俺は、もはや、いつ死んでもいいと思っていた。そう思えば、何もかも怖くなく、何が起きても怖くない、自分は動じないと思っていた。

大学の部活に入ってから、今まで流されても、良いと思っていた。流されることで、その場に適応し成長できるものだと思っていた。

ただ、そんなことは全然なかった。

それは、研究も、自分の将来も、自分の進路も、今の状況を変えるのが怖いがための、ただの現実逃避行動でしかなかった。しかも、自分ではそうだと分かっていた。
自分がこうありたいと言う目標に、自分でブレーキをかけていたに過ぎなかった。

そして、すべての行動にいえないが、ここ数年は世間に批判を言う、「被害者意識」に染まっていたように思う。

違うのだ、そういったことで自分を見つめ、理想の自分に近づくことなんか出来やしない!自分でブレーキをかけ、その理由を他に求め憤慨し、焦燥していたのでは、当たり前だ。自分の人生は自分に降りかかっていく状況の中で自分で決めていくしかない。
そこに力を注ぐべきなのだ、と、「死に至る病」漫画版(笑)を再度呼んで、「そうだ」と思いに至った。

だが、それは、次第にそうではないと言うことに気がつく。俺は遅ればせながら気がついた。
自分の好きな価値を追い求めよう。そこにしか答えはない。過去に何を決めていたは、今の状況を惰性走行する理由にはならないのだ。

やっと、やっとつかんだ、地面。離さんぞ。しっかり、踏みしめ、前へ進もう。迷っている暇は、もうないぞ。
人に専門は何ですかと聞かれたら、「原子力工学」と答えるようにしている。特に留学生によく聞かれる。

ずっと軍事的なものは良くない!と思っていた。平和利用がいいことだと思っていた。
もちろんその通り。人を殺めるための軍事はきれい事だけじゃないに決まってる。しかし、良くないからと言って、思考を止めるのは逆にきれい事では"ない"事に加担をしてしまっていることではないかと思った次第で、この題にした。


僕は原子力を専門としているので、原子力エネルギーについてはともかく(大学でまずまず勉強はしてるけども)、核兵器についても勉強をしてみることにする。
よくよく考えてみれば、核兵器について危ない、いけない物とはわかってはいたけども、その原理や取り巻く政治についてまーーーーーーーーたく知らなかった。
英語で言ったらnuclear energyとnuclear weaponなのにね。日本語では原子力と核という風に言葉の響きを変えて、認識が鈍ってしまっていた。
ただ、日本語の響きを選ぶ繊細さはとても好き。言霊があってこその日本語だと思っている。しかし、それを真実を隠すために使われているとしたら、言語道断。真実をより人の思考・感情にうまく入るようにすることが、言霊の精神だと思う。

話を元に戻すと、アメリカの人体実験の疑いがある広島長崎の悲劇を繰り返さないためにも、このnuclearについての両面をしっかりと見ていきたいと思う。

グーグルでまず日本に核兵器の専門家がいるのかと調べてみた。まったく引っかからない。
たしかに、日本政府が非核三原則を掲げているため、我が国において研究することは不可能だ。
ただ、我が国が持たない・作らない・持ち込まないからといって、核の脅威から逃げられると言えるのだろうか?将来的にこの非核三原則を他の国が施行することがあるのだろうか?
僕はないと考えている。ちなみにウクライナは非核三原則を達成しているようですが。
とにかく、nuclearについてエネルギーの観点のみで見ていると、原子力の実態を見誤ることになると思う。

幸運にも、まだまだ大学院生ということで、論文を無料で調べることができたり、大学図書館を利用することができたりと環境に恵まれているので、できることをやっていきたいと思います。

どこかで得られた情報を知らせる場があったら、お知らせしていきたいな。