ひとり子をも惜しまなかったので

 

                                 創世記 第22章1~14節

 

                          加 藤 高 穂

 

 心の支え

 今日という時を生き生きと活動するためには、何が必要とするのだろうか。私どもは、たとい生物的或いは物質的な条件が満たされても、存在の意味を見失うや、たちまち心萎えてしまう。反対に、いかなる窮境に立たされても、この世において、生き甲斐を見出している人は、容易に倒れてしまうことはない。

 第二次世界大戦中、ソ連軍の捕虜となり、シベリアで抑留生活を送られた人がいた。零下数十度の極寒の地で、捕虜となった数多の日本人は、石炭の露天掘りやジャガイモ作りなどの強制労働に駆り立てられた。日々の給食は粗末で、ほんの僅かなものだった。そのため、たえず空き腹を抱え、栄養失調状態に陥っていた。そうした状況の下、目の前の食べ物に対して自制を保つというのは容易でない。

腐って捨てられた馬鈴薯だと分かっていても、つい手を出して、口に運んでしまう者も少なくなかった。すると、ひどい下痢症状を起こし、たちまち体力を消耗。衰弱の果て遠い異郷の空の下で、息を引き取っていったという。

 そうした状況の中にあって、何が心の支えとなったのかとお聞きすると、祖国に残してきた愛する妻であり子供だったと言われた。

いつの日か、必ず生きて日本に帰るのだ。ここでは決して死ねないという思いが、辛い日々を耐え忍ぶ力を与えてくれたのである。その勇気と希望の源泉こそ、まさに妻や子供に対する愛だったのである。

 とまれ、人はこうした愛と情熱の対象がある限り、決して打ちひしがれることはない。それを思うとき、アブラハムを襲った試練の深刻さは、察するにあまりある。

 

 愛息イサクを捧げよ

 「これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、『アブラハムよ』。彼は言った、『ここにおります』。神は言われた、『あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい』」(創世記22:1~2)。

 世継ぎの子供がないまま老齢となったアブラハム夫妻が、神の奇跡によって、約束の子イサクを授かった。いまやアブラハムの希望と愛は、全てイサクに注がれ、愛息イサクを中心に、明るい笑いと喜びの絶えない、平和で幸せな家庭生活が営まれていたのである。

 その矢先のことだった。「アブラハムよ。あなたの愛する独り子イサクを燔祭として捧げなさい」という神の言葉が臨んだのだ。

燔祭というのは、旧約聖書時代における礼拝儀式の代表的なもので、動物を犠牲として祭壇で焼き、神に捧げた。その香りが天に上っていくことによって、礼拝者の魂も神の御許に上っていくことを示し、またそれが焼き尽くされることにより、神への全き献身と服従を表現するものであった。

ところが、牛や羊などの動物ではない。年老いて生まれた一粒種・愛してやまない我が子を殺せというのである。それも父親自ら息子の喉を掻き切り、焼いて捧げよという命令だった。人道も何もない。神は、まったく人間的な所業を求め給うたのである。

 

 母性剥奪症候群

 昨今、「母性剥奪症候群」と呼ばれる社会病理現象が広まりつつあるという。米国では、年間百万件に及ぶ児童虐待が報告され、日本でもそうした傾向が確実に増大していると、新聞が報じていた。

社会面の片隅に、言うことを聞かない子供を折檻死させたとか、泣く子がうるさいと床に投げ殺したとかいった記事が出る。それは端的な例と言えよう。

 こうした行為の底流には、子は授かりものという従来の考え方が通用しなくなり、子供はつくるものといった意識が支配的となってきたことに遠因があると、指摘されていた。

つまり、親の意思や好みのままに、子供を勝手に取り扱っても良いのだという奇妙な錯覚を、私どもが抱くようになってきているというのだ。

 だが、自分の愛する子供を殺すというのは、狂気の沙汰であり、通常の神経では考えられぬことである。それだのに、アブラハムに臨んだ神は、父親である彼に、自分の手で子供を殺して捧げよと、命じられたのである。

 

 測り知れぬ神の御心

 「捧げよ」と言われた愛息イサクは、かつて神ご自身が、その子によって地上のすべての民は祝福を受けるであろうと約束されていたのだ。神は考えを変えられたのだろうか。神の約束は反古にされ、無効となったのか。最初から空手形でしかなかったのか。アブラハムの心中に生じた苦衷と懊悩は、如何ばかりだったろう。

 愛するイサクを失うや、たちまちアブラハムの家庭の幸福は消滅する。そればかりでない。イスラエル民族の祝福も失せてしまう。さらには、地上すべての民の救いと平安が潰え去ってしまうのだ。

 神は何を考えておられるのか。測り得ないのは、神の御心である。生ける神の試練に直面すると、私どもの見せかけの信仰など、砂の城のように脆くも崩れ落ちてしまう。そして、何の手がかりもない、暗黒の虚空に投げ出されたままの己が姿を知るだけとなる。

 だが、聖書は、アブラハムの心に渦巻く葛藤には何の注意も払わない。淡々と彼の行動を追っていくだけである。

 

 孤独の道行き

 「アブラハムは朝はやく起きて、驢馬に鞍を置き、二人の若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭の薪を割り、立って神が示された所に出かけた。三日目に、アブラハムは目を上げて、遥かにその場所を見た。そこでアブラハムは若者たちに言った、『あなた方は、驢馬と一緒にここにいなさい。私と童は向こうへ行って礼拝し、その後、あなた方の所に帰って来ます』。アブラハムは燔祭の薪を取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った」(創世記22:3~6)。

 何ゆえにと問いを投げても、神は黙したまま、何一つ答え給わない。その深い沈黙の中を、一行は押し黙ったまま歩み続け、三日目にモリヤの地に着いた。

 山の麓からは、もはや誰ひとり同行は許されない。アブラハムと息子イサクだけが、山路をたどり登っていく。神の命に従っての厳しく孤独な道を押し黙ったまま、一足また一足と歩み続けて行くだけだった。

