胸のブラックホールを埋めて、見せかけの分離を手放す
親離れと離婚を距離的にはしたものの
私はほんとうには分離できていなかったのだ。
私が未だにお母さんから分離できていないのは
赤ん坊の私に安心感がなかったからじゃないかな。
親が若すぎたり、何らかの事情で不安を抱えていたりして
私は安心して母子分離がされないまま ACになっていたのだろう。
だから、私の空虚感と虚無感は子どもの頃からあるに違いないのだ。
私は胸に空いたブラックホールに、
忙しくするという行動を入れて生き延びてきた。
でも、50代になると、それでは、ごまかせなくなってきた。
本来、ホールに入るべきだった、親のミラーリングによる愛着がどうしてもいる。
それなのに、私はパートナーもいなければ、親兄弟とも疎遠
長い付き合いの友達もいない 習い事もすぐ辞めてしまうので、モデルがない。
そこで、すごいのがカウンセラーさんからもらった愛着が私を癒やしたことだった。
相性のいいカウンセラーさんに会うまでに 何人かのカウンセラーさんを経た
それは、それとして、カウンセラーさんとクライアントの共同作業で
ちゃんと愛着を詰め込んでみたんだ。
「君と一緒にいるよ」
「君の味方だよ」
「君を思いやっているよ」
「君は間違ってなんかないよ」
「そのままの君でいいよ」
「君を信頼しているよ」
「君のペースを尊重するよ」
「君のこと分りたいんだ。」
すぐに時間と共にホールが埋まっていった。
さて、愛着が出来たらここからが分離の作業境界線を引く
「愛着対象に愛し愛されつつも、100%くれない対象に怒りと悲しみを感じる。」
実は、隠し持っている依存欲求を自覚し、少しずつ依存欲求を満たしてあげる
自分の道を自分で自ら歩むしかないことを受け容れる
愛着対象から見捨てられるのではないかという「不安」に対する恐怖
(自分の不安の感情に対する恐怖)
愛着対象から置いてきぼりにされるのではないかという「怒り」に対する恐怖
(自分の怒りの感情に対する恐怖)
自分の「不安」や「怒り」の感情が怖いので(感情恐怖症)
頭真っ白、全部を忘れてしまう解離性健忘になる。
それでも、そこで諦めたら、また、ホールの沼にハマる。
やはり、奮起して、何度も何度も恐怖感を減らしていく。
愛着対象は変わらず愛してくれているんだ。
対象恒常性を信じていいんだ。
でも、愛着対象には限界があるんだ。
相手にも、仕事があるし、家庭があるし、休暇もいる、まだまだ相手にも相手の自由がある。
それに、私の人生は私の足で歩む道なんだ。
個人の人生にも境界線があるのだ。
つまり、境界線を守らなければ分離は出来ないのよ、同一化してしまうから。(罠)
さあ、真の分離とは
「今までの依存欲求は、「共存」に変わり
自分の足でも「自立」して歩いて行けるようになること」
さあ、ここからが 見せかけではなく、真の分離の始まりです。
私も親離れ、前夫離れをしよう。
「今まで付き合ってくれてありがとうございました。
でも、もう、私は自分として生きていきます。
あなたに罪悪感もあったけれど、今では自分ごととして一生懸命に
尽くさせてもらえてことが恨みではなく感謝に変わりました。」
明るく楽しかった母を思い出す。
優しく穏やかな父を思い出す。
自分の家庭を始めて築いた希望を思い出す。
「あれはあれで、もう完了したんだ。」
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
さようなら。さようなら。さようなら。
分離うつを感じて羽ばたく
愛着対象を諦めるなんて、嫌だ、悔しい、悲しい、怒りたい。
あの時、私は泣き叫び、失恋した。
どうしようもない事実だった。
私は愛着対象に見捨てられる恐怖は過去のもの
今は見捨てられる不安はない。
愛を信じていられる。でも、羽ばたけるほどの自信はまだない。
こらからは、自立への努力と「自己活性化」を養う。
ボーダーラインパーソナリティーに見られる分離うつ
これは、私に当てはまったので明記する。
「ボダーライン・マザーは、子どもを自分の丸抱えしてくれる存在として利用しようとする。子どもの自律的な行動には、愛着を撤収し、依存的な行動には愛着を供給する。子どもの分離への動きを挫く。」
これを、私はやっていたことに気づいていましたが、まったくどうしていいか分らないまま、考えることを闇に葬っていました。それが今、思い出されます。