こんにちは、

自分自身である幸せを紡ぐ

タラニです。

 



 

 

 

 


【父の回顧録】

 


81歳はつぶやく


「俺は、おかしいのかな?」

「どうして、いつも俺はこうなんだろうな。」

 

「分からない。まるで、自分が無いみたいでさ。」

 


気がつけば、振り子のように外にばかり反応して、心が落ち着かねぇ。
昔からそうだった。
自分が傷つくことが怖いから 

近しい人には、つい暴言をぶつけちまう。
これは子供の時に身に着けた予防線、防衛戦

ほんとは甘えたいのに。嫌われると思ってしまうから天邪鬼になる。
甘えたいのに。

戦時中のころ、

「お前なんか生まれなければよかった。」

「死んでくれたら、いっそ助かるのにな。」

もし、甘えたら、

身内から本当にひどい言葉を浴びせられてしまう

と思うと、体がビビッて全く甘えられない。


その代わりに

「寂しくなんかないやい。絶対に泣くものか。俺は俺の人生を生きていく。」
そう思っていた。

小さい自分には到底無理だから、

身内から頼られないように距離を取るくせに、

心のどこかで、誰かにそばにいてほしかったんだ。
 

そして、その人生なんて俺自身のものじゃなかった。

「俺の人生」なんて嘘だ。

だって、とうの昔のまだ幼児の頃に、

俺は俺を失って自己喪失してたんだからな。 

本当のこと、大事なことは、荷が重すぎるから
いつもわからないフリをして、避けて通ってきた。

妻とも、本当の意味で心から親しくなれなかった。
まるで、根のない草だな、俺は。
居場所ってもんが、なかったんだよ。

きついよな……。
何かに引っぱられて、何かに追い立てられて、
ずっと落ち着けなかった。

落ち着きたいのに不思議と、

じっともしていられねぇ。

あちこち動き回って、

気づけばついにバタンと寝ちまって、
酔っぱらって、野宿だって何度したことか。

 

人に迷惑をかけてるのをどこかでわかっていながら、
また、虚勢を張って、居座る。

スナックだって、酒場だって、どこだって、

……居場所ってやつを、無理やり感じようとしてたのかもな。

「俺って、どこ?」

あのときだ。
小さな子どもの頃。

「お前なんか、いなくてもいい」って、
何かの拍子に、母親や兄弟からそう言われて。
自分で、自分を捨てちまったんだ。
ジャマな存在だと思って。

そして俺は、
食事も居場所も迷惑もかけない、

空気みたいないい子になった。

何もいらないよ、って顔をして。
愛も、食べ物も、洋服も、カバンも、靴も。
そうやって、何も求めずに、生きてきた。

でも今、ふと考える。

ほんとは――
話をちゃんと聴いてくれる人。
そばにいて、「いてくれていいんだよ」と言ってくれる誰か。

そういうの、妻が与えてくれた

なのに、ぜ~~~んぶスパスパ回避した。
ぜんぶ、欲しかったんじゃないのか?

なぜだ? 本当は……俺は、それを欲しかったんじゃないのか?

なのに、それに触れそうになると

俺は岩になり、崖になって崩れ落ちていた。

妻に謝っても、どんなに謝っても謝り足りないだろう。

本当の俺を、今からでも取り戻したい。
残りの人生が少しでもあるなら、
その「俺」と、静かに過ごしてみたい。

誰にも気づかれなくていい。
だけど、
俺が俺のことを、見つけてやれたなら――
それが、俺の生きてきた意味なのかもしれないな。

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