 アブラハムにとって、自分の命よりも大切なイサクである。これを失うと同時に、希望はなくなり、生きる意味も失せてしまう。イサクを失うのは、神を失うに等しかった。その虚ろと闇を、彼は歩み続けていたのである。

 

燔祭の小羊はどこに

 「やがてイサクは父アブラハムに言った、『父よ』。彼は答えた、『子よ、私はここにいます』。イサクは言った、『火と薪とはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか』。アブラハムは言った、『子よ、神自ら燔祭の小羊を備えて下さるであろう』。こうして二人は一緒に行った」(創世記22:7~8)。

「父よ!」と呼びかけられた時のアブラハムの心は、如何ばかりだったか。胸張り裂け、断崖絶壁の先端にあって足のすくむような思いだったろう。「神自ら備えて下さるであろう」。彼にとって、それは精一杯の返事であった。そして、二人は無言のまま、歩を進めていったのである。

 

子を殺そうとした時

 「彼らが神の示された場所に来たとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、その子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を呼んで言った、『アブラハムよ、アブラハムよ』。彼は答えた、『はい、ここにおります』。み使が言った、『童を手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたの独り子をさえ、私のために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることを私は今知った』」(創世記22・9~12)。

 神はアブラハムの信仰理解がどうかといったことは、全く問題にされない。ただ、神の御旨に叶った行動をとる用意があるか。神の言葉に従うかどうかを、神は見給う。そして、アブラハムが全き従順を示したとき、神はイサクを生きて渡し給うたのである。

 このイサク奉献の物語が、父なる神による御子イエスの犠牲を予示していることには触れない。

ただ、私どもの人生においても、理不尽な窮境に陥り、神の沈黙に直面。絶望的な苦しみに、のた打ち回ることが起きる。だが、苦しみの只中にある時は気づかぬが、後日、その苦しみ神の祝福の注ぎ口となり、救いに与かるべく、測り知れぬ神の備えだったことを、勿体なく覚えしめられる日が来るのだ。

〔1988年3月20日発行の『アサ便り』(再刊)第71号「ひとり子をも惜しまなかったので」一部改変〕

「 別れの曲 」

 

              加 藤 高 穂

 

  殉難の地にやはらかく薔薇こぼれ

 

 新型コロナ・ウイルスによる外出自粛期間の一日、チャールズ・ヴィダー監督による1944年の米映画『楽聖ショパン』のビデオを楽しんだ。

 内容に関しては、野村光一著『ショパンの生涯』の記述と相違する箇所も見られたが、興味深く鑑賞させて貰った。

 例えば、有名な練習曲第三番ホ長調「別れの曲」は1832年5月頃の作品とされる。彼が生涯を通じて真剣な恋をし、結婚をしようとまで思い詰めたマリア・ヴォジンスカ嬢に捧げた曲である。その結ばれずに終った悲しい恋の想い出のため、一生、これを出版することを許さなかった。

 死後、彼女から贈られた、萎れた一輪の薔薇と手紙の束と共に、ワルツの草稿は、美しいリボンで結ばれ、ポーランド語で「わたしの悲しみ」と認められた封筒の中から発見されたという。

 しかし、映画では、その失恋後、九年間の結婚生活を送った女流作家ジョルジュ・サンドに捧げられていた。それはともかく、リストの紹介で相知ったサンドを抜きにして、ショパンの数々の名曲は生まれず、病弱な彼が生きられたかどうかも定かでない。

 映画では、後世に作品を遺すのが天才の使命と説くサンドと、祖国救済を大事とする彼とは、相容れ難い仲となり、結婚は破綻する。

 ショパンの身体は結核に蝕まれていたが、ロシアによって亡国の運命にあったポーランドの自由・独立運動の資金を得べく、パリを皮切りにヨーロッパ各地の演奏旅行を決行。39歳で祖国愛に殉じたのだった。

 

〔『アサ便り』(再刊)第265号「筑紫野通信」欄/2020.7.20.発行より〕

「 時を知っているのだから 」

主イエス・キリストを着なさい

 

ローマ人への手紙 第13章1114

 

加 藤 高 穂

 

時の流れの中にあって

「なお、あなた方は時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなた方の眠りから覚めるべき時が、既に来ている。なぜなら今は、私たちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。夜は更け、日が近づいている。それだから、私たちは、闇の業を捨てて、光の武具を着けようではないか」(ロマ13:11~12)。

 子供の頃、夜空を眺め、気の遠くなるような感慨にとらわれた人は少なくないだろう。その空間的な無限の広がりばかりでない。宇宙の誕生から137億年、地球が生まれて46億年、二足歩行の類人猿が登場したのは700万年前。そして、私ども現生人類(ホモ・サピエンス)が地上に現れたのは、高高3万年前だとされる。

過ぎ去った時ばかりでない。今後、どれだけの時が流れていくというのか。この膨大な時の流れの中にあって、私どもは特別長く生きたにしても、せいぜい100歳前後にしか過ぎない。私どもの人生は、ほんの一瞬、夜空に輝き、たちまち消え去る閃光のように儚く感じられる。

なればこそ私どもの存在には、この上ない神の祝福が先立っているのだ。果てしも知れぬ宇宙の広がり、永遠の時の間に、今この時、ここに生かされている事実こそ、正に奇蹟であり、神の恵みに他ならない。

しかも、聖書は「あなた方は時を知っている」と、きっぱり言い切っている。

では、私どもが知っている時とは、どんな時なのか。

 

