おはようございます。

 

『内なる批判者との正しい付き合い方』の動画を何度も観てやっと分かったので言語化して送信します。

 

私は幼少期に両親のケンカを何度も見て、骨の髄から心が傷ついていました。

そして、私は両親のあまりのケンカを見て、怒りは怖いものだ、悪いものだ、危険で恐ろしいと思い込んで

自分は絶対に怒りたくないと心底思いましたし、自分の怒りの感情を麻痺させ感じられなくなりました。

 

私は幼少期に母から言われる嫌味の言葉があまりにきついし辛いから、

二度とダメージを喰らわないように

私は自分を先制攻撃をして嫌な思いをさせ、

母から傷つかされ過ぎないように自己卑下して

傷つきやすい自分を守って生き延びてきました。

 

でも、それだけじゃなくて、子供時代にはまじめなチカエお祖母ちゃんとの文通や

スイミングスクールの厳しい練習を繰り返すことによって

常に向上すること、努力すること、休まないこと、自分に厳しいプレッシャーをかけ

自責的に自分を追い込む姿勢を身に着けていきました。

 

私は人生は苦しいものだから、楽になるためには努力が必要だという前提に立つようになりました。

そして、いつでも目の前の苦しい方を選択し自分を無いものにして服従するようになりました。

それを自分で選択しているので他人のせいには出来ませんから、権利や人権を侵されても怒れないし、

自分を守らないし、何も抵抗しないで、あきらめ泣き寝入りするところがありました。

 

努力をして認められる自分に成るか

他人に尽くして世話を焼く役割を果たす以外に

自分の価値を認められない恐怖から、自分がすり減るまで頑張り続けて疲れ果ててしまうか、

警戒心が強くなり何もしないというバランスの悪い人生になって、金銭的には損ばかり引き受けてきました。

 

そうして、自分の本当の要求を無視して、前夫や病気の夫や高齢の義母や幼子に生きがいを感じて

自分の人生を見失って他人軸で生きてしまって、4年前に私の不安定さで子供を不登校引きこもりにしてしまいました。

 

私の不安定さは、私が自分の怒りを感じないために

自分や家族の権利を守れない不安や

自分は嫌われ拒絶される人間なのではないかという恥の感覚や

周りを不幸にした罪悪感によるものでした。

 

また、そのもっと奥には見捨てられ不安の愛情不足や愛着の傷があります

それは、私のせいではありません。でも、それを感じないようにすることで、今まで中長期的に幸せになれませんでした。

そして、私なりに全力は尽くして生きてきたけれど、力不足で(自分を悪いことにして他には問題が無いことにしたいために、

私が気づいていながら その家族連鎖の愛情不足を満たすことが出来なかったために

(愛情はいっぱいあったけれども)子供達を愛着障害や見捨てられ不安にしてしまったのではないかと

不安になって反省したくなってしてしまいます。(ここで思考停止)

 

 

 

 

南さんの言葉

「尽くさなくても、がんばらなくても、そのままのたかえちゃんを愛していますよ。」