突然ですが、あなたは祖父母のお葬式に出たことがありますか?
私の父は私に祖母のお葬式を教えてくれませんでした。
お前が忙しいから迷惑かけたくなかったからと言う理由です。
なんて水くさいのでしょう。
私のお祖母ちゃんは最期「寂しい」と「誰も私の事を愛してくれる人はいない」と言って亡くなった人だと思います。
なぜなら、生後直ぐにお祖母ちゃんは実の父親を戦争で亡くし、実の母親はそのことで離縁させられて赤ん坊のお祖母ちゃんを置いて家を出たからです。
きっと曾祖母も心を鬼にして乳飲み子と別れざる負えなかったに違いないのですが、そこは昔のことケジメをちゃんとつけたのでしょう。
お祖母ちゃんは実の母親に抱かれたことが無いと言っていました。「抱きしめて欲しかった。」っと。本当に周りもやるせない寂しさに包まれます。
半世紀後に産まれた孫の私自身の人生も、9歳、6歳、3歳の子どもと生き別れる一人になるという不思議な運命をたどっていきました。
直後は、成人するまで子どもの将来を心配し苦しんだけれど。
子どもが大人になった2020年は29歳、26歳、23歳、私は別れた子ども達を再びやさしく心のこもった「ハグする」ことが出来ました。なんの後悔も恨みもなくただただ命を喜び合うハグでした。
コレからの私の目標は、3泊~5泊の家族旅行に毎年行くことです。
そのためにも、今から死ななければならない最期の日まで、一生懸命に健康的に生きようと思います。
かつて昔、親から十分に愛されずに、親の親役や仕事ばかりして、甘えたり遊んだり出来なかった私たちは心の中に愛情飢餓の子どもを抱えています。
昔のことで忘れてしまったとしても、愛情に飢えた子どもは必ず心の中にいて、常に「もっと自分を愛して」と訴えかけてきます。
しかし、残念ながら私たちは本物の愛し方を知りません。
自分を愛する代わりに、悪気なく自分に鞭打ち働らかせ、自分を叱咤激励し続けます。
一時も休ませずマグロのように働き続けているのに、追い打ちをかけて、自分で自分に否定、批判、悪評価して自分を虐待し続けることが癖になって止められません。
いつか、この苦しみから救ってくる理想の人や環境が現れるという物語を信じ続けています。
その苦しいギリギリの気持ちが、心を疲弊させ、100%理想の人を待つ代わりに、
思いっきり何かに依存しようとする心をかき立ててきます。
たとえば、アルコールや食べ物、ギャンブル、買い物、自己啓発セミナー、仕事、恋愛、病気、特定の人等、依存できる事・物・人なら何でも依存してしまいます。
そして、感覚感情をますますマヒさせ、限界がくると、うつや強迫、不安などのメンタルを病む症状を作り出してしまうのです。
いまの私たちの生きづらさは、生い立ちの状況から出来ているので、私たちの性格ではないのです。
それを思うと、戦争は本当にいけないと思います。戦争をするのは大抵大人で上の立場のある人達です。
そして、被害を被るのは庶民であり、子ども達、弱い立場の人達です。
少なくとも私には現実がそう見えます。そうして、私は大きくため息を突かざるおえないのです。
だから、私は弱い人の生きづらさに知恵と愛の光を投じたいと思っているのです。
まとめると、子どもの頃から、(さまざまな不幸な事情から)愛されなかった私たちはその真実から目をそらさずに、がんばって生きてきたインナーチャイルドを直視し、その状況を受容し、身体を緩め感情を感じて本当の自分を取り戻し、変えられない事実を許し、本当に欲しい愛を手に入れる行動を学んでいく必要があります。
それは、例えば以下のようなことを自分にさせてあげることです。
・自己肯定感を育て、
・自分を大切にし、
・休んだり、
・遊んだり、
・自分に好きなことをさせてあげること
等