 神による決定的な時

 新約聖書中、時という語には、継続する時を表わす「クロノス」。日・月・季節等、あらゆる時をいう「ホーラ」。更に適切な時を表現する「カイロス」がある。

ところで、「あなた方は時を知っている」という文の場合、「時」は「カイロス」となっている。すなわち、線状に継続する時間を、上から垂直に突入し、切れ目となった時なのである。永遠の時の流れに、神が確と刻み給うた決定的な時が意味されているのだ。

 ならば、その決定的な時とは、どんな時なのか。

 それは、神の独り子なるキリスト・イエスにおいて始まり、やがて完成を見る時以外にない。端的には、主イエス様の誕生と、神の支配が目に見える形で実現するキリスト再臨の時ということになる。

私どもは、主が来て下さった事実と、来て下さるという希望の光の中に、今、ここに立たされている。その時の間に生かされていることを知るほどに、パウロの言葉が、身に迫るのだ。

だから、「特に、この事を励まねばならない」と、彼は言う。ただ、原文には、文頭に「そしてこの事を」(And this)とあるだけで、尻切れ蜻蛉になっており、「励まねばならない」という言葉はない。

 では、(励まねばならない)「この事」とは、何なのか。

それは、パウロが直前まで語ってきたことを意味していよう。すなわち、主イエスの福音、神の救いに与かった者として。新たな生命の溢れとも言うべき、愛の生活。また、私どもの日々を、神が神として生き給うべく、主の先立ちを拝しつつの、私どもの歩みが求められるのだ。

 とまれ、漆黒の闇は深みの極に達し、明るい朝を迎えようとしている。日が近づいているのだ。

ここで「日が近づいている」と訳された原文は、完了形で英文に直すと、“The day has come,”となっている。その日が来てしまっているというのだ。新しい日がすでに始まり、暁の光が射し込んでいるのである。なればこそ、救い難き闇、死臭を放つ罪、絶望と滅びが、身を切る痛みとなって、己が心と魂を責め苛むのだ。肉と欲に耽溺した生活が、砂を噛むように味気なく、虚しく、何よりも疎ましいものと化してしまう。もはや、土つかずの新たかな世界に与からぬ限り、救いはない。今こそ、天来の光を受けて始まる、新しい生命が待たれるのだ。

 

昼歩くように歩こう

「そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いと妬みを捨てて、昼歩くように、慎ましく歩こうではないか。あなた方は、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」(ロマ13:13~14)。

宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いと妬み、夜の闇に紛れて行われる、おぞましくも膿み爛れた生活を振り捨てようではないか。救いの光に与かり、昼歩くように、堂々と身を正して歩こうと、パウロは呼びかけるのだ。

 とまれ、この聖句は、アウグスティヌス(354~430)を覚醒させ、回心を呼び起こしたことでも知られる。その著『告白録』によれば、386年8月、当時、31歳だった彼は、懊悩・煩悶、深い魂の悩みの果て、ミラノの庭園で無花果の樹下に身を投げ、涙の流れるままに任せていた。その時、思いがけなく隣家から「取りて、読め。取りて、読め」と、何度も繰り返す、子供の歌声が聞こえてきたのだ。それは自分に語りかける神の御声そのもののように、心と魂に鳴り響いた。彼は、溢れ出る涙を抑えて立ち上がり、部屋に入ると、机の上にあった使徒パウロの書を開いた。その瞬間、目に飛び込んできたのが、このロマ書13章13~14節だったのである。彼は言う。

「私はこのさきをもう読もうとは思わなかったし、またその必要もなかった。その句を読み終えるや、いなや、たちまち、心は、光のようなものに、みたされて、鎮まり、おおっていた闇も、すっかりかき消されて、もはや、何のうたがいも残らなかった」(今泉三良・村治能就訳)。

 アウグスティヌスは、聖書の御言葉を、御言葉そのままに受けしめられた。主イエス様が開いておられる救いの道を、そっくりそのまま、お受けしたのである。その刹那、神の光に包まれ、何者も奪うことのできない愛と平和、救いの喜びに満たされたのだ。

御霊を受けて知るイエス様の恵み、神の愛は一方的である。私どもには、救いに与かる資格など、何一つない。なればこそ、パウロは「主イエス・キリストを着なさい」と呼びかけるのである。

あのアウグスティヌスも与かった救いの喜び。立ち騒ぐ胸の波・荒れ狂う懊悩の嵐も静まり、悲しみの涙は払われ、全身全霊、神の光に満たされて、平安そのものとなる。主だけが主、神が生き給う、天来の喜びに招き入れられたのだ。

 

主イエスを着よ

地上に在りし日、イエス様は十字架の死を見据え、エルサレム入城を果された。その折、多くの人々に福音の喜びを伝えたいとの熱い祈りから、種々の譬をもって天国の奥義を語られた。 

その一つが、王が催す愛息の婚宴の譬(マタイ22:1~14)であった。

王子の婚礼である。招待客リストに名を連ねるだけでも、名誉なことだったろう。その慶びの日が来たのだ。王は喜色満面、招待客に使者を送った。だが、招かれた上流階級の人々は、この世的な利益や都合で、出席を断ったのである。

そこで王は、誰でも構わぬ、人を呼んで参れと使いを送り、一般の人々を婚宴に迎え入れた。こうして、王族・貴族しか入れない王宮に、沢山の身分の低い人々が招待され、喜び溢れる祝宴が始まった。

だが、そこに礼服を着ない男がいた。当時、王様が人を招く時、礼服のない者には礼服が用意されていて、祝宴の客に唯一つ求められたことは、礼服を着るということだけで、それは大切な礼儀だったのだ。そこで王は、「どうして君は、婚礼の服を着ないで、入ってきたのか」と言った。

