東ポリペキソサナムペ共和国国歌
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続き~

 それらの遺書や写真に表れた強い意志や覚悟を体感すると同時に、その裏の意味を考えると何とも筆舌し難い感情に襲われ、何度も涙が溢れてきた
 
 特攻【自殺攻撃】とは太平洋戦争での旧日本軍特有の作戦であり、当時は『軍神』として崇め奉られた彼らも終戦後は『軍国主義の象徴』としてある方向からは否定され、また現在憲法第9条により戦争を放棄している日本では段々と風化されていく過去の事実でもある。
 
 太平洋戦争時には敵対関係にあったアメリカ人やメディアも特攻を『有り得ない・信じられない行為』とは言えど、死を覚悟する『勇気』というものは賞賛していたらしい。
 
 今回の見学を通じて感じた事は、恒久の平和を願うのは勿論の事、現代、私もそうなのであるが、目の前の障害や面倒な事柄から逃げがちであるのではないかと思う。だけど、当時の若き特攻隊員たちの『死の覚悟・勇気』を比べたら、それらの事柄に勇気を持って立ち向かう、打ち勝つ事なんて容易い事ではないんだろうか?
 
 人生一度切り。若くして散っていった彼らと比べれば私達は健康でいさえすれば約80年という寿命を与えられている。そんな中で毎日を少しの勇気と共に過ごしていくのが大切なのではなか

初ブログ&最後のブログ【独り言】

 どぉもパーって言っても見る人いないかもですが‥ピヒョリレナリ・ボリリーレンですにひひ登録して自己紹介でボケ倒した以外何も書くことが見当たらなかった為、もぬけの殻になっていましたが、唯一ネタが見付かったので独り言として書いてみますパー
 
 先日私は九州まで旅行してきたんですが、知る人は知っての通り岐阜⇔鹿児島1300km間を車で、しかも超強行スケジュールのアホツアーだった訳ですが、実は真の目的は鹿児島・知覧の特攻平和会館【太平洋戦争末期、米軍の沖縄侵攻の際、知覧に神風特攻隊基地があり、そこから生きて帰る事のない戦場に飛び立っていった若者の遺書・遺品、また特攻隊に纏わる様々な資料が展示してある場所】を見学する事だった。
 
 実際見学してみて、隊員が家族に宛てた遺書の最後には『お母さん』という言葉が多かった事・婚約者の女性に宛てた『会いたい』という率直な思いを綴った物・『初陣が最後』【生きて帰が無いから】という物・その他にも様々な展示資料を見た。隊員の写真も多く展示してあったが、殆どの隊員が明日・明後日に死ぬと決まった飛行に出るとは到底思えない満面の笑みであった事、【因みに特攻隊員の殆どは20歳~24歳・中には17歳という隊員もいたそうです】それらの