ずいぶんご無沙汰していました。

また、無理のない程度にぼちぼちこのブログをやっていこうと思います。

去年は音楽の面で、小さいながらも病院や介護施設、そしてホームコンサートで演奏させて
いただいて、ソロ活動として新たな一歩を踏み出すことが出来ました。

今まで、一人で何かコンサートをするなんて思ってもみなかったです。もちろんアマチュアなのですが、僕なりの音楽をできる場所があることに少し自信を持ちました。オケなどもまたやっていきたいのですが、継続して練習に参加できるかわからないので、今はまた機会が来るのを待っています。

僕は今介護の仕事をしているのですが、つい先日今までの職場を退職しました。
なかなか労働条件や労働環境で難しいこともありました。
でも、初歩の資格を取らせていただきましたし、初めて介護の現場にしっかり入って、いろんな経験をできたと思います。いいことも悪いことも。

次の職場もまた介護です。保育園をしているところにできる介護施設で、僕は子どもも大好きなので、大変なこともあろうかと思いますが、楽しみにしています。
保育園で働くわけではないですが、ためしに保育士の資格を取ってみようかななどと思っています。


このブログを書くにあたって、自分の弱いところや足りないところ、悪いところも格好をつけずに少しずつ書いていけたらと思います。

さあ、今のところ予定の入っている演奏会情報を書かねばなりませんね。



第4回 東日本大震災復興チャリティコンサート2014


本番:5月6日(祝)15:00開演
場所:大阪 ザ・シンフォニーホール



僕は出演三回目になります。関西のプロアマの音楽家が演奏を通して文字通り力を合わせて東日本大震災の復興支援を行うプロジェクトです。宮城県石巻市に直接コンサートの収益を寄付させていただいています。関西の人は、神戸の地震のこともありますし、その気質からもとても黙っていられないのです。継続して行えていることもすごく良いことだなと思っています。

また仲間に会えるのを楽しみにしていますし、よいコンサートになるよう努力します。


しゅうまい


ずいぶんご無沙汰していました。


また、少し何か書いていこうという気になりましたので、ブログ再開しようと思います。

順調な時も、調子の悪い時も、僕は僕です。もちろんいいのに越したことはないのですが、
そのときそのときの自分を、記していければよいのかなと思っています。またぼちぼちと、やっていけたらと思います。またいちからです。



さて、去る7月17日の水曜日、石川県にある金沢医科大学のロビーにて、第140回うちなだ夕べのひとときコンサートに出演させていただきました。

トランペットはわたくし、そして、ピアノは大阪に住んでいる音楽仲間にお願いをして一緒に
演奏させていただきました。

このコンサートの前に、大阪の老人ホームで同じプログラムで演奏させていただいて、金沢では曲目を少し変更してお届けいたしました。大阪ではばててしまったのですが、とてもあたたかい反応で楽しく演奏できましたし、ほとんど緊張せずに済みました。ソロでまとまった時間コンサートをするのは初めてのことで、とても心配しましたが、終わってみれば全く心配無用でした。

医科大でのリハーサルの時です。

患者様が、リハーサルを見てくださっていたのですが、「夜空のトランペット、ニニロッソよく聴いてたんだよね」と声をかけてくださいました。プログラムには入れていなかったのですが、
中学校の時に初めてソロで文化祭で演奏した曲なので、前半を吹きました。とても喜んでもらえました。このような触れ合いが、とてもうれしいな、と思いました。

大学時代、オケをやっていて、病院や施設に進んでミニコンサートに行ったなあと懐かしく思い出しました。本当に好きだったんです。医療に関心を持ったのも、ここからだったと思います。

コンサートはとてもいい時間になりました。とても気持ちよく演奏させていただくことが出来ました。それに、このコンサートをずーっと行っているのは、金沢医科大学音楽療法研究会、僕が一緒に勉強させていただいた皆さんです。久しぶりに皆さんに会えて、コンサート中もあたたかく支えてくださって本当にうれしかったです。人とのつながりって、ありがたいなあ、改めて思いました。また、顔出したいなと思いました。

とても月並みな感想になりましたが、月並みだろうがなんだろうが書くことが大事かなと思っています。
演奏もそうですが、うまくやろう、いいものにしようという気持ちがともすればいいものにしてやろう、とエゴが出てうまくいかないことが往々にしてありました。今回それがあんまりなかったので(というより余裕がなかったのですが)こういう楽な心もちでいってみてもいいのかな、と思っています。以前はもっと完璧主義が前面に出ていたと思います。自分がコンサートに出演するにあたってクリアしたい演奏面でのハードルをぐっと下げました。ただ、みんなと一緒にこの時間を過ごしたい、好きな音楽で、一緒に過ごせればいいかな、くらいを目標にしたコンサートでした。音をはずしても、うまく演奏できなくてもいいから、楽しめればいいかな、と。もちろんまったく準備も練習もしなかったわけではありません。結果として楽しんで、楽しんでいただけて、これでよかったのだと確信しました。

次回も、また出させていただくことになりました。といっても次は2年後です。とっても人気のあるコンサートで、出演の予約が先まで埋まっているのです。

2年後また楽しんで演奏できるよう、日々いろんなことを吸収して豊かに過ごしてその日を迎えられればと思います。

コンサートの記事が翌日の北國新聞に載ったそうで、写真を送っていただきましたので、載せます。



次は9月にコンサートがあります。またお知らせしたいと思います。


しゅうまい




成人の日に書こうと思ったのですが、ずるずると書かずに今日になってしまいました。

阪神大震災から18年経ちました。当時僕は二十歳でした。

僕は岡山の大学にいましたが、成人式があるので、実家に帰ってきていました。まだ成人式が1月15日にあった時代です。実家は福井です。
実家に帰ってきてから、僕はひどい風邪をひきました。熱が出て、それでも成人式に出たかった僕は、フラフラになりながらも式だけ出たことを覚えています。そのあと友達は飲みに行ったりしましたが、僕はしんどくて、とてもそこまでは出来ませんでした。
次の日も熱が下がらず、もう岡山に戻らなければなりませんでしたが、実家でおとなしくしていました。そして、夜には熱も下がり、次の日の朝一番で、電車に乗って岡山に戻ろうと思っていました。

そして、1月17日。

朝、衝撃で起きました。何が起こったかよくわかりませんでした。少し病み上がりで重たい体を起こすのは物憂く、すぐに起きられませんでしたが、起きて、テレビを見ました。
テレビには、火の海が移っていました。これはなんだろう?

その日はまったくどこの交通機関も動いていませんでした。ここは震度4。岡山も震度4でした。取りあえず今日は戻れないことを友達だったか先輩だったかに電話して、テレビに前に座ってただただ被害の状況や恐ろしい映像を見ていました。
翌日18日、神戸を通るルートは全く使えないため、日本海側を通り、山越えをするルートで電車で帰りました。10時間以上かかったと思います。帰れただけでも良かったと思いました。

さいわい友達に大変な被害にあった子はいなかったです。あまり神戸の人がいなかったのです。でも、うちがめちゃめちゃになった西宮の先輩や神戸の友達と連絡が取れない友人はいました。

他のことは、あまり思い出せません。

僕は被災者ではありません。しかし、あの時のことは、決して忘れません。当時地震の被害にあわれた方のことは、想像を絶します。言葉がありません。だからここで地震のことについていろいろということは僕にはできません。そんな資格があるかどうかも分かりません。ただ、18年がたとうが、何年たとうが、この日が来るたびに、思い出すのです。二十歳のあの時のことを。