、いろんな方向から見ることができないと、結果的にその善意が人を苦しめることにもなってしまうのだと思う。

お読み頂き、ありがとうございました。