共育ち家族構築プログラムのタラニです。
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もう半年も前の話ですが、
思いを綴っておきます。
あまりに個人的なことなので
そこのところご了承下さい。
もう、数えるのも嫌になるし
そのこと自体に意味が無いことだけど
また、家具を倒して、父が家から脱走しました。
父は日曜日も休むことが出来ずに営業マンとして働いてきた企業戦士!
毎朝から鞄を持って身なりを整えて、私の留守の1時間のを待てずに
出かけて行ってしまった。
今回は、すぐに気がついたけれど
「もう、死んでしまえばいい」との心の声が湧いてきて、罪悪感も感じたけれど、父を探さず警察に捜索願も出さなかった。
見つからない間、私はだんだん辛くなって、自分が悪いと思いだした。
これがアダルトチルドレンらしいところなんだな。
普通には、親類や知人に心の内を吐露したり出来るものなのだろうけれど私にはそんな人はいない。
24時間後、父のカバン受けてあったデイサービスセンターの住所を通して警察から電話が入り、義理の弟が迎えに行って神奈川から埼玉に送ってくれた。
義理の弟には代行してくれてありがとう。ごめんなさい。
父は一晩、一人でさ迷ってボロボロになっていた。
まるでベトナムに30年間終戦を知らずに生き延びてきた兵士のように
父は家の疲労困憊してソファーに座った
あああわれ、可哀想
この父が、子供時代に馴染みのある私の知っている父だ。
父は昭和19年終戦の半年前に生を受け、中学をすると同時に集団就職して上京、母と知り合って23才で結婚、私が生まれ、新築の家をローンで購入し、その後ひたすら企業戦士として働き続けた。
子どもの私が知っている父の影はいつもイライラして焦っていて働きに出掛けて満員電車にぎゅうぎゅう詰めになっているのだ
亭主元気で留守がいい
そんな呑気な言葉ではない
「出かけて、仕事を取ってこないと死ぬ」と思わされて
必死で営業マンをして40年以上を休むことなく働き続けたはず、
癒やし甘えることも許してくれない妻と子ども達の為に??
父は甘えベタ、終戦の年生まれの昔ながら悲惨な男!
でも、今はあの時ではない❗それも過去のことだ!
影にピリオドを打とう‼️
私は今ソファーに沈んでいる父の腕に私の腕を絡めて、わざと「もうこれからは、大人になった娘に甘えていいよ」と茶化して見せた。
それを見ていた警察官もみんな笑った☺️
私も、そろそろ、子ども時代のトラウマから記憶を塗り替えよう、覚り醒めようと思う。
瞬間瞬時の選択を正しくしよう!