父親の人生の備忘録
久し振りにブログを書くことにしました。
2012年に親父のブログを書いてたことが懐かしいなぁ。これを書いているのは3年後の2015年8月のお盆休みのある日です。
2012年3月に会社を辞めて2012年8月まで仕事を休んで親父と一緒に過ごしていたときが懐かしい。
あーもうあれから3年か、月日が経つのは早いものです。あのときはいろいろ大変だったけど、それでも親父と過ごせた半年はよかったと今でも思えます。
3年もたっているけど...確かに時間は辛いことを忘れさせてくれるのでした。これ以上忘れるのが怖いので、今日ここに覚えている限りを記すことにし、明日からは新たな気持ちでブログを書いていけたらと思っています。
2012年8月から12月までのブログを書いていなかったのは、別に3日坊主とかそうゆうわけではなくて(いやそういう性格でもあるけれど)、ブログに本当のことを書けなくなったからでした。父親もブログを読んでいたので、父親には本当のことを知らせることができなくて、それでブログを書くことができなかったのでした。
2012年9月に仕事を開始して忙しくなったけど、職場の人にはいろいろサポートをしてもらったし、本当に助かりました。いろいろ支えてくださってありがとうございました。
さて、3年前の2012年8月10日から父親はがんの放射線治療を開始しましたが、ここで開始した放射線治療はかなり強力なもので、父親は食欲がなくなってしまっていたけれども父親の生きたいという希望が強かったので放射線治療を続けました。その結果、父親の髪の毛はなくなってしまいましたが、放射線治療の効果が出て、8月末には歩けるほどに回復し、9月には自宅に退院することになりました。
この時、父親は退院できることにかなり喜んでいて、また自宅で生活できることを心から嬉しく思っていました。父親は放射線治療の効果があったので、引き続き抗がん剤治療を続ければまだ延命できると考えていたようです。父親は「あと3年は生きたい、せめて僕と妹の結婚式には出たい、できれば孫も見たい」と言っていました。しかし、この退院のときに医師からは「今回の退院が最後になる可能性が高いから家族と過ごす時間を大切にしてください」という説明を受け、「年内もてばいい方」と言われていたのでした。
父親は食欲も戻っていましたが、父親の体力はかなり落ちていました。それでも買い物に行ったり外食に出かけたり、そういう日々を過ごすことができるようになっていました。そこで、私と母親は、父親に余命のことは告げずに、父親との最後の生活を楽しむことにしたのでした。
9月~10月は毎週土日に実家に帰って父親とドライブに出かけました。ドライブは京都から日帰りでいけるところを選択し、亀岡、篠山、嵐山、高槻、琵琶湖、京都、難波に行って、その土地のグルメを食べるということを楽しんでいたのでした。嵐山のウナギを喜んで食べていたのがつい先日のことのように思いだされます。滋賀の近江舞子でもウナギを食べたし、難波ですき焼きも食べました。
このドライブのときにいろんなことを話しました。子供の時、僕はずっと父親よりも母親の味方になっていたように思うけれども、父親も頑張っていたのだなと思いましたし、父親を素敵な人だと思うようになり、そして、自分も父親のようにありたいと思ったのでした。父親は子供である僕たちに怒ることなく接してくれました。僕も彼のような大らかな心を持って人に接するようになりたいと思うのでした。
10月末くらいに足にしびれが出初めて、足の指を動かせなくなることがわかり、食べてももどすという感じになって食事を食べれなくなってきました。このとき父親は自分の寿命に気付き始めました。父親は「大体自分の寿命がわかってきた。あと3カ月くらい。それ以上は無理だと思う。次の誕生日まで生きたいけど悔しいなぁ、ごめんな。お母さんを支えてあげてな」と言ってました。あの言葉はしばらく頭から離れることはなかったです。
11月上旬には父親は左足が動かしにくくなって歩くのもやっとという感じになってきました。父親との最後のドライブに行った場所は法隆寺。ギリギリ歩ける感じだったけれど、これがもう最後かなと思う感じでした。11月中旬には大好きだった株取引をやめることになり、株取引の口座を譲ってもらいました。
11月23日に京大病院に入院することになり、そのとき抗がん剤治療をするかどうか医師に確認された時には、父親はまだ治療を続けたいということでしたが、医師は体力的に抗がん剤治療も持たないと考えたようで、父親に鎮静剤を投与して抗がん剤治療を断念させ、治療をやめてがんの痛みを和らげる緩和ケアの病院に移りました。このとき彼の闘病生活は終わり、死を待つだけの生活が始まりました。
12月からは緩和病棟に移管され、そこでは穏やかに毎日を過ごしていました。家族や親戚が来るとうれしそうにしていたお父さん。ハーゲンダッツを毎日のように食べていたし、食べさせてあげるのが楽しかったけれど、そんな時間もわずか3週間ほどで、2012年12月26日に父親は旅立ってしまいました。
3年も経った今は父親の死も受け入れられているけれど、あの頃は毎日のように父親と過ごしていたし、父親のことでバタバタと動き回っていたので心にぽっかり穴があいたようになりました。亡くして半年くらいは父親の夢を見ることも多かったし、寂しくなったこともあったのですが、徐々に徐々に自分の記憶から父親が失われていき、今ではお盆や正月など機会があるときだけに思い出す程度で、日常生活の中で父親を思い出すこともなく、日々を過ごしています。
3年経った今はもう少し広い心で、人間は誰もが死ぬ、早いか遅いかだけだと、そう思うようになっています。
今日はたまたま思い出したので、そしてこれから父親がもっと記憶から遠ざかっていくことになると思ったのでここに記すことにしました。いつかまた僕がこのブログを見て、自分の生き方を見つめ直すきっかけになればと思っています。





