2001年3月(かれこれもう22年前)32才
9才6才3才の実のこどもと離ればなれになった。
青天の霹靂
突然、インドにヨガをしに行った。
2週間後帰国、降参したようにヨガも止めて、
0から生き直し、朝からコンビニから働き始めた。
毎晩、子どもに「会いたくて」枕を涙で濡らし、
時には占師に辛い気持ちを聞いてもらって凌いだ。
私は 誰でもない子どもだけに会いたかった
他の人は信じられないから。
気持ちの上で、がまんにがまんを重ねた。
そんな中、私はどのように変容していったのだろう???
・親や前夫、後妻を恨んで、まず、人を信用しなくなった。
・私を理解してくれる人は、この世に一人もいないと信じていた。
・苦しいから、一生懸命勉強して、コンプレックスから占師になった。
・つながるために、三人分の携帯を購入し渡し、自分を安心させた。
・寂しくて、電信柱の陰から、学校の柵の後ろから、お習いごとの場所から
子どもの存在を確認した。何もかもが怖かった。
・自分攻めが酷かった。誰の助けも受け取れなかった。
・残念なから、チャンスを失っていった。(トラウマの怖いところ)
・一体、私は寂しさをどうしてしまったのだろう?
・寂しさを押し殺して、置いてけぼりにしてきたようだ。(感情恐怖症)
・ものすごい疎外感はそこからきていたのかも知れない。
・今、現在、カウンセリングを受けてインナーチャイルドワークをすると
「寂しい、愛着対象に逢いたくて、逢いたくて、寝たくない」と言う。
「寂しい、愛着対象はどこ?どこ?」と訊く。
「寂しい、愛着対象の返事が欲しい、欲しい」と要求する。
大人の私は、「寂しいんだね。逢いたいんだね。
分るよ。そりゃ逢いたいよね。よしよし」と言ってみる。
少し、気持ちが落ち着く。。。
これの繰り返しかないのかな。
私は愛される価値がある。
人は信じるに値する。
私は働かなくてもいい。
私は好きなことをしてもいい。
私はありのままでいていい。
私は愛されていい。
子どもの人生は子どものもの。
子どもを尊重する。
あなたはあなたのままでいい。
ありがとうございます。