私は幼少期に両親が離婚をして、大好きなお母さんが私を置いて家を出て、骨の髄から心が傷ついていました。

そして、私はあまりの寂しさに心を閉ざしてしまいそうになりました。

私は自分は絶対に寂しさを感じたくないと、寂しさの感情にフタをして感じられなくなりました。

 

私は幼少期に母に甘えられない頼れない信じられないおしゃべりできない聴いてもらえないのがとてもしんどく辛いから、

二度とそれらのことを感じないように、母の温かさや存在をイメージしないように決めました。

だから、怖くてさししくても、助けて欲しくても、それを感じないように「甘えるな、我慢しろ」とか

常にセルフアタックをしておきながら、傷つきやすい自分の心を守って生き延びてきました。

 

でも、それだけじゃなくて、子供時代には怖いお母さん好きになってもらうために

向上すること、努力すること、休まないことなどの厳しいプレッシャーをかけて

自分を追い込む姿勢を身に着けて生きてきました。

 

私は人生は孤独だから、ひとりでも生きていけるようになる必要があるという前提に立つようになりました。

そして、人と関わらないような苦しい選択をし あらかじめ分れや拒絶を感じないように生き延びてきました。

だから、あえて人に関わらないようにして一人で頑張るようになりました。

私自身で人と関わらない選択しているので はじめから人との関わり方を教えてもらったことがないので、

私は他人から境界線を侵されても怒れないし、主張しないし、

私は自分を守ろうとしない、何も抵抗しないので、結果的には あきらめて泣き寝入りするところがありました。

 

私はお母さんに認めてもらうために 努力をして 認められる自分に成る以外に、

自分の価値を認められない恐怖から、本当の自分を見せるのが怖くて すり減るまで頑張り続けて疲れ果ててしまいます。

だから、私は警戒心が強くなり、対人関係のバランスの悪い人生になって、デメリットばかり引き受けてきました。

 

私の不安は、親への怒りや寂しさの感情を感じないようにフタをしたために、分の本音を感じたり自分を他人から守ったりできない不安です。

私はひとりぼっちで、頼れる人がいなくて、悪い人から利用されてしまう人間なのではないかという恥の感覚や嫌な感覚があるのに どんな人にも頼ることができません。

私は親の愛情ネグレクトを受けて 自己肯定感が傷つけられてきたので、ありのままの自分の存在価値を信じられません。

 

また、幼少期の不安な愛着の傷が土台にあります。

でも、それは、私せいではありません。

しかし、結局、心に安全基地がなかったために、今まで中長期的に幸せになれませんでした。

そして、なりに全力は尽くして生きてきたけれど、愛着トラウマのために、どうしても不安になってひとりぼっちの不幸の人生を選択するように反応してしまいます。