アファメーション
By 南ユウタ
誰かのためにならなくても
アナタはここに居ていい
カウンセリング日誌
私のカウンセリングも44回目
いよいよカウンセラーさんと私との間にある
気持ちをワークするまでにセッションが進んできました。
これまで、そんな気持ちのことを考えたことがありませんでした。
セッション中、私は自分の自己中心的なわがままで
カウンセラーさんを困らせたくないと決めていました。
そこには、子どもの頃に出来たスキーマがありました。
「私は自分のわがままでお母さんお父さんを困らせたくない」
「自分の気持ちを相手に伝えることは迷惑をかけることだからよくない。」
「私さえ気持ちを我慢すれば周りは良くなってくれるかも知れない。」
セッション中には、「今、どんな気持ちですか?」と問われます。
頭では色々と自分を分らせようと出来るのだけど
でも、どうしても、気持ちが分らなかった。
そして、分らないままセッションを終えてしまった。
今朝、セッションから3日が過ぎていた
ベッドから起きがけになんだか分らないけど
「私は愛されたかった」という気持ちが湧いてきた。
あっ、そうか!
「私はカウンセラーさんから愛されたかったんだ~~」
「私はお父さんお母さんに愛されたかったんだ~~~」
「過去の恋人や伴侶に愛されたかったんだ~~~」
でも、私は「自分は愛されるわけがない、一人で生きていくんだ。それがいいことなんだ。」と信じ込んでいた。
私がセッション中にガッカリした気持ちが出てきたのは
私が自分の「愛されたい」と言う気持ちに気づいてあげられずに、セルフアタックをしたからなんだ!
無意識に私はこの「愛されたい」と言う気持ちが出てくると不安になって、反射的に防衛をするんだ!
だから、愛したり、愛されそうになると、気持ちを麻痺させ、目をそらせ、話をそらせ、落ち着かずキョロキョロして
何かを誤魔化しているような決まりの悪い気持ちになってしまう。
それって、誰にも理解してもらえないし、全然かわいくない凹し、気持ちの欲求不満が溜まって辛いこと。
私は自分の辛さの核が分ったと思った。
確かに、私の両親は私の前で喧嘩していて幼い私は男女の恋愛感情についてネガティブな信念体系を脳に刻み込んでしまった。
だけど、現在の大人の私が俯瞰してみればそれは両親の恋愛感情であって、
私は別の人間で、別の時代を、別の人と、別の経験をして生きているじゃないか。
つまり、今まで私は両親と一緒になって同じ土俵に立って人生を生きようとし続けて、
両親の人生を修正するために努力してもがき苦しんで出口が分らなくなっていただけじゃないか。
それもそのはず、自分でハンドルを握っていないのだから。
運転手のいない車の助手席で悲鳴を上げてSOSを出しているような人生だったから。
もう、両親と同じ演劇をする舞台は幕を閉じる。
私を健康に産んでくれた若い両親に私は感謝しながら、
もう一度、産まれ直して、本当の自分として人生を謳歌する。
ただ、前向きに生きている、それだけでも、子や孫の自慢のおばあちゃんになれるかも知れないな♡
フィードバック
パートナーになれるということは、話し合いが出来るということ。
女だからってバカにしない、ちゃんと対等に話し合いをしてくれる男性がいい。
チグハグする成長を待てる人がいい。
男だからって泣くなって言わない、ちゃんと対等に甘え愛させてくれる女性がいい。
違う二人だけど多様性に寛容な人がいい。
愛し愛されるなんて絵空事だったが、今は現実になる。とイメージする( ´艸`)
仲の悪く見えた両親に遠慮して、自分を幸せにしてあげないなんて、
どうしてそんなもったいないことを。。。
さあ、目覚めよう!