先日、カウンセリングを受ける中で、私の中の
愛情深い小さな子どもが出てきました。
過去、その子は喧嘩をしているお母さんお父さんに対して
「仲良くして欲しい」と訴えているのだけれど、
機嫌の悪い親から「うるさい」と言われて
弾かれ拒絶されてしまっていたんですね。
それから、何度も同じような親からの否定が繰り返されて、
その子は“子どもの視野の狭さ”故に
「自分は世の中に受け容れられないつまらない存在だ。」と思い込んで自信をなくし、
人に対して愛情の感情が湧いてくる度に、ピュアな内側の自分に向かって
「余計なことをするな。」と罰するようになってしまたんですね。
そのために、自分が愛情を持ってすることは「何でもかんでも否定されて拒絶される」というパターンを人生の中で繰り返してきたのです。
そうして、激しい自己批判と自分責めに苦しめられて、なぜ自分は愛し愛されることを拒んでしまうのか悩んでばかりの不幸な辛い苦しい人生が何十年と続きました。
そして、その起源は両親の喧嘩の時に、逆に怒られたために、もうそれ以上、
親からの嫌な態度を受けとる前に自分を先制攻撃をして
「自分の愛は要らない悪いものだから、私の方へこないで、こないで」と
自分の自然な愛情を拒んだ結果、だんだん愛情の感覚も分らなくなり、
無意識に人からの愛情も怖くて受け取れなくなっていったことが
カウンセリングで分りました。
50歳を過ぎてから数年間カウンセリングを受けているうちに
自然な愛の感情を出さないで内側にため込んでいたことで
心の中で愛情が腐敗して溜まっている感覚がありました。
その腐敗の正体は、小さい私が優しさを表に出そうとすると、
親から「お節介だ。」「迷惑だから止めなさい。」「おかしな子」と
否定されるのが不快な複雑性PTSDでした。
そして、そのことを自分で自分の感情を怖がっている『感情恐怖症』のあることを教えてもらいました。
私の場合、いくつかの感情を怖がっているのですが、そのうちの一つに
自分自身の愛情深さを嫌って怖がっていたことが理解できたのです。
なぜ、私が自分自身の愛情深さを嫌ったかというと
小さい子どもながらに喧嘩している親を心配しすぎて、
親を「可哀想」がったり、助けたいと思って一生懸命に
親の「お世話(=お節介)」を進んで焼いたりして、
親を余計に怒らせたり、モヤモヤさせたり、面倒くさいと感じさせたからです。
だから、自分で自分を「人に迷惑をかける悪い子」と言い聞かせることで
親にそれ以上怒られたり嫌われたり拒絶されたりしないように
愛情を表現しないようにして自分を守ってきていたのです。
そのことに気がついてから、自分の恋愛や友人関係が、
自分からリセットをして続かなかった理由が分りました。
もう、自分の素直な愛情はセーブしたり否定したりしなくてもいいんだと
理解し身体が緩みました。
さらに、カウンセラーさんから
「同じ愛情深さを自分にもかけてあげられるようになりますよ。」
と言われて心が温かくなりうれしさを感じました。
その時、優しさを否定し愛情を抑圧していた私の防衛パートは許され、
「本当は愛を伝えても良かったし、受け取ってもよかったんだ。」
と落ち着きました。
愛情を感じて幸せになれますように