昨日だか今日だかで、

シュミのツイッターアカウント開設

一周年だったみたいです。

 

(一年たちましたよ、って、お知らせしてもらったヽ(=´▽`=)ノ)

 

毎度ほざいているように、

ツイッターって

性格的には

あまり向いてない

(と思ってる)。

 

あのタイムラインの

流れのはやさに

入っていけない、

ついていけないところ。

 

今でこそ

マイペースにやれているが、

 

以前なんて、

TLは全部見なきゃ

気がすまなかったし

(でも見られないから

ストレスになってた)、

 

それって何か

仕事に結び付けなきゃ

いけないの?

みたいな

思い込みとか、

 

やるからには

きちんと活用しなきゃ、

とか、

 

自分が勝手に

設定した制限で、

とにかく

楽しめてなかったな。

 

一年前に

シュミ垢だけ

分けたのは、

まだまだ

自分の好きに

突っ走ることへの

うしろめたさとか

恥ずかしさみたいなものがあって、

 

身バレは怖くなかったが、

「(一応)仕事とか公のものと

個人的な性癖は

混ぜてはいけない」

というか、

ただ、やりにくさを

感じてたから。

 

一年経ってみたら、

別にあのまま

本名(今は本名出してないか)垢のまま

やっててもよかった気も

しますがね。

少なくとも、

「使い分け」は

できないまま、

本家リア垢は活動休止状態ゆえ、

リア垢の私は死んでいるに違いないw

 

 

あと、

字数制限とか、

自分が書いたものを

あとから検索しにくいとか、

その辺りも

私には使いにくい。

ブログだったら、

書いたものって

ずっと残しておけるし、

あとで見ることも、

修正や補筆することもできるけど、

ツイッターは

つぶやいて終わり、

みたいなところがね。

だからこその良さも

あるのだろうし、

「つぶやくこと」なんて

究極の今であって、

 

うほっ間違えた! 

訂正させて。゚(゚´Д`゚)゚

 

なんていうのは、

人生には許されないこと

なのだろう。

そして、

そんな間違いって

きっとほとんどは

たいしたことないのだろうし、

時に炎上したり、

店一つ潰れたり、

人一人くらいの

人生狂わせたり

することも

あるのだろうが、

 

それでも大丈夫

 

なのだろうけれどね。

 

いやいや、

私は自分に甘くて

ぬるい人生の方がよいので、

悪ノリで

いかん写真とかUPして

人生棒にふるとか

絶対イヤですけどね(`・ω・´)

 

まあ、

おもしろいといえば

おもしろいか、ツイッター。

 

 

でも、

一日中常駐するほどには

はまれない。

 

今では

1日一回、

日付変わる前くらいに

シャーペンで描いたイラスト一枚

ぽこーんと投稿して、

タイムラインなんか

ろくに見ないで終了という、

 

今日も生きてたよの

タイムカード感覚で

使わせていただいておりますが、

 

今の私には

それで充分かな。

(※もちろん、

告知すべきときには

えげつなく活用させてもらうぜ☆)

 

未熟者だから、

ツイッターずっと見てたら、

確実に

他の人の言動とか

見張っちゃうわ(*´艸`*)

今でも心が弱ってると

うっかりやっちゃう。

それって、

あんまし楽しくないからね。

 

それに、

ツイッターにも

おもしろいことあるけど、

それ以外にも私には

やりたいことがあって、

そっちを満喫したいんだ。

一度に一つしか

できない性格だから、

どっちもやるのは

私には難しいや。

 

 

 

アカウント作って一年、

ってことは、

一年前には

何もなかった、ってこと。

 

これがすごく不思議な気持ちでね。

 

そもそもツイッターを

バリバリ活用してやるぜ☆

みたいな意気込みがあったわけでもなく、

何となくこっそりと

人の投稿見るだけ専用みたいにして

始めたアカウント、

自分で積極的に投稿しようなんて

思ってたわけでもなく、

ある意味

何の期待もしてなかったわけですよね。

 

当然、誰にも知らせず、

知り合いもおらず、

フォロワーゼロからの出発で、

多分初めてフォローしてくれたのは

BOTとかじゃないですかね(*´艸`*)

 

気に入った画像とか投稿があったら

いいねするだけで

満足してた、

古き善き時代でしたよね。

 

今でも

使いこなせてはいないし、

フォロワー数だって

(何と比較すべきか

よくわかってないが)

そんなに多くは

ないと思うんですが、

 

一年前には

何もなかったんだよね。

 

私自身は

46年生きてきて

実体があるのだけど、

ツイッター上では、

存在すらしてなかった。

 

それが、

この一年で

微妙なイラストが

ほとんどながら

以前はなかったものが

こんなにたくさん増えて、

 

一年前には

全くご縁もなかった人と、

実際の濃密さはともかくとして

仮初めにも繋がりをもっている。

 

この一年間で、

私が生み出したものも、

私が目にできた、

他の誰かが生み出してくれたものも、

ものすごい量だよなぁ、って

あらためて感慨深く思うのです。

 

一年って、すごい!

 

これまでって、

何かの機会に

一年を振り返ることがあっても、

バクゼンと思い出せるような

大きな出来事だけを抽出して、

こんなことがありましたね、

よい一年でしたね、

みんなに感謝♡

みたいに、

薄く浅くキレイにまとめて

一区切りってことにしとこうか、

みたいな、

そんなことがほとんどだったように思います。

 

でも、一年の間には、

細部を見れば

こんなにたくさんの変化がある。

 

以前は

なかったものが、

今はあるんだよ!

すごくない?

 

今まで、

何かの区切りに

一年を振り返っても、

「出来事」はあったとしても

もっと深いところで

何かが変わったという実感が

持てていなかったというなら、

 

私自身が

そのレベルで変わっていなかった

ということなんだろう。

40年以上、

割とそんな傾向だった気がします。

人生の大きなイベント

(就職とか結婚、出産、家族の行事など)

はあったけれど、

何というのかな、

すべてが延長線上に

結果として存在しうる感覚で、

 

要するに、

芋虫が

より大きな芋虫になっていっただけ。

 

それが成長で、

その連続が人生なのかなと

思ってたのかも。

 

生まれながらに

芋虫という形は決まっていて、

一生かけてどこまで大きくできるか、

みたいなものだったとしたら、

やっぱりおもしろくないよね。

どんなにがんばったって、

自分は芋虫以上のものには

なれなくて、

元々蝶とかトリとかだった人が

うらやましくてたまらないわけで、

不貞腐れたくもなるわけで。

 

でも、

私は

ずっと芋虫じゃなくて

よかったんだ。

 

ずっと知らなかったが、

変容してもよかったんだな。

 

ろくに使ってませんでしたが、

ツイッター自体は

別にはじめてではありませんし、

FBもブログも、

他のソーシャルも

使ってきたわけですが、

 

今回の

ツイッター一年目って、

苦手とわかっていて

それでも挑戦してみたからかな、

すごくいろんなものを

受け取らせてもらったように

思っております。