ふと「土葬」について気になり本書を手に取った。

主な内容は遺体の扱いと葬儀についての歴史。

 

 

①「殯(もがり)」

 

日本古来の葬送儀礼「殯」。死霊を鎮めるために使われた。

土葬を行い墓を作る。各地方ごとに様々な形式が存在する。

 

特に面白かったのは「霊屋型モガリ」である。屋根と四本の柱がある形状。

なんでも昔は相撲の土俵をこの「スヤ型モガリ」を踏襲した形にしていたのだ。

つまり相撲とは「殯の上で力士が相撲を取って行う神を鎮める為の儀式」

だったのだろう。

 

さらに私の目を引いたのは「忌垣型モガリ」だ。

四十九本の板塔婆(四十九院)で四角く囲った殯。

私の地元には「四十九院」という地名が存在する。この地名から推察するに、かつてこの場所は多くの人が埋葬された墓地だったのだろうと思う。この地域には古い「四十九院隧道」というトンネルがあり、心霊スポットとして恐れられているのだが墓地であったという歴史も関係しているのかもしれない。

 

 

②「遺体の扱いに関する蛮習」

 

今は残っていない蛮習が、かつて地方では行われていた。

「風葬・遺棄葬」もその一つだろう。土葬文化が根付く前、鎌倉時代以前には人口の多い地域の近くに風葬の葬地(遺体捨て場)があり、遺体その場に捨て置かれたという。伝染病や飢饉で多くの人が亡くなる時、一人一人を埋葬する事は出来なかったのだ。

岡山県では昔、死体をつつき崩してから火葬を行っていた。女性の場合陰部を突き刺し油を抜いたという。その近くでは藁のムシロで包まれた新生児がよく川に流されていたが、これは間引きのためである。

八重山列島では原始時代、死人を焼いたり生で食べたりして弔う食人の習慣があった。その地方に残る「真肉親類」「脂肪親類」などの言葉は食人の名残りである。

子供が死んだ場合、扱いが悪いことが多かった。死んだ場合縁の下に埋葬されたり、ミカン箱に入れて埋葬されたりした。宮古島では流産死した子供を荒縄で縛り、海の岩窟に捨て、大男が叩きつけたり五寸釘をこめかみに打ち袋に入れ海に捨てられた。

流産死が不吉なものとされていた故にお払いのような意味で行われたのだろう。

 

③「海岸の殯」

 

海に近い地域では深く穴を掘ると水が出るため浅い穴に遺体を埋葬し、石を置いた「石積み型モガリ」が作られていた。この殯は「三途の川」のモデルかもしれない。小豆島では海岸の埋葬場付近が死体の油で独特の砂地になっていたという。

佐賀県加部島では水死人を戎(エビス様)として祀ったものには恩恵があり大漁になると信じられていた為、水死人を隠し自ら埋葬する者がいた。海岸にぽつんとある墓はそのようなものだったという。

 

感想

 

非常に面白かった。

作者は百年ほど前に書かれた「旅と伝説」などの資料を参考に本書を書いているのだが、そのような資料を自力で見つけるのは困難なためこうしてまとめてくれると大変助かる。最初に気になっていた「土葬墓地すぐに土地無くなっちゃうんじゃないか問題」は、数年もしたら土に帰るので何度でも同じ場所を使えるらしい。