シェアオフィスでのイベントの新月のワークに参加しました。
「不要なものを手放し本当の自分になろう」という趣旨です。
こうなりたい。あれをしたい。というものがあっても、自分の中で「無理だよ。」とか、なんだか出来ない。という制限があります。
それは生きてくる上での経験から、本来の自分とは違う「複人格」というものを作ってしまうそうです。
例えばそれは、子供の頃の自分であったり、思春期や大人になってからの自分だったりします。
子供だったら、遊びたいのに遊ばせてもらえなかった。とか、わかって欲しいのにわかってもらえなかった。とか。
大人になってからだと、挫折とか、社会の枠にハマらないといけないとか、理不尽な事も受け入れないといけなかった。とか。
だから殆どの人に複人格は存在します。
今日のワークは、体験型のワークで、参加者がそれぞれ役割を演じて、制限するものを解除し、統合していく。というものでした。
ファミリーコンなんとか、というワークらしいです。
めっちゃ面白かった2人のワークをアウトプットします。
1人め レオンくん(仮名、男性、20代?)
レオンくんは第3チャクラあたりに根深い怒りがある、とファシリテーターのリティーシャさん(エネルギーがみえる)と言われましたが、本人としては、あまり自覚がありません。
レオンくんは「自由に表現したいけど、嫌われたくない。という思いや、認められたい。という思いが、自由に表現するのを制限している。」という事だったので
「本人」
「嫌われたくない」
「認められたい」
「自由に表現したい」
という4つの役を立てました。
レオンくん本人は、役にならず客観的に見ています。
私は「自由に表現したい」役、を割り振られました。
ワークは立って行い、感じたままに自由に動いたり、発言したりします。身体全体でチャネリングしてる状態です。本当に不思議なんですが、役を割り当てられると、自分とは全く違う意識(?)になります、
「本人」の前に「認められたい」その奥に「嫌われたくない」そして一番奥に「自由に表現したい」が配置されました。
なりたい自分である「自由に表現したい」は、本人から遥か遠く、その前に「認められたい」と「嫌われたくない」が立ち塞がってます。これがレオンくんの心の中なのです。
それぞれがどう感じるか聞いてみると、
「本人」は、「認められたい」や「嫌われたくない」から圧迫感を感じて動けない。
「認められたい 」は、「嫌われたくない」にピトッっとくっつきました。
「嫌われたくない 」は、うずくまりました。
「自由に表現したい」は、後ろで起こってる事に全く関心がなく、窓の外の車や、興味ある事に目を向け自由です。そのうち踊り出しました。
そして「本人」の隣にいきました。
「本人」はつられて一緒に踊って楽しくりました。
「本人」が楽しくなる程、「認められたい」や「嫌われたくない」は無気力になっていきました。
本人は「認められたい」や「嫌われたくない」の存在が気になるものの、どうしていいかわからないし、踊ってて楽しいので、「認められたい」や「嫌われたくない」はいらない。無いものにしよう。と、しました。
これは、まさにレオンくんが、指摘された第3チャクラあたりにたまってる根深い怒りの自覚がない状態です。
「自由に表現したい」は全く何にも構わず楽しく踊ってます。
全く動かない状況に、見兼ねたファシリテーターのリティーシャさんが
「愛情」役で入り、「嫌われたくない」と「認められたい」に寄り添い、癒し始めました。
すると「本人」が「認められたい」「嫌われたくない」に近づきました。
無気力になって寝転がってた「認められたい」が起き上がり、うずくまって沈黙してた「嫌われたくない」が「ちくしょう!」「バカにしやがって!」と気持ちを吐露し、そのうち泣き出しました。
その間も「自由に表現したい」はひたすら踊ってます。
泣いて気持ちを吐露した「嫌われたくない」は、だんだん元気になり、立ち上がりました。
そして「自由に表現したい」の方に振り返りました。
「自由に表現したい」は、「待ってたよぉぉぉ!」と、なんとも嬉しい気持ちになり、みんなで踊りました。
こうしてレオンくんの心は統合されました。
このワーク、本当に面白いです!
自分の心を自分で掘り下げるって、案外大変です。自分のクセで逃げたり、見ないフリしたりするところもあります。
でも、このワークは、役の人が勝手に掘り下げてくれるので、自分は客観的に認識できるのです。
大分簡単に書きましたが、他にも色々なメソッドが組み込まれてるかなり濃いーワークです(*^^*)