ところが、男は不貞腐れたまま、返事もしない。怒った王は、その非礼な男を、外の暗闇に放り出させたという。

 私どもは、自分の業や力で、王の婚宴・天国の喜びに入ることはできない。死と滅びがふさわしい罪の子である。それが天来の救いに与からせて頂いたのだ。

これこそ、神の栄光の衣、主イエス・キリストを着るという一方的な神の恩寵、聖霊にバプテスマされて始まったことなのである。主キリスト・イエスは先立ち給う。神の御栄えを拝しつつ、今というこの時を、共に歩ませて頂きたい。

 

〔2020年7月20日発行の『アサ便り』(再刊)第265号より〕

我は初めなり、終りなり

ただ神だけを拝せよ

 

ヨハネの黙示録 第11719

 

加 藤 高 穂

 

 今を遡ること大凡1925年、紀元90年代半ばのことである。ローマ皇帝ドミティアヌスは、自らを神と宣言し、皇帝礼拝を全国民に強要した。こうして、政府が発令する公布はすべて「我らの主であり、神であるドミティアヌスが命令

す」との文言で始めねばならないとしたのである。それだけでない。ローマの神々・皇帝への礼拝を拒否する者を、情け容赦なく、火炙りやライオンなど猛獣の餌食となして、処刑したのだ。

 しかし、生ける真の神を知るキリスト者は、自らの真実に生きればこそ、皇帝を神として崇め、礼拝することはできない。そのため迫害の嵐に曝され、数多くの教会の仲間が殉教の死を遂げたのである。その激越な弾圧は、帝都ローマばかりでない。帝国領内の諸地方にまで及んだ。キリスト者は、皇帝による悪魔的な所業を目の当たりにして、恐怖におののき、世の終りに直面しているかのような不安に、おびえ恐れていた。

 

御霊の中にあって

時に、教会指導者の一人だった著者ヨハネは、迫害により、エーゲ海に浮かぶ孤島パトモスに流刑の身となっていた。そんな或る朝、彼は主日礼拝の最中に、「御霊に感じた」(黙1:10)という。ギリシャ語の原文では「御霊の中にあった」〔エゲノメーン・エン・プネウマティ=I was in the Spirit〕となっており、彼ヨハネの全存在が、主の御霊に浸されていたのだ。

すると、どうか。十字架に死に、三日目に甦り、今も現に生き給う主イエスが、彼の前に姿を現わされたのである。眩めくばかりのご威光に触れたヨハネは、主の足下に倒れ、死人のようになった。

このとき、主は右手を彼の上に按き、「恐れるな。私は初めであり、終りであり、また生きている者である。私は死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉の鍵を持っている。そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書き記せ」(黙1:1719)と、仰せられたのだ。

 

 流れゆく歴史の果てに

 チェコが生んだ作曲家スメタナの交響詩『わが祖国』第二曲に、「モルダウ」がある。ボヘミヤの森から流出した水が、流れ進むに従い、次第に水量を増し、広く大きな川となり、やがて詩人の視界を離れ、遠く流れ去っていく。川の流れに沿って、色彩豊かな情景が、まるで絵巻物を見るかのように、次々に展開されて行くのだ。

 私どもの歴史も、モルダウ川さながら、さまざまな時代の変化、折々の情景を映しながら流れていく。その歴史の底を貫き流れているものは、一体、何なのか。モルダウ川は、やがてエルベ川と合して、北海に流入する。だが、私どもの歴史の流れゆく果てには、何があるのか。

 預言者ヨハネが、御霊を受け、主なる神に拝させて頂いた人類の歴史は、「新しい天と新しい地」(黙21:1)の実現をもって、完成を見る。かくて、地上の出来事は、すべからく神の御旨によって成り、そこに意味と目的があることを覚えしめられるのだ。

だが、そこに至るには、サタンの支配の下、罪の暴威に曝される世界の現実と、それに対する神の激しい審判という、おどろおどろしい光景が繰り広げられていく。その災禍と審判は、第六章、神の右手にある七つ巻物の封印が、主イエスによって次々に解かれることで始まる。第八章から十一章にかけては、七人の天使がラッパを吹き鳴らして生起する七つの災い。更に第十六章では、七つの鉢が地に傾けられて臨む災いをもって、神の怒りは頂点に達する。こうして、神直接のあらたかな「新しい天、新しい地」が現成するのだ。

 

 神の審判の意義

 神の審判は、このように七つの災いを一連に、それが三度反復され、その都度、災いが過酷の度を増していく。それは、偶像礼拝によって滅びに陥る者が、真の神に立ち帰るべく、猶予の時を与えられている何よりの証左であろう。神は、私どもを待っておられるのだ。

 だから、神の審判は単なる処罰とは違う。ましてや、罪や悪に対する復讐でない。神にそむく者、罪人を救いに渡すため、ご自身を十字架に磔にしてまで、私どもを愛し抜かれた主である。なればこそ、私どもが、サタンによる闇の力に飲まれ、虚しく滅んでゆくのを見過ごしにはできないのである。神に背く力は、破砕されねばならない。そこで、神の怒りが発せられるのだ。真の神が、神として生き給い、拝されるための審判なのである。

 

 荒野での幻

「それから、七つの鉢を持つ七人の御使の一人がきて、私に語って言った、『さあ、来なさい。多くの水の上に坐っている大淫婦に対する審きを、見せよう。地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫の葡萄酒に酔い痴れている』。御使は、私を御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。私は、そこで一人の女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚す数々の名で覆われ、また、それに七つの頭と十の角とがあった」(黙17:13)。

 「赤い獣」とはローマ帝国を暗に示し、「大淫婦」「赤い獣に乗っている女」とは、帝国に君臨する首都ローマを指している。また、「七つの頭」というのは、アウグストゥス以下、五番目に名を上げられたネロを含む七人の皇帝ではないかと推測されている。

とまれ、「昔はいたが今はいないという獣、すなわち第八の者」(黙17:11)というのは、使徒ペテロを始め、多くのキリスト者を迫害して殉教の死に至らせた、皇帝ネロのことだとされる。

