とも育ちファミリー構築
カウンセラーのタラニです
タラニの人生ストーリー 3
「私は不幸で自己犠牲して
人に尽くさなければ価値がない存在」
このポジションに居続けることで
両親への忠誠心を果たしている
もうひとりの私を見つけた
その私が両親のケンカを見る時は
いつも、母親がヒステリックに泣きながら
父を責めているシーンだった。
だから、両親の夫婦喧嘩の事の発端を知らずに
荒れ狂う母親の姿だけが刻まれて
私の母親はヒステリックだノイローゼだ!
おかしいのは母親だ!と思い込んでいた!
そして、父はいつも逃げた後・・・だった?
50年間、私はトラウマ記憶に騙され続けてきたことにやっと気がついた
母が暴力的で父にモラハラをする人は間違いだった
なぜなら、現在、認知症の父親と1年半暮らしてみたから!
過去の私は間違ったトラウマ記憶を作って苦しんでいたのだ!
真実は子供の頃の両親のケンカは
父親の1~2秒の暴言暴力にあったに違いなかったのだ!!!
ここに母がどれだけ悔しい思いをしてきたことかあぶり出されてきた!
まず、私の父は戦後末期の昭和19年(1944)九州にある炭鉱の町で生まれ育っている。
兄弟は8人に食べ物があったとは思えない。
炭鉱の町では人の命の重さもどうだったろう?
さて、現在の父の話す内容は「うるせえ、てめえ」「なに言ってんの?」「てめえは最低だな」・・こんな感じ
介護するまで、父親がこんなでたらめな口癖があるなんて分からなかった。
父の反応は負けず嫌いで
攻撃モード
瞬時に力んでげんこつポーズと暴言の一言二言が出る
そして、それを指摘するとさらに攻撃的になる
こんな感じでは、昔、元気な母が父に話を聞いて欲しいとか、愛を求めた時に、
父が豹変して母のことを1~2秒の暴力暴言で突き放し
ケンカをしていたことが想像が付く
それに、カチンとした若い母が父に対して抵抗や反抗をしたに相違ない
その時、小さい私は初めて親のケンカを目にする
だから、いつも母親がヒステリーだ暴力振るうのは母親の方で
ひどい母親というレッテルを貼って
目で見えた1コマだけを記憶して
いつも母親が一方的に悪だ!と思いこんで、女はダメな存在だと決めつけて、女である自分を責めてきた私の人生だった。
記憶の世界で変わらない悪の象徴である母を
子供の私が守ってあげるために
50年間、母を責める変わりに女の自分を責めてきた
私のバカバカバカ
もう、女である自分を許そうと思う
自分を責める癖を作ったって
人生は苦しいだけで良くならないからそんな忠誠心はおわりにして手放したい。
つづく・・・
タラニの
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良い週末をお過ごしください♡
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タラニ