タラニです。


家の中から、外は暑そうだと

出かけることを渋ってはもったいない!

やりたいことまであきらめてはね!

実際、外に出ると怖がって怯えることはなかったとなるから!


ニュースで外出、運動が、いけないことのように、思い込まされていませんか?

だからって、ずっと冷房の中に1人でいると、私はかえって体調を崩してしまいます。


そんなふうに、自分以外の外の情報に怯えているだけのことが、案外あるのかも知れません。


というのも、最近同居している父の口癖にフラッシュバックして気づいたんです。


「女のくせに」と言われていたことを思い出し気づいたこと



外の暑さが怖くて、今日も家に引きこもっていた私。

でもふと、「内側で怯えて、実際に外の暑さを体感しないことって、もったいないことかもしれない」と思いました。

実際に外に出てみたら、案外大丈夫で──

死ぬことはなさそうです。


そんなふうに実際に外の世界に出てみると、

心の奥にしまい込んでいた、過去の記憶がふっと顔を出しました。


それは──

「女のくせに」と、父から何度も言われ続けた、あの頃の記憶。


父はすぐに怒鳴る人でした。

キレると、ものすごく嫌な顔で身が凍るような暴言を放ちました。

あの家の中の雰囲気は、いつも哀しみと恐怖に包まれていて、

母もまた、そのストレスを幼い私にぶつけていたように思います。


父の心の奥には、

本当は甘えたかった。

守ってほしかった。


その我慢が、暴言の下にある正体だとわかります。


大人になって振り返ると、父の言動の背景にあったのは、戦争じだいと

風土の中で根深く染み込んだ「男尊女卑」という風習だったのでしょう。


子どもの頃の私は、どこかで父を尊敬して美化がありました。

先進的で知的な人だと思っていたくらい。

でも、実際は

父は差別的な言葉を母にぶつけ、

「お前はバカだ」と人格を否定し続けた人でもありました。


母は本来、商才や芸術的な感性のある人でした。

でもその才能を花開かせることなく、

怯えながら生き、病気で早くにこの世を去ってしまいました。


今になってようやく気づいたのです。


あの時、

“個性を持つこと”も許されなかった。

まるで奴隷のように男に尽くして生きることが正しいと思わされていたのだと。


私は父や自分の傷を見ないようにしてきた。

でも──

やっと、過去を振り返って目覚めたのです。


私も、母も、十分に良かった。


「根拠のない偏見や差別に、もう自分を傷つけさせない」と。



他人の情報を鵜呑みにして、引きこもって怯えている場合じゃない。


私の足で、私の心で、

この人生をちゃんと体感していく。

あの時感じられなかった風や光を、

これからは、ちゃんと味わって生きていきたいのです。


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