ちょっと、長文です。
最後まで、読んで頂けると、有難いです。
以前の記事の再投稿です。
一部修正と追加。
今日は、震災から13年ですね。
当時は、息子(広汎性発達障害(知的障害を伴う自閉症スペクトラム障害))が中学校を卒業して、2日目でした。
携帯を買おう思った矢先でした。
当日は、家族3人とも、別々の場所にいました。
家内は、ケーキの研修に、隣の駅に行っていて、私は、自宅近くにいました。
家内とは、携帯のメールで連絡が取れ(と言っても、メール送受信で30分くらいかかりましたが)、何とか、家内だけは、車で迎えに行きましたので、無事でした。
息子は、というと、電車に乗って新宿方面に向かっていて、震災に遭遇しました。
連絡手段がなく、警察や鉄道会社に連絡をして、連絡がくるのを、待っていました。
鉄道会社では、全駅で駅内放送をかけてもらいましたが、改札が封鎖されていたこともあり、結局見つからずでした。
警察の方は、警察無線で探してもらっていました。
県外に出てしまうと、なかなか見つかり難い、と言われました。
すると、夜9:30くらいに、突然、玄関のドアが開き、帰ってきました。
ホッとしたのを思い出します。
それから、警察と鉄道会社に無事だった旨、伝えました。
聞くと、息子が、バスを乗り継いで、帰ってきたようです。
予定では、息子は、もうちょっと遅く出る予定でしたが、出発予定より、早く送り出したため、隣の駅で降りて、時間を潰していたようで、何とか、帰って来られたようです。
自閉症スペクトラム障害の息子が、良く起点をきかせて、バスで乗り継いで(電車が全面ストップしていたのに)、帰れたのが、不思議でした。
でも、無事だったのが、よかったです。
で、震災の際、家内と息子は、同じ建物にいたみたいです。
連絡手段でさえあれば、と思うと、本当に、無事帰って来られたのが、よかったと思うしかないです。
予定どおりの時間に出発していたら、どうなっていたのかと思うと、ぞっとします。
この3月11日は、息子が、社会人になって丸9年になります。
通勤が長く、また、自閉症の特徴から、色々な葛藤があったのに、よく頑張ってきたな~と思います。
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