終戦の日白岡の塔へ行ってきました。もちろん私しかいません。親族の相続をしていて知った名前がありました。そうなんだと思いました。戦争状況に巡り合うことは、無力な個人にとっては災難というほかありません。もっとたくさんの人がせめて今日一日そんなことを少しでも考えるきっかけとなるならば碑も浮かばれるのではないかと思います。枯れた松はきれいに撤去されていました。