彼は自殺して死んでいたにも拘らず、実は死んでいない。それどころか、東方のパルテヤで生きながらえ、「十の角」に象徴されるパルテヤ族諸王の軍隊を率いて、ローマ市民に復讐する。さらにはキリスト者を迫害するとの噂が巷に広がり、人々を恐怖に陥れたのである。

幸いにもネロの風評は風評のままに終ったが、第八番目の皇帝ドミティアヌスが登場すると、ネロに倍するキリスト者迫害を行ったのである。

 しかし、権力と富の上に殷賑を極め、驕り高ぶっている赤い獣なるローマは、永遠に生きることはできないのだ。暗黒の力を待ち受けているものは、何か。それは、生ける神の審判であり、将来する神の栄光の前に、この世の栄華は一瞬に潰え去り、天来の讃美に呑まれてしまう神の支配の確かさだった。そこからは、「ただ神だけを拝しなさい!」と告げる天使の声が、天地を貫く永遠の真理として、鳴り響くのを聞くばかりである。

 現下の日本では、イエスをキリストと告白しても、何ら迫害を受ける心配はない。だが、ほんの80年程前は違っていた。第二次世界大戦中、矢内原忠雄は、反軍・反戦思想の持主だとして、東京帝国大学を追われたが、彼の許に集う青年たちに聖書講義を続けた。1942322日に『黙示録』を講じた速記録の中で、彼は語って言う。

「現代に於てバビロンとは何者だ。我々の信仰を圧迫する者。之が現代のバビロンであります。彼らは私共から福音を宣べ伝へるべき手段を取上げる。わけのわからない事を言ひまして、私共の立場を咎め、私共に国を愛する愛国心がないと言ふ。何がないだ。何が愛国心であるか。国の。この国のたましひが痩せたならば、体はふとっても、どの位物的な、軍事的・政治的・経済的な力は増しましても、倒れる時はあっけなく倒れるのであります。神に愛せられ、神の祝福を蒙るものと我々の国をなす事が、なさうと努力することが、之が最大の愛国心ではないか。」(矢内原忠雄著『聖書講義』Ⅳ534-535頁より引用)。

私どもは、生ける主イエス・キリストのまなざしの中に、今を生かされている。私どもにとって、死は滅びでない。永遠の生命とその平安への門出なのだ。御霊の注ぎを受け、確かな望みをもって、共に生かされて参りたいと、存じます。

 

2020520日発行の『アサ便り』(再刊)第264号より〕

鯉のぼり

 

              加 藤 高 穂

 

大海(おほわた)の風に跳ねたる鯉幟

 

吹上げの谷風呑んで鯉のぼり

 

 結婚して一年、長男が四月に誕生。母子共に元気な姿で、産院から戻ってきた日のことだった。

なんと玄関先のポールには、鯉のぼりが高々と風に泳いでいたのである。郊外の小高い丘に立つ一軒家に寓居していた私どもへの、大家さんの粋なはからいだった。竿のてっぺんでは、天来の祝福を告げるかのように、矢車がきらきら輝きながら回っていた。人の心の温かさ、有難さを、しみじみと感じさせて頂いたのを憶えている。

 そもそも端午の節句に、男の子の出世と健康を願い、鯉幟を立てるという風は、江戸時代中期に始まったという。この日を尚武の日として、武士は兜、薙刀、毛槍、旗指物などを家の前に立てて飾り物とした。

一方、町人は武具に代え、中国の黄河上流の急流・龍門を登った鯉が龍に化すという伝説に因み、出世魚の鯉を幟として立てて対抗したのに始まる。いずれにもせよ、次代に生きる子供の幸せを祈る人々の心には、寸毫も変わりはない。

いつ、どこでのことだったかは、忘れてしまった。海沿いの道を車で走っていた時のことである。白波の立つ沖合からの風に、まるで生きているかのように、鯉幟が勢いよく飛び跳ねていた光景を思いだす。

 新型コロナウイルス感染の脅威を前に、人は親しい交わりを妨げられ、言葉も呼吸もマスク越しという、息苦しい昨今である。

なればこそ、永遠に生き給う主なる神からの生命の風を、胸一杯に吸って、共に生かされて参りたい。

 

〔『アサ便り』(再刊)第264「筑紫野通信」欄/2020.5.20.発行より〕

「 青き踏む

 

              加 藤 高 穂

 

草萌ゆる大地の息吹き野に山に

 

下萌えを踏みて(をさな)の二歩三歩

 

青き踏む野に満目の光あり

 

 その昔といっても、そんなに遠い日のことではない。

私どもが子供だった頃は、町中にあっても牛や馬、山羊や豚、更に鶏などと触れ合う機会は少なくなかった。それだけ多くの動物たちが、私ども人間と力を合わせ、共に生きていたのだ。否、彼らこそが、どれだけ大きな力となって、私どもの命を育み、助けてくれたことか。思うだに、物言わぬ動物たちの従順で、純朴かつ温和な姿に、唯頭が下がるばかりである。

 下草が萌えだし、野山に大地の息吹きを感じる候ともなれば、動物たちも新しい生命誕生の時期を迎える。生まれたばかりの仔馬が、覚束ない四肢を踏んばり、立ち上がろうとして懸命に若草を踏み、この世の第一歩を踏み出すのだ。

 

「ぬれた仔馬のたてがみを、なでりゃ両手に朝のつゆ」

 

と、子供時代、好んで歌っていた童謡を、何故かふと思い出した。

 わが子が、初めて自分の足で立ち上がった時もそうだった。周りの拍手と、「上手!上手!」という声に励まされ、喜色満面、倒れては立ち上がりを繰り返していた。こうして、第一歩を踏み出すことになる。

 だが皆が皆、拍手と歓声に包まれ、この世の第一歩を踏みだすわけではない。人それぞれである。ただ、尊い命を授かって生まれたお一人お一人には、私どもの思いを超えた、測り知れない大きな祝福と恵みが、先立っているのだ。

