こんにちは。
いきなりですが
グレイトフル・デッドをご存知でしょうか?
実はビートルズやローリング・ストーンズよりも儲けてしまった伝説的なバンドです。
彼らは不思議なバンドです。アメリカを代表するロック・バンドであるにもかかわらず、ヒット曲は1987年のシングル一曲のみ。
なのにライヴをすれば大きなスタジアムが満杯になり、「デッド・ヘッズ」と呼ばれる信者たちが全世界から集まるのです。
ヒット曲もなしに、なぜビートルズやローリング・ストーンズよりも成功できたのか?
その謎を解き明かしたのが、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(デイヴィッド・ミーアマン・スコット+ブライアン・ハリガン 日経BP社)です。
では、マーケティングを利用して、無名から有名になったバンドをみていくことにしましょう。
◯ ライブは録音OK
◯ チケット販売は彼ら自身が管理している
◯ インターネットがない時代から、膨大な顧客名簿を管理
◯ ライブの度に違う演出。決まった演出のないライブ
◯ 年に100回もライブを行なう
◯ CDからの売り上げではなく、ライブからの売り上げで収益を得るモデルを創りだした
などなどである。現在の視点から見れば当たり前に思えることでも、それを遥か以前から行なっていた、という点に凄さを感じる。彼らは今でも熱狂的なファンを持ち、ライブをし続け、素晴らしい体験を与え続けている。本書の著者二人も、熱狂的なファンであり、グレイトフル・デッドのファンであったことが二人を結びつけ、本書を刊行するに到ったのだ。
さて、本書が邦訳されるのには、ある人物が関わっている。本書の冒頭で、まえがきを書いている糸井重里である。糸井重里は、本国アメリカで本書が刊行される前から本書の存在に注目していたようで、そこから本書の邦訳の話が決まったという。
糸井重里はまえがきでこんなことを書いている。
『マーケティングが、いやな言葉に聞こえるのには、理由があります。
それは、ある種のマーケティングが「大衆操作的」なものだと考えられているからです。
「これをこうして、あれをああすれば、みんながこうなるだろう?」という考え方が、大衆操作的でないとは思えません。
でも、「大衆操作的」ではないマーケティングもあるんです』
まさに本書の内容を的確に掴んでいる文章で、本書は「大衆操作的ではないマーケティング」について書かれた作品だといえるでしょう。従来の、要するに「大衆操作的なマーケティング」というものがどういうものなのか、きちんと説明できるわけではないのだけど、マスコミを使ったり、大きな仕掛けをしたり、というようなことを指すのでしょう。グレイトフル・デッドは、そういうことをほとんどしないまま、現在の極めて特殊な立ち位置を掴みました。彼らがやってきたことは、確かに常識外れの異常なことばかりだったかもしれません。でも、現在の視点、つまりインターネットやSNSが発達し、コミュニケーションや流通と言ったものが根本的に変わってしまった世の中から彼らの行動を見れば、非常に合理的で必然的なことだということが理解できるでしょう。本書は、そういう見方をするための手助けをしてくれる作品だといえるでしょうか。
本書は、グレイトフル・デッドの在り方から導き出した19のアドバイスが語られます。それぞれが独立した章を成していて、どこから読んでも良いように構成されています。各章では、まずグレイトフル・デッドが何をしてきたのかが語られ、それが一般化された形で提示されます。さらに、実際にそれを行なっている企業の具体例について触れ、最後にまとめがある、という構成になっています。
各章には、章題のような感じで、簡単にその章でどんな話がなされるのかというタイトルのようなものがあるのだけど、とりあえずそれを列挙してみようと思います。
「ユニークなビジネスモデルをつくろう」
「忘れられない名前をつけよう」
「バラエティに富んだチームを作ろう」
「ありのままの自分でいよう」
「「実験」を繰り返す」
「新しい技術を取り入れよう」
