前のエントリーの続きです)
 

で、思うわけです。

 

私が1月末から今まで、

100以上、

この手の投稿をしてきた中で、

 

880いいねされたこの投稿と、

他の日の投稿と

何が違うわけよ?と。

 

母の日のコレだけが

多くの人に支持されて、

他の日の投稿は

価値がない、とは、

私にはどうしても思えないのです。

むしろ、

どうせなら

あの日のアレの方が

ずっといいこと言ってるのに!

くらいなものすらある。

(個人的には

3月のシャイニング呪腕殿は

もっと評価されてもいいと思ってんのにw)

 

それがどういうことかと

一言でいったら

 

「たまたま」

 

そして、

 

「ただ、見られてない、

知られてない」

 

というだけのこと、

 

ですよね。

 

それがいいかどうか(好みかどうか)を

判断するのは、

見る人それぞれで、

私には決めることって

できないんだけど、

 

私は自分のためにやってるだけだし、

他の人を喜ばせたいわけじゃないから

そんなにガツガツ

晒さなくていーんだよ。

私は、

私がラクに楽しくやってるのを

ラクに好きになってくれる人にだけ

理解されればいいし。

 

みたいな考え方、

まあ、私そのものなんですが^^;

 

確かに、そうなんだけど、

まずは見てもらわなければ、

私がいるということすら

知ってもらえないわけで、

理解もクソも、

何も始まらないわよね。

 

どんなに一人でがんばったところで、

強制的に人目につくようにする、

ってことはできないのだけれど、

せめて、

人目につきやすい工夫くらいは、

考えつく範囲であっても

できると思う。

 

それから、

今回の投稿、

実は自分では

どの辺がそんなによかったのか

今ひとつピンときてないんだけど^^;

 

いや、悪くはないと思うけれど、

もし私だったら、

いいねとかRTするほど

カンドーするかなぁ、といったら、

多分しない(`・ω・´)

書いたことが

私にとって、

あまりに当たり前のことだから、かな。

 

そうそう、私は別に、

母の日の感謝という意味で

アレを書いたわけでもなくて、

二元論的に、

「母が存在しうるには

母でない存在があってこそ」

みたいなことを

言ってみたくて、

(たまたまその前に読んでた

みつろうのブログに

若干引きずられてた)

 

文章としてしまりがないから

後付でそれっぽく

「感謝をこめて」

みたいなことを

付け足しただけで、

実はさほど

母の日らしい感謝?の念って

持ち合わせてなかったわ(^◇^;)

感謝、というより、

世界の全てがカンペキだということへの

感動とか感慨、畏怖みたいな気持ちとか、

そういう方がしっくりくる。

 

ケチつけてるわけじゃないけど、

「母だけに特化して

感謝するなんてことは

できないのだよ」

 

でも、

おそらくアレをみて

いいねしてくれた人は、

そんなことは思わなかっただろう。

きっと、

自分の中の何かに

触れたんだと思う。

 

それがどういったものであるのか、

お母さんへの思いだったり、

母としての思いだったり、

それは、

何かしてあげたいという気持ちや、

何もしてあげられなかったという気持ちや、

何かしてあげたいのに何もしてあげられない

自分への気持ちかもしれないし、

 

もしかしたら、

母になりたかったけれど

なれなかった人、

母であるけれど

それを告げられない人、

母に対して、

愛を感じられない人、

本当は母になんか

なりたくなかった人、

そんな「歪んだ」思いを抱えながら

誰に言うこともできずにいる人、

 

そんな人だって

いたのかもしれない。

多分そこにはいないだろうと思うけど。

 

少なくともアレをみて、

「そうそう、母が存在するには

対になる概念も必要よね。

いいねしてやれ!」

なんて思ったヤツは

おそらく皆無だろうw

 

私自身だって、

アレを今見て思うことって

 

「うほほほほ、

呪腕殿がッ!

は、花をwwwww

尊いッ、尊いですぞ(鼻血)」

これに尽きるわけで(はぁ、好き)

 

あぁ、来年はデジ絵にして

色を塗ろう(^ν^)

 

じゃなくて、

 

つまり、

 

私の投稿の内容がよかった、

わけでは決してなく、

(よかったけど!)

 

アレを見て

いいと思った人が

800人くらいいて、

 

アレをいいと思った人にとって、

いい投稿だったんだよ、

 

という話です。

 

単独で

「いい投稿」

なんて存在しない。

あるのは

ただの0と1の羅列

(意味を持たない

二進法のデータの集合)

であって、

 

もしそれが

「いい投稿」であるなら、

それを

「いい投稿にしてくれる存在」

が、必ずある。

両者の尊さは同等。

 

私の絵が、文章が尊いわけじゃなくて

(まあ、尊いですけどw)

それを見て

「尊い」

と思ってくれる人がいてこそ、

はじめて

尊いものが存在できるんだ。

 

私の実力ではない。

 

でも、

やはり私の実力でもある。

それは、

絵のうまさだの

文章のチョイスのセンスだの

そういうことじゃなくて、

偶然も他力も運も含めた

あらゆるもの、という意味で。

 

それが実力というものであるなら、

 

私がどんなに

意思をもってがんばったところで、

「確実な実力をつける」

なんて、

不可能じゃないか。

 

実力なんて、

なくていい、

というか、

考えなくていい。

 

 

最後に、

「慣れてない人が

いきなり欲しかったものを

大量に手に入れると

こわいと感じる現象」

について、

次で書こう。