 

〔『アサ便り』(再刊)第263「筑紫野通信」欄/2020.3.20.発行より〕

「 主にあっていつも喜びなさい 」

 

ピリピ人への手紙 第⒋章⒋節

 

加 藤 高 穂

 

あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。

 

 使徒パウロは、生涯最後の二年間をローマの獄中で過ごし、紀元六四年に皇帝ネロによるキリスト者迫害の嵐の中で殉教の死を遂げたと伝えられている。

この手紙が宛てられたピリピ教会は、パウロの伝道によって生まれたヨーロッパ最初の教会である。それも、紫布の女商人ルデヤという一女性が信者となり、彼女の家が教会として、主の御用のために提供されたことに始まる。以来、このピリピ教会とパウロとは、主イエスによる深い愛と友情の絆に結ばれ、終生変わることがなかった。

 とまれ「ピリピ人への手紙」は、パウロが獄舎の中で書いたため、「獄中書簡」の名で呼ばれている。生きるか死ぬかも定かならざる状況のまま、留置され続けるといった、全くの閉塞状況の中で書かれた手紙なのである。

しかし、不思議なほどに暗さがない。それ以上に、「喜び」或は「喜びなさい」という言葉が、何度も出てくる。そのため古来「喜びの書簡」の名でも呼ばれてきた。

苦境の只中にある使徒パウロの喜びを奪うものは、何もなかったのである。それどころか、獄中にあって、人々をして何ものも奪うことの出来ない喜びへと導いているのだ。この突き抜けた平安と喜びは、一体、どこから生れるのか。

 

主にあって喜べ

使徒パウロとて、私どもと同じ人の子である。痛みや苦しみを感じないのではない。痛みも苦しみもある。だから、この喜びを人情で受けとめると、間違ってしまう。

「主にあって喜べ」となっている。「主にあって」とは、主に捕えられてという以外にない。ダマスコ城外で、復活の主イエスの光に巡り照らされて以来、パウロは神の息吹きの満ち満ちた世界に生かされていることを、如実に経験してきた。

 生ける主イエス・キリストの近さを受けると、空っぽの自分に沸々と湧き上がる力を感じる。痛みも苦しみも、困難も行き詰まりも、そっくりそのまま、我が身が主に保たれ、恵みに生かされつつあるのを覚えしめられるのだ。

主イエス・キリストが、生きて働いて下さっている。自分は、その道具であり、器に過ぎない。恵みを受けたから、自分がどうなるこうなるでない。生くるうれし、死ぬるもよし。生きて働き給う主イエス・キリストに、全てをお委ねする。ここに、パウロの魂の平安があったのである。

 

 どんな境遇にも

 だから、彼は言う。私は、ありとあらゆる境遇に処する秘訣を心得ている。私を強くして下さる方によって、何事でもすることができる」(ピリピ四・一二~一三)と明言している。

キリスト・イエスの御前に、この身も魂も、そっくりそのままお捧げして、神の御用以外にないところ、すべては「主にあって」の一点に、パウロは生かされていたのである。

心と魂が、天に吸い寄せられ、天来の生命に生かされるのだ。自分とは全く別物、神の息吹き、主の御霊に満たされると、内から湧き上がる喜びに満たされる。真の生命は、いつも新鮮な活力に満ち、晴やかで喜ばしい。

主の御栄えと御用のためにという一点、そこにこそ、私どもが艱難・迫害にも動かされない感謝と讃美の源泉があるのだ。土の器なりに、自分の生を雄々しく生きる道を頂くのである。思えば、イエス様の御邪魔ばかりの日々を送ってきた今、主のみ栄えを拝しつつ、新たな時に向かっての一歩を踏み出させて頂きたい。

2020320日発行の『アサ便り』(再刊)第263号より〕

この火炎の中で

 

ルカによる福音書 第161926

 

加 藤 高 穂

 

 誰も好きこのんで挫折したり、逆境に陥ったりはしない。やむを得ずして窮地に陥り、自己の破れを味わうのである。とは言っても、折れたことのない人間ほど始末の悪いものはない。他人の痛み、悲しみ、もののあわれが分からないからである。そういった意味では、苦悩の中で始めて気づかされることを、決してないがしろにはできない。

 イエス様は、今、この世にあって、際立った境涯に生きる二人の人物を、目の前に描き出して見せ給う。

 

生きてきた意味はどこに

 「ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日贅沢に遊び暮していた。ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物で被われて、この金持の玄関の前に坐り、その食卓から落ちる物で飢えを凌ごうと望んでいた。その上、犬が来て彼のできものを舐めていた」(ルカ16:1921)。

 内と外を隔てる門扉を境に、明暗は全く所を変えていた。一方には何の不自由もない贅沢三昧の生活があるかと思えば、もう一方には食べるにも事欠き、文字通り、犬にも舐められる畜生以下の惨めな生活があったのである。

 だが、この世で成功を手に入れたからといって、必ずしも人生の宝をも掌中にしたとは言えない。逆に成功したというその事のために、人生の意味を見失ってしまうこともある。

 とまれ、朝の光に美しく咲き出した花も、やがて枯れ果て宵闇の中に忘れ去られるように、人の生も老いに向かって進み、終わりの日を迎える。自分のものと

思っていた力、脚力といい、視力といい、聴力といったものも、一つ一つ剥ぎ取られ失っていく。そして、いつの日か必ず死が訪れる。その日が、老いを迎えるに至らず、突然、やって来ることもあるだろう。命の息を抜き取られるや、たちまち人は死に、この世での諸々の企ても崩壊するのだ。

 その時、私どもは自分が生きてきた意味を、どこに見出すのであろうか。この期に及んで、この世の成功

とは裏腹に、人生の意味を見失っていたことに気づいても遅いのだ。それを聖書は、金持ちとラザロの死後世界の対照をもって指し示すのである。

 