「新しいカテゴリーを作ってしまおう」
「変わり者でいいじゃないか」
「ファンを「冒険の旅」に連れ出そう」
「最前列の席はファンにあげよう」
「ファンを増やそう」
「中間業者を排除しよう」
「コンテンツを無料で提供しよう」
「広まりやすくしよう」
「フリーから有料のプレミアムへアップグレードしてもらおう」
「ブランドの管理をゆるくしよう」
「起業家と手を組もう」
「社会に恩返しをしよう」
「自分が本当に好きなことをやろう」
さて、僕なりに本書の内容を非常にざっくりまとめると、こうなる。
【コミュニティを作ってしまおう。お金は後からついてくる。】
たぶん本書で一番強いメッセージはこれではないかと思う。グレイトフル・デッドはとにかく、ファンを大切にした。ファンと共に歩んできた。ファンを増やしてきたし、ファンを育ててきた。それらはすべて、コミュニティを作る、と表現できるだろう。グレイトフル・デッドがまさに40年間やり続けてきたことは、これなのだ。そして本書には、【どうやってコミュニティを作り出すか】ということへの具体的な方策が色々と載っている、と考えてもらえばいいのではないかと思います。
確かに、それは本当にそう思う。
現在も、コミュニティを作り出した企業は成功しているのではないかと思う。アップルのような、熱心なファンを生み出すようなやり方を続けられた企業は、成功していることが多いのではないか。逆に、ファンを生み出せなかったり、生み出したファンをほったらかしにしたりする企業は、すぐに凋落してしまう。まさに僕らはそういうことがはっきりとわかる時代に生きているのだな、と感じる。
グレイトフル・デッドが様々なことをやり始めた時代には、まだそういうことは見えていなかったはずだ。ライブはCDを売り上げるための手段である、と捉えられていた当時、CDを売ることよりもライブで収益を上げることを目指し、インターネットもないのにファンと熱心に交流し、時には特別感を与える演出までしてみせる彼らは、コミュニティ作りというものの大切さを時代に先駆けて理解していたということが出来るのではないかと思う。
いかにしてコミュニティを生み出すか。彼らがそれを意識して目指してやっていたのかはともかく、彼らが決断・選択するあらゆることが、結果的にコミュニティを生み出し、拡大することに繋がっていった。彼らは、インターネットもSNSもない時代にそれをやってのけたのだ。そりゃあ、それだけの偉業には、年間5000万ドルという報酬があってもいいだろう。僕らは、インターネットもSNSもあり、インターネットやSNSが世の中を変えてきた、そんな時代を生きている。そんな僕らに、グレイトフル・デッドに出来たことが出来ないわけがないじゃないかと思う。
身近な例で言うと、星海社という出版社は、まさにコミュニティ作りを熱心にやっているという印象がある。無料で読めるコンテンツが充実したサイトがあり、また熱心なファンたちを集めたイベントなども行なっている。星海社新書などは、「大学」と称して、新書執筆者たちを集めて授業のようなことをする、ということさえやっているのだ。お金を使ってもらってコミュニティの一員になるのではない。まずコミュニティの一員になってもらって、それからお金を使ってもらう、という順番だ。これは、書店の売り場で日々あーだこーだ売り方を考えている僕も、出来れば目指せたらいいなと思っているところだ。とにかくまず店に来て、面白がってもらう。それから、本を買ってもらえたらいいなと思う。
ちょっと前に、対照的な経験をしたことがあったので、ちょっと書いてみたい。
渋谷で飲み屋を探していた時、呼び込みに連れられて入った店が、とにかく席料とお通し代が高かった。ちょっとびっくりする値段だった。まあ文句も言わずに支払ったけど、この店には二度と来なかろう、と思った。渋谷という土地柄、新規のお客さんはいくらでもやってくる。だからこそ成り立つやり方なのだろうけど、これはコミュニティを作るという観点からすれば非常に失格だと思う。
