け
ひとりぼっちはもう卒業!
自分の使命を生きながら
パートナーシップで
セカンドライフを楽しむ楽園人生!
子供の時から、私という人間は
人のことが気になって、
自分のことは疎かにしている(自己犠牲的)
そして、そのことには気が付けないでいる。
自分のことはけなしても
自分のことを褒められない。(自己卑下)
他人には素直なのに(他人軸)
自分には批判的で素直じゃない(自己否定)
人のことは認めているけど(上下関係)
自分は人から認めてもらえないと思っている。(被害者、受け身)
立場が逆になることもある。
そういうポジション取りをしてしまう。(パワーゲーム)

でも、自分らしく、自由に生きるためには
今の心の習慣を逆にしないとそうなれないと理屈は分かってきた。
本当は、
今まで、年齢だけ重ねて、自分に自信を付けるような生き方をしてこなかったことが悲しい。
その悲しみの原因は、社会参加の経験を積んでこなかったツケが廻ってきているのだと思う。
こういうと、自分責めしていると言われると思う。
だけど、やっぱり、真実は自分の強みも長所も伸ばしてこなかった生き方に問題があるとそう思う。
私はたいした自信もなくて、
社会の中で(しばらくすると)不安になって、不安が不安を呼び不安でしかないけれど、
今はやっと、丁度よいレベルに下げて、社会人としてよちよち歩きから始めたところにいると思う。

そんな自信のない妙に不安なおばさんが
社会に出て自分を磨こうとしたら、
社会で有効なスキルをさほど持っていないにもかかわらず
そんな身一つの自分を信じて 自分なりに社会で人の役に立とうとして
それはそれで素晴らしいけど、
その孤児的な世界観だけでは、まだまだ逃避やリセット癖は直せないだろう。
もちろん、また同じことを繰り返して、傷を深くしたくない。
だから、寄る辺の無さが後を引きづって前進できないまま。
安心感がないと自立が出来ないと心理カウンセラーの南ユウタさんから習った。
私には安心感がないのだな~~。
不安ということは、安心感がないということだもんね。
ゆっくりくつろげないのも安心感がないからと意識できるようになった。感謝。
しかし、安心感がなければ、子が安心できるわけがないな~~
一体、どうしたら安心感にみたされる?のだろう???
薬でもなく、がんばりでもない、のは分かる。
いい人間関係さえ継続的に築けないで
私の『共育ち家族』の構築はかけ声ばかりで
基礎の脆い砂上の楼閣と言える。
または、幻か、ショートホームステイのような疑似体験家族か、子供だましの家族ごっこか、
来年になっても、いつまで経っても、砂上の楼閣では嫌だな~~~。

今までも、一時的に安定するけど長続きしない。
長続きする本物の出逢いが出来るまで旅を続けるのは分かるけど、
今は正直、自分のことをよく頑張ってはいるけれど、
眠れないほど情けないと思う。
もちろん、カウンセリングを受ける前のように、無意識に退行していく危機は越えて
以前よりはずーーっと、ずーーっと人生はマシにはなっているけれど
人間関係の築き方やコミュニケーションの方法がまだまだマズいままだ。
だから、これからもセラピーを受けたり
出来ている人を見習って、理解を深め、練習実践していこうと思う。
オンラインでメンターに学べるいい時代に恵まれていると思う。
どうか、神様仏様お願いします。
私が感情恐怖症が克服できますように
そして、自分を大切に優先出来ますように
長続きする人間関係が築けるようになりますように