はしがき
お久しぶりです。Takです。この記事では題名のように、自分が過去にうつ病を経験した時の話を前半にして、その後自分が話したいことを話します。もしうつ病の経験談だけを見たい方は前半でブラウザバックしていただいて結構です。それでは、よろしくお願いします。
病のきっかけ
うつ病というのは精神疾患の一つですが、それの説明は今回は省略させていただきます。厚生労働省とこころの情報サイトのうつ病説明ページを掲載しますので、ご存知でない方はこちらから見てみてください。
うつ病|こころの情報サイト こころの病気といっても、種類も症状も様々。病名をつける方法は体の病気とは考え方が異なり、主に症状や持続期間、生活上の支障な kokoro.ncnp.go.jp
私がうつ病と診断されたのは小学3年生の時で、主な原因はいじめでした。いじめの具体的内容は後ほど説明しますが、3年生の2学期頃から毎朝起きる時から頭痛や吐き気が起こるようになり(大抵夕方になると止まっていた)ました。最初は起立性調節障害という、起きる際に体調が悪くなり、午後になると体調が回復しやすいという別の病気を疑いました。症状が酷似していたからです。1ヶ月くらいそれが続き、ほとんど遅刻で学校に行っていたので流石に病院へかかった方がいいと思い、家の近くの比較的大きな病院に向かいました。
診断の結果としては、起立性調節障害ではないというものでした。そのような診断理由になったのは、朝体調不良にはなるが結果的に起きて、午前中も通常通り生活できていること(もしこの障害なら午前中は活動が難しい)や、単純に体調不良が軽度であったなどがあります。また、診断結果を聞いて、特に名前のつかない体調不良なんだということで腑に落ちた結果、朝体調不良でもこれはみんな起こり得ることなんだなと思って普段通り学校に行けるようになっていたので、親もあまり問題視していませんでした。
そこから約3ヶ月後、私は幼馴染の彼女ができ、気分も回復してきました。彼女といっても、実際は1年生の頃からずっと一緒に通っていたので、あまり変わったことはなかったです。しかし自分を支えてくれる人ができたことには気持ち的に大きな変化があったと思います。
しかし、以前からいじめを受けていた自分は、彼女ができたことにさらなる弱みを持ってしまうことになります。以前から受けていたいじめというのは、自分の名前に対するいじりや、自分の容姿(具体的には、自分が癖毛であることで自分の髪の毛を触る癖を真似されたり、視力が悪く眼鏡をかけていたのでその眼鏡を取られ授業が受けられなくなったりなど)に対するいじりなどでした。2学期の初めから起こった体調不良も、これの影響だと考えていました。でも、それを親に言うことはありませんでした。
彼女を持ったことは自然と広まり(おそらく相手が話したのだと思いますが、相手を悪くいうつもりはないです)、特段陽キャでもなかった私はもちろんいじめの標的になりました。とある生徒は彼女を持ち調子に乗っていると先生に言ったり、とある生徒は自分がその彼女と仕方なく付き合っていると言う噂を流し、彼女を泣かせることになったり。相手が社交的であったことから、周りの女子から暴言を浴びせられることもありました。
自分がここで悪かったのは、このように言われたことに対して言い返してしまったことです。もしここで本気で落ち込んでいれば、小学生の頭脳でも流石にやめようという方向に行ったのではと思います。結果として、いじめを受けていたことは誰にも言いませんでした。先生に言っても冗談だと思われるし(実際その先生はいじめを単なる戯れだと勘違いする人でした)、親に話すと過保護で面倒くさいし、彼女にも心配かけたくなかったというように正当化し、とにかく誰かに話す必要がないと言い聞かせていました。
病の詳細
3学期になり日に日にヒートアップするいじめと、話したくないと過剰に自己暗示した結果、選んだ道は「自殺」でした。
7年前の今日、私は6階の自宅のベランダから飛び降りました。
遺書も連絡も何もせず飛び降りたところに少し小学生味を感じますが、結果として私は今生きています。何も考えず飛び降りたので、下に何があるかもみていませんでしたが、下には芝生があり、また頭からではなく右腕側から地面と接触したようで、全身骨折で済みました。頭も後頭部の頭蓋骨を骨折しただけだったようです。
落下直後も意識がありましたし、救急搬送された先でも「命に別状はなし」だったので、小学生ながら死にきれなかったことは自覚していました。しかし、これからどうしようとか、そういうことはあまり考えていなかった記憶があります(あくまで記憶です)。
3週間ほど入院し、電動車椅子での生活が少しだけあり、松葉杖となり、無事に回復するまでに約半年かかりました。ここは病の詳細を話すフェーズでしたので、うつ病に関する話もしていきます。春休みが始まる直前に退院したので、飛び降りた日から3学期中は学校に行きませんでした。うつ病だと診断されたのは春休み中に病院へ行った際で、原因は人間関係によるストレスでした(多少は飛び降りによるストレスもあったと思います)。
治療法(私の場合)
所謂化学療法と呼ばれる薬の投与はもちろんされましたが、自分は精神療法の方を悩みました。とりあえず学校の人とは会いたくなかったので、退院後はしばらく家にいましたが、この状態が続くとダメだということは自分でも気づいていましたので、親に「海外で暮らしたい」と試しに言ってみました。子供一人で海外で暮らさせるというのはまあ無理だろうと思っていましたが、母親がなんとか頑張ってくれて、以前からよく行っていた韓国(ソウルの銅雀区というところ)で1年間生活しました。母親が2ヶ月に1回くらい仕送りに来てくれたり、まあ色々あって(今度話します)生活も苦ではなかったですし、何より彼女に親の転勤と言って離れていたので、戻る必要があったと思いました。
5年生の1学期から2年間はいじめにも合わず(おそらく何かがあったことを察したのでしょう)普通に学校生活ができました。自分が飛び降りたことは学校にはもちろん伝わっていましたが、小学校の友人に自分から話すことはありませんでした。ということで、彼女や仲の良い友達にも伝わっていません。
自分がこの話をしようと思ったきっかけ
この文章には読んで欲しい人がいます。しかしその人はこのアカウントも、自分がnoteをやっていることも知りませんので、おそらく読まれることはないでしょう。自分は、絶対に読んでくれない一人のためにこの文章を書きました。
本当は「自分のうつ病の経験をたくさんの人に知ってもらい、自分と同じような境遇の人に〜と思ってもらいたい」ということを言いたいわけですが、どうもこの言葉だと軽いものだというように感じてしまうわけです。これは自分がこういう思いで書いていないからです。
ぐだぐだとまとまらない文章を書いていましたが、実のところ、この文章を書きたいと思ったのは昨日の夜のことです。うつ病が回復して5年が経った高校1年生、失恋や友人関係の悪化など、自分の人生史上一番生きた心地がしない人生を送っています。それは側から見たら一つの物事に落ち込みすぎであったり、メンタルが弱い自分に酔っているようだと思います。しかし、1度目のうつ病で全てを失って、自分のキャパシティの狭さを知りました。だからこうやって、知人には見られないところで弱音を吐いて、周りの人に迷惑をかけないようにとしているわけです。
あとがき
ということで、最後の最後に気分の下がることを言ってしまいましたが、どう傾いてもこれが現実なのです。人によって意見は変わると思いますが、この記事を見て何か感じたらコメント等で意見をいただきたいと思います。
あともう一つ、私がここまで自分の自殺について話すことに抵抗がないのは、今生きるのに結構忙しくなっていて小学生のことなど考えられないというのが大きいです。なので、もし周りにそういう人がいても、あんまり言及しないであげてください。
閲覧ありがとうございました。
2025.2.23