一方で、渋谷で割と落ち着いた感じの雰囲気の店に入った。メニューには一切写真がなかったのだけど、なんとなく色んなものを注文して待っていたら、来る料理来る料理物凄く量が多い。こんな落ち着いた洒落た感じの店なのに、こんなボリューミーな料理が出てくるものか、と驚いたぐらいだ。なにせ、隣の席にいたお客さんから、「これちょっと多すぎるから」と言ってさつまいもをおすそ分けしていただいたくらいの量なのである(非常に満腹だった)。
この店にはまた行きたいなと思うし、それだけではなく、この店のことは人に話したくなる。そういう話は、SNS時代である現在では、以前より遥かに伝わりやすいことだろう。そうやって、店のファンを増やしていく。そういう在り方がこれから求められているような気がするし、僕もモノを売る立場の人間として、そういう在り方を目指して行けたらいいと、常に考えているのだ。
内田樹は、かなり多作な作家でもあるが、以前何かで、内田樹は自著をどんな風に引用されても構わないし、なんなら自著の文章を自分の文章だと偽ってどこかに載せたって構わない、と書いているのを読んだことがある。なかなか凄いことを書くなぁ、と思っていたのだけど、でもその後の文章を読んで、なるほどこれは合理的なのだなと感じた。例えば内田樹の文章は、著者の許可を取らずに載せることが出来るということで、よく試験問題に採用されるという。そうやって、多くの受験生の目に触れる。するとその中からそれなりの人数が、図書館で借りたり本を買ったりして内田樹の著作を読む。そうやって読者というのは広まっていくのだ
グレイトフル・デッドもまさにそうだ。彼らは、ライブの録音を許可した。許可したどころか、録音するための専用のスペースを設けるほどだった。普通、ライブを録音されたらCDの売り上げが落ちると懸念され、禁止されることが多い。しかしグレイトフル・デッドは、ライブの録音を自由にさせながら、自分たちが録音した高品質な音源を売りに出し、実際にそれはよく売れているのだ。グレイトフル・デッドのライブは、毎回ごと内容がまったく違う。録音されたテープは、その記録となり、多くの人に貸し借りされることで、グレイトフル・デッドの音楽は多くの人に届く。そしてその内の何人かが、もっと高音質でこれを聞きたいと考える。そうやっていずれお金になって戻ってくることになるのだ。
そんな風にして彼らは、とにかくファンを大事にした。「お金を払ってくれる人」だから大事にする、というのとはまったく違った関係がそこにはあった。お金は最終的な結果であり、目的ではない。チケット販売を自分たちで行なうのも、忠実なファンにこそ良い席のチケットが届くようにしたいためだし、音楽のライブだというのに「デフヘッズ」と呼ばれる聴覚障害者たちがライブに集まり、さらにグレイトフル・デッドは彼らを歓迎する。インターネットがない時代から、ライブの情報やメンバーの近況を書き綴った手紙を、住所を教えてくれた全員に送っていた。
コミュニティを生み出し、そこにいるファンを徹底的に大事にする。グレイトフル・デッドがやっていることはまさにそういうことであるし、それだけであるともいえる。しかし、「だけ」といえるほど、多くの人はこれができていない(当然僕もだ)。だからこそグレイトフル・デッドは成功したのだし、今も成功し続けている。
ビジネスでも芸術でも趣味でもなんでもいい。何かやりたいという強い情熱がある人は、本書を読んでみることをオススメする。マーケティングという単語に引きずられて読まないでいるのは非常にもったいない。本書は、マーケティングの本ではあるのだけど、マーケティングの本ではないとも言える。シンプルで、ある意味で当然だと思えることばかり書かれているのに、非常に心に残るし、本書を読んでいるだけでグレイトフル・デッドのライブに行きたくなる。その訴求力の強さはハンパではないし、それだけ力強いコンテンツを生み出すことが出来たからこそ、コミュニティもファンも獲得出来たといえるだろう。非常に面白い作品です。読んで、貴方を覆う殻を破りましょう。
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