 この世と来世

 「この貧しい人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムの懐に送られた。金持も死んで葬られた。そして黄泉にいて苦しみながら、目を上げると、アブラハムとその懐にいるラザロとが、遥かに見えた。そこで声を上げて言った、『父、アブラハムよ、私を憐れんで下さい。ラザロをお遣わしになって、その指先を水で濡らし、私の舌を冷やさせて下さい。私はこの火炎の中で苦しみ悶えています』。アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみ悶えている。そればかりか、私たちとあなた方との間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなた方の方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらから私たちの方へ越えて来ることもできない』」(ルカ16:2226)。

 マルクスは、「宗教は阿片だ」と言った。麻薬吸引者は、薬物の力を借りて、現実を忘れ、虚妄の世界に逃避する。そして、底なしの泥沼・魔界に沈み込んでいくのだ。宗教も同じく、この世で苦しむ人に、来世を夢想させることで、現実を変革しようとする情熱や意志を眠り込ませてしまうと言うのである。

 確かに、来世の幸福を味わうラザロの話に、貧しい人、捨てられた人、病み苦しむ人、卑しめられていた人は、深い慰めと励まし、希望と喜びを味わい、心躍るものを感じたであろう。行けども、行けども、道は暗く、出口の見えないどん詰まりの向こうから、一条の光が射しこんで来たのだ。そして将来する光の中で、この世の悲しみや苦しみが、楽しげに浮かんで見えたのである。惨めさの中で縮こまり、すべてを諦めて生きていた。今は、その貧困が誇らしくさえあった。主の御前にあっては、すべてが許され、受け入れられるかのような幸せな思いに満たされる気がしたに違いない。

 それに引きかえ、世の富める者、幸福を味わっているものには、ただ金持ちであるというだけで、来世の責めと苦しみが待っている。此岸と彼岸の生活が逆転するのだ。それなら、与えられた今、この時をとことん喜び楽しむ外ない。明日の月日はないからだ。時は限りなく縮まっている。死は、明日にでも訪れるのである。だが、処刑を目の前にした死刑囚が、残された今をどれだけ楽しむことができるというのだろう。

 明日に希望のない袋小路のような現在から、どのようにして脱却できるのか。金持ちに救いはないのだろうか。

 

 カーネギーの信条

 かつてアメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギー18351919)は、貧しい田舎少年から、努力して大企業家・億万長者となったが、富める者は一般大衆のためにその富を使うべきだと信じて疑わなかった。また、財産税は百%であるべきだという自分の信条に従い、いささかも子孫に財産を残さなかった。そして、社会のため、後世の人々のためにと、一代で築いた莫大な資産を捧げ尽して行った。

 貧しいラザロの譬えが、秘かに意図する処も、カーネギーから教えられるように、富者は貧者を顧みて、これを助け、この世の富を共有すべく、すべてを投げ出せと言うのであろうか。はたまた、金持ちと貧者の対照は、そうした上辺の財産や富をさすのでなく、私どもが、自分の貧しさや富を、どのように受けとめ、用いるべきかという、心が問われているのだろうか。

 

 ラザロの正体

 だが、ラザロの心は美しかったが、金持ちの心は醜かったといった風に、ふたりの内面世界など、何一つ触れられていない。また、金持ちに向かって、その富を貧者のために投げ出せとも語られてはいない。更には、貧者に天の慰めを約束し、あらぬ幻想を抱かせることで人々を欺き、現状に安住させてしまうことが図られてもいない。まして況や、束の間の現世を楽しめと、享楽的な生き方を奨めているなどというのは論外である。だったら、どうなるのか。イエス様は、この譬えで、何を言おうとしておられるのか。

 私どもは、此岸と彼岸における二人の対照があまりに強烈なため、二人に共通するものを見落としていた。譬えの冒頭には、「この貧しい人がついに死に、…。金持も死んで葬られた」と語られている。私どもは、必ず死なねばならない。如何に富んでいようと、どんなに貧しかろうと同じである。死の前にあっては、金持ちも富んでおらず、貧者ラザロも貧しくはない。

 ただ、死んでしまうと、金持ちもラザロも、この世のみならず死の世界も支配し給う、主なる神の審判の前に立たされるのだ。私どもには、未知の世界が待っているということである。金持ちはそれを見ようともしなかったため、その時に会って悔やんでいるのだ。

 それでは、救われたラザロとは、一体、誰なのか。貧しい者、捨てられた者、忘れられた者、苦しむ者、悩む者として存在する、主に召された人たちである。その延長線上には、この世で希望を見失っている者もあろう。貧者ラザロは、こうした人と一つになって、私どもに近づき給う主イエス御自身なのである。

 

感謝と喜びをもって

 とまれ、如何な金持ちも、神の前では貧しいラザロでしかない。ならば、自分こそ救われた貧しいラザロでないかと、思いたくもなる。だが、どうか。むしろ金持ちとして、飽き足りた中に生きている自分が透けて見えてこないだろうか。

 成功や失敗、幸福や不幸、喜びや悲しみ、様々な経験を味わうこの世ではある。その只中にあって、十字架の主イエスを拝しつつ、復活の光の中で、生も死も、一切をお委ねして、日々、新たに開け来る世界を共に感謝し、喜び迎えたい。

                 〔19871120日発行の『アサ便り』(再刊)第70号説教欄より)

「 つまずきの石 」

 

ローマ人への手紙 第93033

 

                   加 藤 高 穂

 

 パウロは神の民イスラエルが、何ゆえに十字架の主イエスを受けられないのかと心痛めつつ、その胸の内を吐露してきた。そして今、この現実を如何に理解したら良いかを問うのである。

 

