タイトルのとおり、

どうやらまた

突発性難聴が

ぶりかえしたらしいです。

 

先に言っておくけど、

聞こえにくくなってることそのものに対して

悲観的な気持ちは全然ない。

 

2年前くらいにそうなって、

完治はしないものなので

左耳の聴力は弱いままだったんだけど、

ここ数日、

耳の中がこもる感じがひどくて、

音が二重に響いたりしててね、

何とも気持ちが悪いものですわ┐(´∀`)┌

ピークはすぎた

(もしくは、この状態に慣れてきた)ので

今はだいぶ不快感は

減ってる気がします。

 

前に一度やってるので

知ってるから

何が起こってるのか把握できない怖さは

ないのだけれど、

 

あーーー、

やっちまったよ^^;

 

という感じですね。

 

ストレスからなることもあるよ、

という、

謎の突発性難聴、

 

症状でたら早めに医者いかないと

(何だっけ、24時間以内とか

そんな迅速さが求められてたような)

治る確率がダダ下がるよ、なんて、

もうずいぶん経ってから

後にしって愕然としたものだが、

 

気づいたのこないだの土曜くらいで、

もうずいぶん経ってるし、

そもそも前のも

治らなかったからね、

しかたないっす。

 

 

聞こえることは聞こえるんだけど、

ある特定の周波数の音は

認識できないから、

何か変な感じだよ。

 

今回のが、

ストレスからきてるものなのかは

わからないけど、

 

確かにちょっと

体力的にも疲れてるのは事実。

 

自分の本心にウソついてる、というか、

自分が信じてないことを

思い込もうとしてるときに

こうなる気がするので、

 

さて、心当たりは

結構でてくるので、

何が、という特定ができないから、

 

そういうときは

一旦全部やめる

 

に限るね。

 

原因がストレスなのかどうかはともかく、

もし相関関係があるのだとしたら、

多分大きな何か一つではなくて、

いくつかの「ちょっとしたこと」

の蓄積なんだと思う。

 

だから、

「具体的なこの行動が負担だから

それをやめます」

では、

おそらく解決しないかな。

 

とはいえ、

全部やめる、って

ホントに難しいね。

聴力かかってるというのに

やめられないなんてな、

バカだなと思います。

 

一番は、そこかも。

これだけ心が叫んでるかもしれないのに、

それを叶えてやれない自分に

一番苛立ってるんだろうな。

 

でも、

しょうがないな。

今はそうしかできないや。

 

きっと今、

 

じゃあ、

告知も

日雇労働も

イベント参加も

毎日描いてる一呪腕も

全部やめて

しばらく湯治に行ってきます、

探さないでください。

 

なんて、できるのだったら

きっと私の人生は

大きく変わるかもしれないけど、

 

なるほど、

そこまで人生変えたくないのかもな。

 

 

というより、

 

仮にストレスのせいでこうなった、として、

聴力戻したいから

嫌なことやめます、

っていうのも、何か違う気もするよね。

そうじゃない。

 

やな事無理してるから

こうなった、

という、

因果応報的な考えすら、

実はおかしいのかも。

 

耳にきてることは、

確かに快適な現象ではないし、

通常とは違うこと。

でも、

それが

よいことだとか悪いことだとか

勝手に決めつけるよりも、

 

こうなってしまった以上、

ここからどうするか、って

自分できめるきっかけにすれば

よいのかもなあ。

 

いつもと違うことになってる、

ということは、

ここで何に気づくかを

問われているのかもしれない。

 

なんだろうな、

そうだなぁ、私の今回の場合は、

 

やりたいことと、

まだ人目気にしてる部分とが

絶妙に混ざってしまって

意図せぬ無理を

させてしまってたかも。