観音菩薩

『ソマティックIFSセラピー』

 

根源的な共鳴

 

恐怖と絶望が、私たちの関係性と妨げる必要がなくなった時、私たちの心は、もはや何層もの保護によって守られる必要がなくなります。私たちには、外の世界と共鳴する自由があります。身体的および感情的な振動のエネルギーを体験すると、関係性の網の目があって、私たちがその一部になっているという現実を理解し始めます。

心が、私たちをより深い親密性に導くと、身体を基盤とした愛着体験が現れます。

 

私たちの心は、温かさ、開放感、ワクワクする思いを感じると、エネルギーは外に向かいます。

「慈悲」=「共に苦しむ」

「菩薩」=「世の中の泣き叫ぶ声を聴く人」

その人の存在と自分を区別しながら、その痛みを、無限にその大きな容器の中に収めていることを表しています。

 

介護が必要な父と自分を区別しながら、父の痛みも私自身の寂しさや痛みも共有して、無限の大きな容器に収めて、解脱出来ますように。

ぎゃていぎゃていはらそうぎゃてい

パラマプルーシャ

ワンネス

 

 

 

 

 

 

 

 

過去の焼き直し 

 

2023年4月16日日曜日午後13時、やっと父を引き取りに行く。

子どもの時も、今も、私たちは、いつも、待つ時間が長いよね。

午後15時、実家に着き、父の顔を見る。ベットに寝たまま知らん顔。

私の車に乗ってもらうように声をかける、荷物をまとめて

午後16時、のらりくらり「なんで俺がいかなっきゃいけないの~」怒るポーズを取りながら、洋服を抱えて車に乗り込み、3回目の正直で実家を後にする。

午後17時30分、我が家の近所の床屋で髪とひげを切り、さっぱりする。

午後18時、我が家に到着。新しい住まいの紹介。

午後18時15分、お風呂をすすめる。

 しかし、父は「自宅に帰ってから入る・・・」と言ったが、

 私は軽く無視してお風呂をすすめて何としても、入ってもらったつもりだった。

午後18時30分、嫌な予感がして、台所の手を止めて、父を探すがお風呂にいない。

 コンビニや駅に探しに行く。見つからない。

 自分の不注意を悔いる。

午後19時、警察に電話、警察犬で捜してもらうが、見つからなかった。

午後20時、弟、義理の弟に電話する。

午後22時、私の心配が極まり、自転車で父を再度探して、無事を願う。

午後前1時半に隣駅の警察から電話が入り、やっと「保護された」と連絡がある。

直ぐ迎えに行くと、パトカーの中からおまわりさんと一緒に出てくる。

無事と7時間の徘徊を労い泣く私。

「なんだよ~。泣くなよ~。」笑う父。

(なるほど、人間の心ってこうやって防衛しているんだ。)

サラリーマン時代の癖で終電に飛び乗り、親切な人に声をかけてもらい

交番に行ったらしい。

どこかの庭でぞうきんを盗んだ様で、そのぞうきんを大事そうに持ちながら

おまわりさんには「お風呂に入りに家に帰るところだ」と説明したそう。

私は無事にサインして喜んで引き取った。

車の中では「今日はおまえのとことに泊まるって義理の婿に言っておけ!」チラリと義理の婿に愛を向ける。そして、私には「仕方がねぇなぁ」ポーズ。

亡き妻や実の子ども達よりも義理の婿や嫁の方を信頼している。

それも、仕方のない過去がある。

私が子どもの頃もこのお父さんは新築の家が目の前にあるのに、家に帰らないでホームレスの方みたいだった。

背中に哀愁が漂っていて、がに股の歩き方が少々のことじゃ死にそうもなくて。

お母さんは自分のことでいっぱいいっぱいで、お父さんに何も出来ない。

または、怒りの言葉でお父さんを刺激してしまうお母さん。

お父さんが、素直になれないのも、それを引き出されてしまった結果だったのは子どもにも容易に明らかだった。

お父さんは、いつも温かい愛が手に入らない。

今回は、温かいお風呂が手に入らなかった。

 

 

 

 

                                                     

 

 

気づき

私はお父さんに愛の言葉を贈る。すると、お父さんは「ありがとう。」と言った。

ちゃんと、受け取ってくれた。たばこの代わりに飴をいっぱいいっぱい食べてしのいでくれた。アルコールの代わりに、ベットボトルのお茶で我慢してくれている。

 

 

 

呼吸

自分の身体の余計な力に築き、呼吸で心と体を調整して、父と向き合うと、会話が上手くいく。

(父親の緊張につられないこと。)

 

共鳴

父の愛着が回避逃避型ということを受け容れつつ、私は自律した大人として境界線を保ちつつ、思いやりを実践する。

 

 

 

ムーブメント

 

父の流れを断たない。父の流れに乗るためには、自分の器を大きく広げておく。

その上で私のリードでダンスする。

 

 

 

 

 タッチ

父の腰の後ろに手を当てて支えていることを知ってもらう。

安心してもらうためのふれ合いを自然にする。

今はまだ、父は身構えている。けれど、私が優しく接すれば心を開いて応えてくれる。

 

 

 

 

 

  物語りはハッピーエンド

 

父の最期を飾る物語りはハッピーエンド。

親子の愛あるつながり、安心してお別れする。

愛あるコミュニケーションを1回でも多くする。