信仰による義

では、私たちは何と言おうか。義を追い求めなかった異邦人は、義、すなわち、信仰による義を得た。

しかし、義の律法を追い求めていたイスラエルは、その律法に達しなかった」(ロマ9:3031

 パウロは、ここで異邦人イスラエルを対照して、「義を追い求めなかった異邦人」と「義の律法を追い求めていたイスラエル」と意味深な表現をして言う。

すなわち、神の選民を自負するイスラエルは、熱心に神の義を求めて倦むところが無かった。ここで使われた「追い求める」(ディオーコー)という語には、熱心に、必死になって追求するといった極めて強い意味がある。

 使徒行伝第8章冒頭には、ステパノ殉教直後に起きたエルサレムでの異邦人キリスト者大迫害の記事が出ている。この迫害(ディオーグマ)という語が、「追い求める」(ディオーコー)という動詞に由来するとなれば、その追求の激越なることが容易に想像できよう。それほど熱心に、命懸けで神の義を追求したイスラエルだったが、神の義には達しなかったのである。

 これに比して、異邦人はどうか。イスラエルに倍する熱意と努力を傾注して、神の義に到達したのか。否、義を追い求めなかったにも拘らず義を得たのだ。

何たる皮肉か。イスラエルの努力と熱心は無駄骨折に終っている。しかも、彼らは、それに気付いていない。そんな同胞を思うと、パウロの胸は疼き、心の痛みと悲しみは絶えないのだ。

 

躓きの石

何故であるか。信仰によらないで、行いによって得られるかのように、追い求めたからである。彼らは、躓きの石につまずいたのである。見よ、私はシオンに、躓きの石、妨げの岩を置く。それに依り頼む者は、失望に終わることがないと書いてある通りである」(ロマ9:3233

 イスラエルは、本来自分たちが寄って立つべき岩、神の憐れみの石に躓いたのである。

 この躓きの石こそ、端的に言えば、十字架の主イエス・キリスト以外にない。主イエスご自身、「私に躓かない者は、幸いである」(マタイ一一・八)と仰せられた。それは洗礼者ヨハネが、死海東岸のマケラス城砦・地下牢に幽閉されていたときのことである。

 

主の御血潮を受けて

洗礼者ヨハネは、神に忠実ならんとして、権力者ヘロデ・アンティパスと対決を余儀なくされた。大凡、この世の権威として神に立てられた者には、それだけの責務を、神と人に対して負うている。それだのに、ヘロデはローマ在住の弟ピリポを訪問中、その妻ヘロデヤと不倫関係に陥り、帰国後、正妻を離縁すると、義理の妹を連れ出して結婚してしまったのである。このヘロデを、洗礼者ヨハネは厳しく非難した。

 案の定、専制君主ヘロデの恨みを買ったヨハネは捕えられ、生涯最期の時を目前にしていたのである。

だが、神の支配を示す、明らかな徴は見られない。この方こそ世の救主と証をし、希望の一切を託してきたイエス様の周辺では、何一つ変革の兆しが見えないのだ。そんな筈はない。こうして、禁欲的な義の預言者ヨハネすらもが、イエス様に躓いたのである。

 然るに真の救いとは何か。主の御霊を受け、躓きの石なる十字架の主イエスの御前に心砕かれ、事毎に主の御栄えを拝せしめられること。神が神として生き給うこと以外にないのである。

(『アサ便り』(再刊)262号「説教」欄より)

「 世界の書物 」

 

紀田順一郎著 朝日文庫

 

湯 川 格

 

 紀田順一郎の最近の著作「蔵書一代」の書評を新聞で読んだ。著者の本は「世界の書物」を含め以前数冊読んだことがある。解説によると「世界の書物」は著者42歳のころから週刊誌に連載した文章を後に単行本と文庫本にまとめたもの。紀元前の「イーリアス」「オデュッセイア」から20世紀前半、フォークナーの小説まで、みずから選んだ東西の古典86冊が紹介されている。雑誌連載で1冊分の文字数が約3,500字だから86冊になると500ページを越す本になる。これを久しぶりに再読した。

 

書評本としての「世界の書物」がユニークなところは本の内容紹介と共に、その本が書かれた時代背景や作者周辺のエピソードが豊富に記載されている点だろう。たとえば18世紀半ばに出版されたディドロの「百科全書」の紹介がある。これは当時、政治経済が停滞していたルイ王朝フランスにあって中産市民階級の躍進と、それに続くフランス革命を準備した重要な書であり、現代の百科事典の基になったものだ。しかしこれを出版するのは難事であった。全34巻のうち第1巻が出たところでディドロは投獄され、第2巻は発禁処分。経済的に何度も行き詰まりながら細々と執筆を続けた結果、最後の34巻が出版されたのは29年後であった。それでもなんとか完成にこぎ着けたのは、新しい時代の到来を予感していたルソーやモンテスキューなど全書執筆陣の支持と旧体制側に属していた少数の人々の影の応援があったからだと言う。また29年前にこの本を予約購入し料金を前払いした人々がいた。彼らは出版を待っていた29年間、一人として遅延に苦情を言ったり返金を求めることがなかったと言う。

 

 この「世界の書物」を再読するきっかけとなった紀田の最近の著作、「蔵書一代」は82歳になる著者が岡山から東京に引っ越す場面から書き出されている。岡山の家には著者が半生かけて集めた3万冊余の蔵書があった。引っ越す先の東京のマンションにはとても納めきれない。図書館などへの寄贈も考えたが引き取り手が見つからない。とうとう古書店に無料で引き取ってもらうことにした。梱包を終えて去る四トントラック2台を見送ったあと、著者はその場で昏倒したという。大事には至らなかったようだが、長年親しんだ蔵書との別れは手足をもぎ取られるような痛恨事であったのだろう。

〔『アサ便り』(再刊)第262号「ブック」欄、2020120日発行より〕