人は一人では死んでいけない

 

 

今振り返って、寂しさを安心して聴いてもらえる人間関係が出来ていなかったことを後悔する。

 

 

 

自分は一人で頑張れる。一人でもどうにか出来ると思ってきたけれど、

 

人は一人では生きていけないのだと分った。

 

死ぬときも、誰かに面倒を見てもらわなくてはならない。

 

お金を払って、面倒を見てもらうことも出来る現代だけれど

 

身近な大切な人に見守られて、安心して満足して、大切な人に委ねて

 

この世を去ることが出来るのなら、どのくらい安心感と充実感があるだろう。

 

 

 

産まれるときは、親に見守られながら

 

死ぬときは、子どもに見守られながら

 

パートナーや友人知人後継者に見守られながら

 

ゆっくり息を引き取れたのなら、死ぬにもかかわらず希望の光を見ているのではないかな。

 

 

寂しさを受け容れ、感じきった後の落着き 

 

最初の結婚で、問題があっても話し合ってもらえずに

 

頭から否定されたり、決めつけられたりして、辛かった~~な。

 

 

辛いから、導き出した答えが、女性の方が男性を立てて服従すること。

特に私の場合一周り年上で20歳そこそこの小娘が敵うような優しい相手ではなかったからそのような対処法になったよね。

 

 

女性は自己犠牲的に相手に合わせ尽くすことが当り前。

 

それは、私にとって自分を殺すといういう大変な作業ステップだった。

 

そして、自分を犠牲にして、相手を優先した結果が

 

自分を見失うにつながっていった。

 

 

 

特に、納得できるような対話がなかったことが、きつかった~~~。

 

夫婦にもかかわらず、一人孤独だった。

 

 

 

周りを見ても、女性側に不寛容で無理解で、夫は主人で暴君で、妻側を変えようとばかりして、

 

あの時の私の環境がそうだったのだ。

 

(もし、アメリカ人と結婚していたら、自分を殺すことのほどはなかったのでは?)

 

 

もう、過去の自分の寂しさを感じて許そう。

 

これからは、未来の自分を迎えに行こう。

 

行ってきます。