音楽活動をしていく中で、カメラという機械がなんとなく視界に映っていたのはどうしてだろうか。

多分ぼくは結構職人気質で、楽屋でレンズをメンテしたりフォルダを確認しているカメラマンの姿にぼんやりと見とれているふしがあった。


そうしてもって18歳を目前にしたあたりで、産まれた時から僕を写していた父親のカメラに初めて触ったのだった。死んだじいちゃんから、父親が貰ったらしい。

Nikon D70


動画も撮れないくらい古い一眼レフ。SDカードは対応してなくて、コンパクトフラッシュにデータを送り込む。


ただぼくには大した知識もなければ高いカメラも触ったことがなかったから、なんとなくその華奢な黒さとずっしりとした重さが、はじめてシャッターを切る前に、クセになった。


その後ちょうど、祖母の家を訪れる機会があったのでカメラを持っていくことにした。

滋賀県大津市、琵琶湖のほとりにある小さな町。隣町に行かないとATMとコンビニが無い、本当に小さな町。(マジいい所です)

下が実際にD70で撮った大津の街です、よかったら見て〜








 


どーでしょ!

当然カメラの知識もなかったので、イソ?F??という感じで撮っていたのだけど、思った以上にいい仕上がりになる。多分カメラと場所がいい。


お恥ずかしい話丁度その頃失恋していたのだけど、

なんとなく綺麗なところでシャッターを切っているだけで無心になれた。

それはぼくがかなり没頭しがちなタイプなのもあると思うけど、とりあえず、シャッターを切る音がすごく好き。


そんなこんなでカメラに触れていて、知り合いの映像作家にアシスタントとして付かせてもらったりもした。突然高校生のチンケな財布じゃ何個あっても足りないような値段のカメラを握らされ、ボロクソに言われたりもしたけど、なんとなく、いやとても、楽しかった。


映像はすごく音楽に密接で、それは、今までぼくにとって人生の中心というか、絶対的な主人公だった音楽を一瞬にしてBGMにしてしまった。

でもそれでいて、映像というものも、音楽のBGMであって、そんなふたつのアートの関係性に、ぼくはすっかり虜になってしまった。


自己主張と自己主張がぶつかり合って、いきすぎるとうるさくなって、そうして譲りあって、たまに縮こまると物足りなくなって

そうした音楽と映像のマッチングにぼくはとてつもない人間味を感じて、ますます興味が湧いた。


ひとつ知って欲しいのが、ぼくは音楽が嫌になったから映像に手を出したんじゃなくて、音楽が好きだから、映像も好きになった。


実は欲張りなので、人生一度きり、どっちも自分のモノにしてみたいと思った。今日もバイトの休憩中、メロンパンとカフェオレで悩んでいたので、どっちも買うことにしてしまった。まあ、これは別に比喩になっていないか。


とにかく、音楽ひとつに注がなきゃ成功しないよだとか、中途半端にするなよとか色々言われるんだけど、ぼくは多分今こうして色々なことに手を出していたことを将来後悔しないし、きっと間違ってないんだと思う。


映像系の芸大を受けることにしたけれど、音楽はやめないし、なんなら、もっと音楽が好きになると思う。


とにかく、ぼくは本当に自由を求めすぎて逆に囚われている気すらするけれど、やっぱり自由に生きたいと思ってしまう性なので、これからも色んなことに興味を持って、それなりにふらふらと生きていくんだと思う


音楽に首を絞められているようで、最近は音楽が嫌いになってしまっていたから、カメラに出会えて良かったと思ってる。まだまだなんも知らないけど。


今週末芸大の入試!がんばります

小さな戯言でした、読んでくれてありがとね〜♪