「怒り」をカモフラージュするための「笑顔」
「寂しさ」をカモフラージュするための「強がり」
不安が上がってくる背景に愛着の問題がある
それは、ありのままの自分ではいけないような気がするということ。
背景には、親の「感情」や「不安」を満たすことをしなければいけないと思ってきた。
過去の親のメッセージと自分の幼児決断を思い出して現在に影響し続けている。
【感情を抑圧する防衛】
中核感情 ありのままの感情を否定されたり、脅かされてきた。
制御感情 不安や罪悪感や恥を感じるようになる。見下されてはいけないと思う。
防衛機制 すると、強がったり、知性化したりして、感情を抑圧する。
私の子どもの頃、
私の母は 父と喧嘩して、夜の商売に働きに出かけるようになったと思う。
私と兄弟は家に取り残されていた。
私は兄弟の面倒を見ることで居場所と役割を持ち、寂しさを感じなくてすんでいた。
感情を抑圧した私は、自分のことよりも、働きに行く母親を大切にしたいと思った。
けれど、問題は、大人になっても、長い間抑圧されてきた怒りや寂しさはなくならなかったことだ。
つまり、母に見捨てられたり、我慢させられ続けてきたことに対する私の怒りは
無意識でくすぶり続けて、母親というもの全般に対する嫌悪感になっていた。
母親全般、母親である自分自身に厳しく辛くあたって攻撃の対象にしていた。
これが、感情の抑圧の怖さで、自分を攻撃して、不幸にしたり不幸でい続けたり、症状や病気を作ってしまうのだ。
さらに、私の「親密になることの恐怖感」は、
母からの「ケアの気持ちをもらいたいのにもらえない心の痛み」や
「見捨てられ不安」を癒やさなければいつまでたっても怖いままになってしまう。
私は子どもの頃に感じるはずだった怒りの感情を取り戻す必要がある。
無意識下に押し込めて、感じられなくなった 悲しみ、怒り、嫌悪を感じきってあげる必要がある。
しかし、それが出来ない。出来ないものは出来ないのだ!
脳が発育する重要な時期に感情を閉ざしてしまうと、現実的に感情を感じている場面でも、感情を認識する能力は損なわれたままなのだ。
だから、事実や思考や状況説明や情報しか表現に出てこない。つまり、感情が語れない。
感情を表現できないと、自分が理解できないので自分を守ることが出来なくなる
感情が表現できないと、人に心地好く理解してもらえないし、人とつながれなくなる。
私は 母親に情緒的に安心してつながれなかったことで、得られなかった絆を、不在がちな父親に希望を求め寂しさを妄想で癒やし、父親を理想化して、逆に母に嫌われた。笑
子ども時代に感情を抑圧した結果、大人になっても、防衛を手放せずに子どもっぽい色々な防衛を続けている私。
・感情麻痺して孤立
・ヘラヘラ笑う
・話しを反らす
・相手の目を見ない
・相手の話が聞こえない
そして、その防衛の裏には無力感と絶望を感じている。
私を愛してくれる人はいない。
私は愛を信じない。
私はそもそも愛なんて無いと思っている。
誰も私の寂しさを分ってくれない。
私は寂しいまま見捨てられるのだ。
・・・
私が悪いからこうなるのだ。
何でもかんでも私が悪いと思い込もうとする。
過去のトラウマの奴隷になってしまう。
私は たとえ今は感情を感じることは出来なくても
私は もう自分が「感情を抑圧」しているということには気づけた。
私は 親に対して 「怒って」いたんだ、「寂しがって」いたんだ、「嫌悪感を抱いて」いたんだ。そして、そのことに良いも悪いもなく、そういうふうに感じるのが人間らしさなんだ。
私は 当時の自分を「癒やす能力」があるだ。
私は 「あの時」と「今」の自分の違いが認識できるんだ。
私は 「親とは違う人間」で「違う人生」を歩んでいるんだ。
私は 「本来、私はそんな怖い思いや寂しい思いをさせられるべきじゃなかったな。頑張った子どもの私はもっと慰めてもらうべき存在だったな。」
私は 抑圧しないで、ちゃんと怒った方がいい存在なんだな。
私は 一人で抱えないで、だれかに寂しさを癒やしてもらっても良かったんだな。
私は もっと愛情をかけてもらっても良かったんだな。
セラピーを受けないで 一人で治そうとすると
・防衛が強くなりすぎて、感情が出てこない(感情的)
↕
・不安が強くなりすぎて、神経系が抵抗する(生物的)
中核感情を大事に出来ない
取り戻せないという結果を失敗感、無力感、絶望感を深めてしまう。
自分では出来ないんだ、この世の中は不安で、危険でいっぱいだ。
自信をなくして、定着してしまう。
学習性、無力感を自分で上塗りしてしまう。
セラピーを受けて、専門家に治してもらうと、
本当は、私は中核感情を取り戻していいで
そうした方が、安全で幸せに楽しく生きられるんだ。